「学び」を己の血肉にする方程式
(今日のお話 1682文字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は愛知へ出張でした。
市をまたいで2件のアポイント。
そして夜は、そのまま岡崎の実家へ。
半年ぶりにお会いした、
愛知の某大手企業のTさんとお話をした際、
「知っていることを、
できるようにするためには、
どうしたらよいか?」
というディスカッションになりました。
改めて、その難しさを考えるとともに、
”定着化のポイント”について、
思う事がありましたので、
本日は、
「学びを自らの血肉にすること」について
考えたことを共有したいと思います。
■営業研修だろうが、
英語学習だろうが、
マーケティング理論だろうが、
多くの学びにおいて、
”その学びが自分のものになるかどうか”
(知っているだけでなく、できるようになるかどうか)は、
【「インパクト」×「回数」】
という方程式で表すことができるのではないか、
と思っています。
「インパクト」というのは、
言葉の通り、学びを得たときの”衝撃”。
言うならば、
何かを学んだ時、
あるいは体験した時に、
「目からウロコだ」どころではなく、
「”顔面にどキツい平手打ち”を喰らったようだ」
「冷たい氷水をぶっかけられたかのように、目が覚めた」
「一生忘れないと思わされる衝撃だった」
「涙が止まらないほど、胸に深く沁みわたった」
というように激しく感情揺さぶられたとしたら、
きっとそこで学んだことを忘れづらいでしょう。
言い換えれば、
自分のものになる確率、
研修業界風に言えば「定着化する確率」も、
高まります。
ですから、
「学んだその瞬間のインパクト」
それが方程式の一つの変数になります。
■そして、もう一方の変数である「回数」。
これは、何でしょうか。
そのままなのですが、
繰り返した回数ですね。
要は、”反復が大事”という話です。
人は忘れる生き物。
だから、どんなに印象に残ったと思っても、
少しずつ、その記憶は忘れていきます。
英語でも、
簿記でも、
エクセルの使い方でも、
マーケティング理論でも、
7つの習慣でも、
テニスのスイングでも、
繰り返さなければ、忘れていくもの。
だから、学びを身につけるためには、
まるで小学生が「算数ドリル」をこなすかのごとく、
たくさん練習をする必要があるわけです。
■そして、ここからが
今日一番お伝えしたいことなのですが、
では、
「”インパクト” or ”回数” どちらがより大事なのか?」
と考えたときに、
どちらがより大事なのでしょうか。
もちろん、どちらも大事です。
でも、敢えてどちらかを選ぶとしたら・・・。
これは正解ではなく、
あくまでも私の持論ですが、
より重視すべきなのは、
【回数をこなすこと】
である、と強く思うのです。
なぜか。
それは、
<どれだけインパクトがあったとしても、
繰り返さなければ、自分のものになることは、
”ほぼ間違いなく”ない>
からです。
誰もが幾度となく、
それなりのインパクトを持った経験をします。
例えば、
・海外旅行に言った。英語が必要だと肌で感じた。
とか、
・運動会で全然走れないと気付かされた。体力はやっぱり大事だと、心底思った。
などなど。
しかしながら、
いつぞやの日の、ある瞬間、
「やったほうがいい!」
と熱烈に思ったことですら、
刺さったトゲが自然と抜けるように、
その想いは自然と薄くなってしまいます。
これは避けようもない事実。
だからこそ、
「自分のものにしたいと思った学び」
を己の血肉にするためには、
とにもかくにも、
”「回数」をこなす事を避けて通れない”
と思うのです。
■「7つの習慣」において、
効果的な人生を送るための一つのヒントとして、
『”影響の輪”に集中する』
という考えをお伝えしています。
人生を一瞬で変えるような
小惑星激突なみの「インパクト」に出会うのは、
ある意味偶然。
一生に数回、あるかないかくらいで、
コントロールをすることは難しい。
しかし、学びを自らのものにするために、
「回数をこなす」ということであれば、
自らコントロールできる、
『影響の輪』に入ります。
学びを形にするためには、
・「インパクト」×「回数」。
・そして、「回数」のほうが、比較的コントロールが可能。
という話でした。
結局、昔から言われるように、
「地道な日々の努力」が大事なのでしょうね。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も皆様にとって素晴らしい1日になりますように。