心に残る人
(本日のお話 1564字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は組織開発の研修(受ける方)でした。
その他、キックボクシングジムへ。
夜は大学院の打ち合わせでした。
*
さて、本日のお話です。
ふと思うと、以前は親しくしていたのに
全然会ってない人いるな、と年の暮れも近づいた今、
頭をよぎりました。
その中で、
人との出会い
人に影響を与え、与えられる
ことについて、
思い出すことがありましたので、
今日はそのお話について、
皆さまに思うところをお伝えできればと思います。
それでは参りましょう。
タイトルは、
【心に残る人】
それでは、どうぞ。
■『夜と霧』
という本があります。
ナチスの強制収容所に
収容され、そして生き延びた精神科医の
ビクトール・フランクルが、
極限の状況下で
「人間とは何か」を見つめた
凄まじい本です。
*
強制収容所というと、
一方的に悪い、絶対あってはならない、
と善悪論になるところを
その中で起こっている看守も人間、
収容されている多くの人も人間、
では、なぜそういった事が起こるのか、
人にとって「希望」とはなにか
「愛」とはなにか、
…を考えさせられるのです。
※超絶オススメなので、
ぜひ読んでいただきたい一冊でございます。
『夜と霧』 新版
https://www.amazon.co.jp/dp/4622039702/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_4S37QJ0EHT2T7VEMSJ67
■さて、その中で
こんな一節があります。
著者のビクトール・フランクルが、
別の収容所に入れられた妻に
自分が看守から暴行を受けている最中に
思い馳せます。
妻は生きているかどうかも
わからない。
でも彼は、殴られながらも
”脳裏にありありと思い描く”
ことをしました。
そしてこうまとめています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
人は、この世にもはやなにも残されていなくても、
心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、
ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、
私は理解したのだ。
(中略)
人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を
精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。
(引用:『夜と霧』(著:ヴィクトール・E・フランクル)より)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
のことと。
■こんな経験は
ほとんどの人はないのでは
なかろうか、と思う一方、
近しい感覚は、
実は私達も感じることが
あるのではなかろうか、
とも思ったのです。
*
例えば、私の例で恐縮ですが、
もう長らく会っていない友人がいます。
自分が多大な影響を受けた友人で
なぜかふと思い出します。
事あるごとに、感謝をしている。
気づけば、それぞれ家庭が出来たり、
コロナ禍で直接会う機会が
減ってしまったり、
あるいは彼の仕事上、
なかなか気軽に会える感じでもない。
要因は様々なことがあるのですが、
「しばしば思い出す」
のです。
■そして、そのときに
「今元気かなあ」
「今も絶賛、自分の領域で
頑張っているのだろうな」
と思い巡らせるとき、
自分の心の中で想像をしたとき
”彼は自分の中にいて、
確かに存在している”
と実感するのです。
そしてそれは、
別の影響を受けた人に対しても
その人が亡くなっているとしても、
やっぱり同じ感覚を覚えます。
しばしば、
「自分の中で生きている」
という表現をすることがありますが、
実際そうなんだろうな、、、
と感じます。
■ビクトール・フランクルの
”この世に何も残されていなくても”
とか、
”面影を思い起こすことで
至福の境地に到れる”
とまでは言えませんが、
”内に秘めた人の面影を
呼び出すことにより、満たされる”
という感覚は、もしかすると
万人が持っている力なのかもしれない
などと思います。
■そう思うと、
たとえ人生の一時期、
時間を共にしただけであったとしても、
あるいは今は会うことはない
存在だったとしても、
”誰かと関わり、影響を受け合う”
ことは、やはり
すばらしきことだなあ、
などと感じるのでした。
そして同時に、
それが身近な人だけだったとしても、
自分自身も思い返されて
エネルギーを与えられるような
【心に残る人】
になりたいものだ、
などと思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆様にとって、素晴らしい1日となりますように。
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<本日の名言>
人生には唯一だけ疑いのない幸福がある。
人のために生きることである。
レフ・トルストイ(ロシアの小説家/1828-1910)
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