人を動かすには「アカデミックな理論」と「荒削りな情熱」の絶妙なる一点を狙うべし
(本日のお話 2210字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は新入社員フォロー研修、
並びに一件アポイントでした。
また夜は、大学院の講義。
*
さて、本日のお話です。
4月から大学院にて。人材開発や組織開発を
アカデミックな観点からも学ぶ機会に、
恵まれております。
これまでは、どちらかと言うと
(結構高額な)セミナーやワークショップに
ひたすら時間とお金を投資し、
面白いワークショップ手法などを
拝借しながら、自分自身の持ち玉を
増やしていった感じでした。
今は針が逆の方に振れつつあり
読む本などもややアカデミックな知識に
寄っていると感じます。
(とはいえ、こちらも
本当にまだまだなのですが…)
そんな中、今週、
オンラインの研修が3件あったのですが、
”理論を学べば
研修で受講者に上手に伝わる”
なんてことはなく
理論も大事だけれども、
やっぱり青臭いようですが、
”情熱”ごときものは、
ものすごーく大事なのだろうな、
と思ったのでした。
今日はこの話について、
皆様に思うところをご共有
させていただきたいと思います。
タイトルは、
【人を動かすには「アカデミックな理論」と「荒削りな情熱」の絶妙なる一点を狙うべし】
それでは、どうぞ。
■「理論」とは、
実に説得力があるものです。
〇〇理論によると…とか
〇〇の論文によると…
という枕詞をつけると
それだけで急に説得力が増しますし
実際話を聞いてる聴衆の方で
「おっ」と耳を傾けてくれる様子が
見て取れます。
それは研修でも商談でもそうで、
信頼おける理論や論文を知り、
適切にそれを使うことは、
”相手に物事を説得力持って伝える”
上で、実に大事なのだろう、
と思っております。
■そして、勉強中の身である中ですが
3年前に比べて、
持っている知識や理論、
つまり引き出しは以前より
圧倒的に多くなっています。
ただし、こと
「人の心動かし、影響を与える」
という意味では、
過去を振り返ったときに、
粗削りで情熱一点押しの時のほうが、
むしろ受講者を動かせた、
ということ、あったようにも
思ったのです。
そんなわけで、
「理論をたくさん知っているからといって
受講者の心を動かし、行動を促すことが
できるわけではない」
と思ったのでした。
■思えば、起業当時、
当時のお客様には大変失礼ですが
よくわからないけれども
膝をガクガクさせながら、
「リーダーシップ」や
「強みを活用する」の大切さを
声を張り上げて語っていたとき、
そこに理論や、研修プログラムの美しさは
ほとんどなかったにせよ
”何か感じていただき、
影響を与えることができた”
という感覚が
確かにありました。
■経験をかさねるほど、
プログラムの構造も整理され
そして受講者の反応も予測でき、
安定感も高まっている。
しかし、荒削りな当時と比べて
受講者に対して
圧倒的に価値を与えているかと言えば
「むしろ理論によって
理屈っぽくなった側面もあるのかも」
などと思ったのです。
■これはもちろん私の感覚なので、
実際どうかは、一側面しか見ていません。
ただ、理論や経験という後ろ盾を持つことで
抽象的な表現ですが、
たった一発しかない花火を打ち上げるような
そんな危機迫った雰囲気が
もしかすると弱くなっているのかもしれない
、、、とも思ったのでした。
■以前メルマガでも書きましたが、
学習科学の分野において
心理学者ジェロム・ブルーナーは、
以下のように語りました。
1,人間の根源的な認識には、2つの思考様式がある
2、それは、”論理ー科学様式”と、”物語様式”である
と。
すなわち、人は
「論理的に理解するパターン」と
「物語として理解するパターン」がある、
と言われています。
論理ー科学様式というのは
言葉通り論理の力を使うこと。
物語様式は、
そこに理論なものはないにせよよ
それらしさと言う迫真性がある、
と言うものです。
※参考バックナンバー:
『物語の学習理論 ~”理論と物語のアプローチ”の違いを考える~』
↓↓
https://www.courage-sapuri.jp/backnumber/9753/
■このことを、最近良く感じます。
きれいに整理し、伝えるだけなら、
そこに人の介在はいりません。
理論的に整理すれば良いけれども
こと研修等の言葉で人を動かす、
心に突き刺す、と言うことを考えた時は
それ以上の「何か」があると思います。
それは、
”研修講師との心理的距離の近さが
受講者の研修の理解に影響を与える”
という言葉では表現できない、
もっと深いものがあるように思います。
■青臭いようですが、例えば、
・本当にそれが大事と思って
心から伝えているか
・受講者一人ひとりのことを
真剣に考えているか
もっといえば、
・話す本人が1日1日、
真剣に生きているか、
みたいなことも、
影響するように思うのです。
■同時に、かといって
青臭く「情熱一辺倒」
だけでもいけない。
知性がない、ただの
暑苦しいおじさんになってしまいます。
それを考えると、
人を動かすには
上述の理論ー科学、そして物語のどちらについても
レベルが高い状態を実現していくこと、
それは言い換えれば、
【「アカデミックな理論」と
「荒削りな情熱」の絶妙なる一点を狙う】
という、職人にも似たスタンスで、
目の前の方々と対峙することが必要なのであろう、
と今週研修を続けながら思ったのでした。
■人に伝え、動かすためには
知識も理論も必要。
もっと勉強もしないといけない。
同時に、日々一生懸命生きなければ
それが声や表情に出てしまう、
そんな生っぽいものである、
とも思います。
このメルマガでも、実際の研修でも
語る言葉にずれがないよう、
改めて日々一生懸命、
たゆまず生きていかないといけないな、
そんなことを思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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<本日の名言>
重要な事は、必ずしも闘う犬の大きさではなく、
犬の闘争心の大きさである。
ドワイト・D・アイゼンハワー(第34代米国大統領/1890-1969)
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