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2832号 2021年11月22日

ただ「居ること」が与えてくれること

(本日のお話 2135字/読了時間3分)


■おはようございます。紀藤です。

昨日より読み進めている本で

『居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書』
(東畑開人/著)

という本があり、
心にぶっささっております。


妻から面白いと言われつつ
1年以上本棚に積読だったこの本。

10-11月の忙しさで
日々の疲れを感じている中で手にとってみて、
大切なことを思い出させてくれたような
そんな感覚を覚えました。

今日はそのお話について、
皆様にご共有させていただければと思います。

タイトルは、



【ただ「居ること」が与えてくれること】



それでは、どうぞ。



■ケアとセラピーに関する本。

タイトルは
「居るのはつらいよ」。

…はて、これ、
どういう意味だろうか?

と見た時に思ってしまいました。

、、、がその理由が実に深く、
納得なのでした。(それは後ほど)



■ちなみにこの本のあらすじは、

京都大学大学院で心理学のハカセ号を取得した
東畑さん(通称:トンちゃん)が、

沖縄の精神科デイケア施設に職を得て
そこでアカデミックな世界と違う、
リアルな現場での体験を綴ったノンフィクションの物語です。


ケアとかセラピーというと
なんだか重たい感じがするかも知れませんが、

著者のユーモアセンス溢れる表現で
漫画を読んでいるような気持ちで
どんどん読み進められます。



■さて、そんな本著の中で、

・ケアとセラピーの違い、

そして

・なぜ居るのがつらいのか

について、
考えさせられる一節がありました。


以下、引用です。

(ここから)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

おれは大バカだ。
なぜ彼女が僕に話を聞いてほしいと言ったのか。

それは彼女がデイケアに「いる」のがつらかったからだ。
だから、彼女はセラピーもどきではあっても、
何か「する」ことが欲しくて僕に相談を持ちかけたのだ。

そうすることで、デイケアに踏みとどまろうとしていたのだ。

(中略)

僕はあのときに、カウンセリングもどきなんかをするのではなく、
二人でデイケアに「いる」べきだった。

一緒に、退屈に、座っているべきだったのだ。
座っているのがつらければ、せめてトランプをやるとか、
散歩をするとか、何かしら一緒にいられることを探すべきだった。

ジュンコさんが求めていたのは、
セラピーなんかじゃなくて、ケアだった。

心を掘り下げることではなく、
心のまわりをしっかり固めて安定させてほしかったのだ。

「いる」のがつらいのは僕だけじゃない。

「いる」のがつらくって、
いろいろな声が聞こえてきてしまう人たちが、
ここに集まってきているのだ。


※引用:東畑開人(2019)『居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書』.医学書院
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(ここまで)

とのこと。

これは、デイケアで出会った

ジュンコさん、そしてカウンセリングのように
介入をしたことでデイケアを離れてしまった彼女について
回想したときのワンシーンです。



■そこに居場所がない、と思うと、

なにかを「する」ことで
自分の存在価値を示そうとする。

そうしなければ、
自分の存在価値を自分で
認めることができない。


ただ、そう思っている人にとって
「いる」のはつらいことである。


でも、本当に必要とされているのは、
それでも

”ただそこに「いる」”

ことである。

たとえ何もなくても、
ただ一緒にその場所に「いる」ことが
傷を癒やすことに繋がり、
自分の足で立つことに繋がる。



■それがケアとセラピーの違いであり、

ただ「いる」という行為で
傷つけずにそっと支える「ケア」と

介入するという行為で
傷に向き合う「セラピー」は違う

というお話。



■そしてこの話を読みながら、
私の新卒の頃の話を思い出しておりました。
(ちょっとした自己開示でございます)

私は新卒で某飲食店に入って
1年半たった24歳になるかならないかの頃、

自分の肉体と精神を疲弊させ、
逃げるように辞めてしまった経験がありました。

その時の自分は深く傷ついており

「俺はなんてダメなやつなんだ」
「最後までやりきれない中途半端なやつだ」
「結局何も続けられないのだ」

…と自分を攻め立てる言葉の
雨あられを自分に降り注がせていました。


■ちなみに、私、

出身は愛知、大学は九州、就職は関東

ですので、会社を辞めて
会社の寮がなくなったら、
関東に居場所はありません。

当時、両親は転勤でタイにいたため、
そこに行くわけにもいかないし、

かといって一人暮らしできる
精神状態でもない。


、、、よって、
私のいないところで母が色々と
話をつけてくれたようでで

東京に住んでいる母の姉妹である叔母の家に
居候することになりました。


■そこには、叔母、
そして小5従兄弟と中1の従姉妹がいました。

それから都営アパートで
同居生活が始まり、4人で過ごしました。

叔母は仕事があるので、
家にいえるのは早く帰ってくる
小5の従兄弟です。

しばらくは仕事もせず、
小5の従兄弟と公園で遊んだり、
ゲームをしたり、時間をともに過ごすことをしていました。


そのとき

「何気ない時間を
 何もせずに一緒に過ごしてくれる」
 
ことに、”癒やし”を感じたことを
覚えています。

その感覚を言葉にするならば、

「自分が何も出来ずとも、
 そこにいてくれる人がいる」

ことで、自分の存在意義を
感じる事ができたような感じでしょうか。


■そうすると

疲れて寝そべっていた自分が
腰を座らせて、
そして立ち上がり、

最初は仕事(アルバイト)を探し、
そしてまた就職活動をし、
社会へと戻っていった、、、

と振り返り、思い出します。


そしてリカバリできたのは

”ただ「いる」ことが
自分を支えてくれたこと”
 
だったかもなあ、、、

とこの本を読みながら、
脳裏に浮上してきたのでした。



■ただ「いる」というのは、

まさに幼子に対しての
母親の行為のようなものです。

おっぱいが必要なときに与えて
おしめを替えてあげて、

世界は安全なところだよ、
呼べば答えてくれるよ、

という”世界観”を作り出すような
土台となるような行為です。


そのような行為が、当人の後の人生に
どれほど大きな影響をもたらすのかは
知られていることでもあります。


■そういった目に見えない仕事を

「依存労働」
(母の役割のように機能的に分けられないもの)

と呼ぶそうです。

しかし、そういった「依存労働」は、
社会的な価値(金銭面において)を
低くおかれてしまう傾向がある。


老人相手の資産運用をしている
投資ファンドマネジャーの時給は高額でも

老人相手の日々のケアをしている
介護ケアスタッフの時給は少ない、

という現状がそこにはあります。

そんなこともその大切さも含めて、
非常に考えさせられるのでした


■心って本当に大事。

そのために「いてくれる人」の存在も
すごくすごく大事。

その価値を改めて
考えさせられた時間でした。


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<本日の名言>

人を高めるのは、苦難でなくて回復である。

クリスチャン・バーナード(南アフリカ共和国の医師/1922-2001)

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