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3170号 2022年10月26日

科学とは「人間の価値」に関わるものである ー『人間性の心理学』マズロー 第2章より

(本日のお話 2205字/読了時間3分)


■おはようございます。紀藤です。

さて、本日のお話です。

今日は

『人間性の心理学 ーモチベーションとパーソナリティー』
(A.H.マズロー,1987)

の第2章からの学びを、
ご共有させていただければと思います。

それでは早速まいりましょう!

タイトルは



【 科学とは「人間の価値」に関わるものである ー『人間性の心理学』マズロー 第2章 】



それでは、どうぞ。



■今回のお話は、


『科学における問題中心的傾向対手段中心的傾向』


という章からの学びの共有です。


■、、、はい、
私は当初この章のタイトルを見て
実は読む気がなくなりました(笑)

「ちょっと何言っているかわかんない」と
自分の中でサンドイッチマンが
ツッコミを入れておりました。


がしかし、読み進めてみると、

実に「確かにその通り!」と共感、納得できることが多く、
胸の奥で高揚感を覚える内容で、
良い意味での裏切りがありました。



■では、何が書いてあるのか?

といいますと、

マズローの当時の
「科学」に対する見方への嘆き、
心の叫びのようなものが語られておりました。


以下、「科学」について
マズローが語っている内容となります。

著書より引用いたします。

(ここから)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
”手段中心化傾向は、
科学を階層化する強い傾向がある。
 
全く有害なことなのであるが、
物理学は生物学より「科学的」であると考えられており、
 
生物学は心理学より科学的であり、
心理学は社会学より科学的である
とされるのである。
 
このような階層の仮定は、
的確さ、完成度、技術の精巧さに基づいてのみ可能である。

※A.H.マズロー(1987)『人間性の心理学 ーモチベーションとパーソナリティー』P18,21)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(ここまで)


マズロー曰く、

的確さ、完成度、技術の精巧さにのみよって
「科学的」とされる”手段中心化傾向に、

「全く有害なことなのであるが」というように、
嘆きのような歯がゆさのようなものを覚えているようにも
読みながら私は感じました。



■更に、よりマズローの心情を形にするような表現で、
次のような記述もありました。

続けて引用いたします。

(ここから)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最近の、国立研究財団を設立しようとする
議会側の尽力による討論においてさえ、

ある物理学者達は、心理学や社会科学は
すべて十分に「科学的」ではないという理由で、
その恩恵から外すべきだと主張したことがある。


このようなことが言えるのはほかでもない、
洗練された成功した技法だけを
排他的に尊重しているからであり、

また科学のもつ疑問をなげかける性質や
科学が人間の価値観・動機に根ざしていることへの気付きが、
全く欠けているからである。


私は一心理学者そして、
友人の移り学者からのこのような愚弄を
どう解釈したらよいのだろうか?

(P25-26)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(ここまで)



■マズローも、どうやら
友人の物理学者からモヤモヤする言葉を
言われたようです。。。


”友人の物理学者からの愚弄”
と言葉にしているところからも

マズローの、

「洗練された成功された技法を尊重するだけが
 科学ではない!!」
 
という思いが透けて見えるようです。

「科学とは目的的であるべきであるし、
 人間の役に立つもの、すなわち
 人間の価値感・動機に根ざしていること」

であるべきではないかという彼の信念が伺えます。



■ちなみに、この話を読みながら
私(紀藤)も、心の中で何度も、
うんうん、と頷いておりました。



私の話で恐縮ですが、
現代でも似たようなことはあるものです。


少し前に、あるキャリア系の研修
(自己認識を促すもの)の中で、

研修の受講者からこのような
コメントをいただいたことがあります。

ニュアンスとしてお伝えすると、

「私は物理学とか、
 相対性理論を学んできている。
 
 こういった自己啓発的な
 非科学的なワークは信用していない」

という明らかに斜に構えている方に
対峙したときがありました。



■その時、自分が思ったのが、
まさに先程マズローが語ったような、

「”正確に説明ができること”だけが
 価値があるとは言えないのではないか」

という気持ちでした。


人間社会で生きる以上、
誰かと関わっていくことは避けられないし、

そうしたことを探究する
心理学、社会学だって役に立つからこそ、
研究されてきたわけであり、

それを意味がない、とみなすようなことは、
それこそ偏ったものの見方ではなかろうか、、、

そんな風にモヤモヤしたのでした。


また、そうした心理学、社会学を
揶揄する表現を含んだ”自己啓発”と
片付けられてしまうことへのもどかしさもありました。



■そして、同時に今気づきましたが

そうした前提
(=物理学のほうがより科学的というような科学の階層化傾向)が
現代でも今なお影響していることを認識しましたし、

自分がそのことについて
その方の信念に弾き飛ばされない形で
どのように伝えればよいのかわからない自分も
いたことも思い出しました。



■そんなことも、もしかすると、


お互いが立脚する認識論まで降りていって

科学をどう捉えているのか。
手段だけを科学とみなしてはいないか、
実証できるものだけをより科学的としていないか、

という前提まで降りた上で 
このマズローの第2章から考えさせられる


『科学とは「人間の価値」に根ざすものである』


という主張を持った上で対話したとすると、
もしかするとお互いの状況も理解し合えるのかもしれない、

、、、そんなことを妄想の中で
過去にタイムスリップをして思ったのでした。



■オックスフォード大学の
 サー・リビンストンによれば

「技術者とは
 ”自分の仕事について何でも知っているが、
 その仕事の究極的目的と宇宙の秩序の中で
 占める位置については知らない人” である」

と語りました。

手段・方法だけにとらわれないこと。
より大きな視点で見られるようになること。

その姿勢を大事にしたいですし、
そうしたスタンスをもってこそ、
「科学」を包括的に語れるようになるようにも思います。

洗練された技法も大事ですが、

科学とは洗練された技法だけを
意味するのではないことを

自分自身の学びの中でも
寄り添う言葉として持っておきたい、
そのように思った次第です。


最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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<本日の名言>

まったく違う知識や考えを持った人と、
まず対話できることこそ大事だ。

盛田昭夫(SONY創業者)

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