学びの源泉とは、幼子のごとき「衝動」にこそある
(本日のお話 1513字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日はストレングス・ファインダー研修の2日目。
また、夜は大学院の打ち合わせでした。
*
さて、本日のお話です。
先日、現在の人材開発・組織開発につながる
哲学者デューイの考え方を学びました。
その代表的な著書の『経験と教育』の中で、
「衝動の重要性」
について書かれていました。
今日はそのお話について、
皆さまに学びと気づきをご共有させて
頂きたいと思います。
それでは早速参りましょう。
タイトルは、
【 学びの源泉とは、幼子のごとき「衝動」にこそある】
それでは、どうぞ。
■”『衝動』とは
行為の原動力として
究極の動的源泉である”。
、、、とデューイは
『経験と教育』(P112)において
語りました。
■時は遡ること100年前。
1900年前後の話です。
プラグマティズムの代表的哲学者デューイは、
「旧教育(伝統的教育)の
教師中心主義、教科書万能主義には限界がある」
として、
「子供の個性や興味、自己表現
”衝動”を尊重した学びを!」
と『進歩主義教育』の考え方を
確立しました。
■今でもよく言われる
「子供の自発性を大切にしよう」
「子供が自ら進んで
学べるように工夫しよう」
という教育の考え方は、
100年前、デューイによって語られたのですね。
、、、そして、今なお
その大いなるテーマ(課題)は
進行中のようです。
■さて、そんなデューイですが、
経験学習(経験から学ぶこと)について
「衝動(Impulse)が重要だ」
と語ったのでした。
例えば、幼い子供であれば
・「喋りたい」(言語の衝動)
・「何かを作りたい」(構成の衝動)
・「もっと深く知りたい」(探究の衝動)
・「何かを作り伝えたい」(表現の衝動)
という4つの衝動がある、といいました。
(参考:デューイ『学校と社会』P60-61)
そして、
1,Impluse
「正真の目的は衝動から生じる」
2,Observation
「環境を観察する」
3,Knowledge
「過去に得た知識と結びつくか探索する」
4,Judgement
「観察されたものと過去の知識を結びつけ意味づけ」
し、また次なる衝動が生まれる、
といったのでした。
、、、と堅苦しく
表現していますが、
これがしたい!という
「衝動」から始まり、
↓
その衝動で動いた結果、
「新しい体験」を経て、
↓
今までの経験と紐付けて考える
「新たな探求」になり、
↓
過去の知識と結びつけて
「新たな発見・気づき」等が起こり、
そして、
↓
もっとこれが「知りたい!」等
「新たな”衝動”」が生まれてくる。
、、、というわけです。
■まさに子供の頃の、
「もっと知りたい」
「もっと試してみたい」
「どういうことか探求したい」
という「衝動」こそが、
経験の原動力となっている。
すなわち、
”『衝動』とは
行為の原動力として
究極の動的源泉である”
とデューイが語ったのは、
実に納得であるな、、、
と感じたのでした。
■では、翻って、
私たち”大人”を考えた時に、
「もっと知りたい」
「もっと試してみたい」
「どういうことか探求したい」
という「衝動」は内側からあるだろうか?
、、、と思ったのでした。
もしかすると、社会に出て
10年、20年と経ち、
自分のやり方が確立され
それなりに上手にできるものの、
「衝動」はなく、
淡々と日々を送っている。
なんてことがあったとしたら、
「新たな経験」も
なかなか起こらないだろうし、
「新しい学習」も
やっぱり発生はしないのだろう、、、
と思ったのでした。
■経験が大事だ、
学びが大事だ、といいますが、
同時にその源泉となる
『自分の”衝動”はあるか?』
と問うてみるのも大切であろう、
と思います。
■生後約半年の
我が子を見ていても
まさに「衝動」の塊だと感じます。
新しい物事に触れ、
新しい世界を知り、
感情が揺れ動いていく。
これは見習うべきことが
たくさんあるなあ、、、と
ルンバのように這い回る赤子を見て、
そのように感じております。
身体は大人になったとしても
知的好奇心を常に携え、
幼子のように新しい”衝動”を
生み出し続けられる自分でありたい、
そのように感じた次第です。
『衝動』、大切にしたいものです。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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ウォルト・ディズニー(ウォルト・ディズニー社創業者/1901-1966)
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