両親の仲
(今日のお話 1384文字/読了時間1分半)
■おはようございます。紀藤です。
もうすぐメルマガを始めて、
600回を迎えようとしています。
この取り組みを始めてから、
数えきれない方々とご縁を持たせて頂く機会が増え、
本当にやっていてよかったな、
と思う今日この頃です。
この「人の輪」を広げるべく、
友人のエンジニアに専門サイトを作ってもらったり、
また送信を短時間にたくさん送れるシステムを構築してもらうなど、
水面下で色々と取り組みをしております。
そんな中、色々と予想しないエラーも正直、発生しております。
「配信できていない」「重複送信がある」など、
ご迷惑をおかけしてしまった皆さま、
この場を借りてお詫び申し上げます。
新しいことをすると、予想外のことも起りますが、
よりよい仕組みを作るべく、引き続き頑張りたいと思います!
■さて、本日のお話です。
最近、「いい話」を発掘することに、
ハマっております。
これもまた、しみじみと考えさせられる「いい話」を見つけましたので、
皆様に共有したいと思います。
では、どうぞ。
【両親の仲】
両親は、仲が悪いのだと思っていた。
冷たく見えるぐらい素っ気なかったから。
両親の兄弟姉妹などから、
幼なじみで大恋愛だったとか、
周りの反対を押しきって結婚したんだとか聞かされても、
到底信じられなかった。
母が子宮癌で手術を受けた。
手術の終わる時刻を見計らって病院へ行くと、
父が母のベッドの傍に座り、
好きな歴史小説を読んでいた。
麻酔から覚醒したのか、母が痛い痛いと呻きだした。
父は即座に小説を閉じ、母の右手を両手で包み込んだ。
『ユミ、大丈夫だよ、ユミ…』
まだ意識が戻りきっていないながらも、
父の声に母が反応して答えた。
「タカちゃん…痛いよ…タカちゃん…」
父と母が名前で呼び合うのを聞いたのは、
それが初めてで、最後だった。
母の通夜の後、
棺の中の母の頬を何度も何度も父は撫でていた。
黙って撫でていた。
■いかがでしたでしょうか。
私はこの話を聞いて、
表面では見えない「絆」について、
考えさせられました。
夫婦だけでなく、
職場関係でも、友人関係でも、
あらゆることには、”表”と”裏”があるように感じます。
そして”仲の良さ”などについて言えば、
色々なコミュニケーション、例えば、
「笑顔」「会話」「傾聴力」などの、
表面的な行動がなされているかどうか、
それがいわゆる”表”のようなイメージ。
この部分で、仲が良い悪い、
いい人だ、冷たい人だ、などが
判断されがちなようにも思います。
(それがいいとか、悪いとかという話ではありません。)
■しかしながら、同時に思うのが、
とある人が、
無口で気の利いた会話ができない人だとしても、
口が悪くて厳しくて、とっつきづらい人だったとしても
頑固で融通がきかない気難しい性格だったとしても、
その人が持つ、目に見えない、
”相手のことを誠実に思いやる姿勢”や、
”相手を尊重し大切に思う気持ち”、
”苦楽を共に過ごした月日”
(=目に見えない、という意味で 裏” )
などは、表面的な”表”のテクニックを超えて、
相手に伝わるのではないか、
そんな風に感じるのです。
■「7つの習慣」では、
『表面的なスキル(=「個性」とよんでいます)』
も大事ですが、それ以上に、
『目に見えない、自分自身のあり方(=「人格」とよびます)』こそが、
人生をより良くするエッセンスなのではないか、
そのように言っています。
そして、ご紹介した
上記のお話も、この原則と通ずるところがあるようにも思うのです。
たとえ目に見えづらくても、
大切なものは伝わっているはず。
表面的な事に囚われがちな世の中だからこそ、
目に見えない姿勢物の大切さは、
常に忘れずにいたいものですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も皆様にとって素晴らしい1日になりますように。