メールマガジン バックナンバー

2842号 2021年12月2日

「強み」とはギフトであり、メッセージである

(本日のお話 2806字/読了時間3分)

■おはようございます。紀藤です。

昨日は7件のコーチング。
また夜は5キロのランニングでした。



さて、本日のお話です。

コーチングを実施する中で
色々な人の考えに触れて思うことは

「人はそれぞれ
違ったキャラである」

ということかと。

今日はそのお話からの気づきと、
思うことについて皆さまにご共有させて
いただければと思います。

それではまいりましょう。

タイトルは、

【「強み」とはギフトであり、メッセージである】

それでは、どうぞ。

■先日、『鬼滅の刃』の映画が
Netflixでテレビ化されていて、
それを見ておりました。

その中で、ある場面が
心に刺さるとともに、考えさせられました。

(見たことがない方は、何のこと?でしょうが
しばしお付き合いいただければと・・・)

柱(リーダーみたいな人)の煉獄さんという方の
幼少期の回想シーンです。

**

(体が弱く、長く生きられない病床の母が
煉獄さんに言う)

「なぜ自分が人よりも強く生まれたのか、わかりますか?」

「…わ、わかりません!」

「弱き人を助けるためです。
生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は
その力を世のため人のために使わねばなりません」

「弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です。
責任を持って果たさなければならない使命なのです。
決して忘れることなきように」

**

…というシーン。

”生まれついて才に恵まれたものは、
その力を誰かのために使わなければいけない”

というメッセージに、
「いいこというなあ」と深いものを
感じさせられたのでした。

■そんな中で、現実の世界に戻って、
最近のコーチングにおける、私(紀藤)の体験です。

あるマネジャーの方から、
こんなお話を聞きました。

いわく、

「小さい頃から、分析が得意だった。

今も客観的に物事を分析したり
1人で内省をしたりすることを
自然としてしまう」

「また、小説など人の深い心理も好きで
周りの人がこんな事を考えているんじゃないか
と裏の裏まで自然と考えてしまう。
自然とそうしてしまう」

その方のお話を聞いていると、

・他者の感情の動きに対しての
”洞察力”が優れている

・感情に振り回されずに、
冷静かつ客観的に物事を”分析する”ことに
優れている

と思います。

これは「与えられた才能」みたいな
ものだなあ、などと感じます。

(当人はそんな意識はないようですが、
外から見るとその人の抜きん出たところを感じるのです)

■一方、別のマネジャーの方は
こういっていました。

「相手の話を聞いてしまいます。

あんまり高らかなビジョンとか
語れるタイプではない。

ただその人が困っていることや
背景にどんなことがあるのかを聞いて、
それに合わせて対応するのは自然とやりますね」

とのこと。

その方とお話をしていると

・話の聞き方が”共感的”であり、
寄り添ってくれる感じ。

・自分のことを、人として興味を持って
質問してくれる感じがして話したくなる

と思わされる、言葉にできぬ魅力があります。

これまた本人は、
「別に周りに恵まれているだけですけどね」と言いますが、

意外と真似できない
「与えられた才能」だと感じてしまいます。

もちろん、本人の努力もあるけれど

”自然とそうしてしまう”

というところに、
「与えられたなにか」という雰囲気を
感じさせられます。

■そして、ついでの
私自身(紀藤)のことも書いてみると、

何かを説明したり、伝えることは
優れているとは思いません。

でも、

研修プログラムの開発や資料の作成をして
ひいひい言いながらやって、
気持ち的には、ちょっと億劫なこともあるのに、

「褒めていただける」

ことがしばしばあります。
(ほんとまだまだなんですが、、、)

まだまだだと自分の中で勝手に凹みますが、
とはいいつつ一方、

・何か物事を教えたり、説明している時は、
不思議と気持ちが高ぶる

・話をすると自分の中の
”回路”が回転し始めるような感覚がする。

という現象が、自然と起きてきます。

いつからか、と言われると、
いつからだろう、いう感じです。

ゆえに、これも自分で開発した、以上に
「与えられたもの」という側面もあるな、
と感じます。

■…とこれらの話から思うのが、

「与えられた強み」というのは、

1,自然とそうしてしまう

2,自分が大したことない、と思っていても
周りからすごいと言われる(ことがある)もの

3,こだわりがあるがゆえ、
時にしんどい思いをするエネルギーが強いもの

のような特性を持つのでは、

ということ。

そしてそれは、
誰しもがある程度
傾向として持っているのでは、

とも思うのです。

■それらの「与えられた強み」は

生きている社会の文脈によって

有用とみなされやすいもの、
そうではないものに

みなされる傾向は正直あると思います。

成長を求めたり、
大きくなることを求める社会では

”周りへ影響を与えていく”
”発信をしていく、巻き込んでいく”

みたいなことのほうが

優れている、評価される、
希少価値がある

とみなされるかもしれません。

■でも、

”誰かに対して優しい”
”寄り添ってあげられる”

なども間違いなく価値。

社会の文脈が違えば

子供を育てる
誰かを癒やす
支える

ほうがむしろ意味があることにも
十分なり得るとも思います。

■2021の流行語で

「親ガチャ」

という言葉がランクインしたそうです。

曰く、

”運の要素が強いカプセル式自動販売機の「ガチャガチャ」に例え、
子どもが親を選ぶことができないことを指す言葉。
家庭環境などの不公平を嘆くときに使う。 ”

とのこと。

■生まれ持った才能や気質の違いは、

”なぜそうなったのかわからないし
いつそうなったのかもわからない
でも、いつの間にかそうだった”

という意味では、
「ガチャ」みたいなものかもしれません。

数学な得意で、客観的で
分析が得意な人もいれば、

美術が得意で、繊細な感性を持ち、
相手の気持に人一番敏感な人もいる。

初期設定の”ガチャ”みたいなもので、
選ぶことはできないかもしれない。

■ただ、それでも

”なぜそうなったのかわからないし
いつそうなったのかもわからない
でも、いつの間にかそうだった”

ものに、

敢えて意味付けをするのであれば

「与えられたものを、
社会のために活用して生きよ」

という、鬼滅の刃の
冒頭のメッセージのようにも感じてやみません。

それを使って楽しい、
役に立てるという感情を
与えられたのであれば、

それを活用したほうがいい、という

”与えられたギフト”

みたいなもの、
とも捉えられるのかもしれない、、、

などと思ったのでした。

■与えられたものには、
何かの意味があるのかもしれない。

そう捉えて、

「自分がやっていて楽しいことを
どのように社会に役立てられるのか」

という問いに変えて

自分を活かす方法を考えると、
より自分をゴキゲンかつ快適に活用する方法が
見つかるようにも思います。

環境に自分が合わせることや

周りが求めることに
自分を合わせることを、

特に日本では求められがちですが
それだけではない生き方も、

ますます求められるし、
メインになってくるように思います。

自分に与えられたものはなにか。

大きい、小さいよりも
それが何かを考えてみたいな、

と改めて思った次第です。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆様にとって、素晴らしい1日となりますように。

==========================
<本日の名言>

雑草とは何か?
その美点がまだ発見されていない植物である。

ラルフ・ワルド・エマーソン(米国の思想家/1803-1882)

==========================

365日日刊。学びと挑戦をするみなさまに、背中を押すメルマガお届け中。

  • 人材育成に関する情報
  • 参考になる本のご紹介
  • 人事交流会などのイベント案内

メルマガを登録する

キーワードから探す
カテゴリーから探す
配信月から探す