120~170kmの区間、私は確かにリーダーだった
(本日のお話 2382字/読了時間3分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は、立教大学大学院の授業、
『ケースで学ぶリーダーシップ』
の4日目のオブザーブ参加でした。
また久しぶりに懇親会にて
17時~17023時近くまで飲み続けましたが、
実に楽しい時間でした。
(お付き合い頂いた皆様、
ありがとうございました!)
*
さて、本日のお話です。
今日も昨日に引き続き、
上記の授業からの学びについて
皆様にご共有させていただければと思います。
テーマは、授業の内容の通り
「リーダーシップ」
です。
それでは早速まいりましょう!
タイトルは
【 120~170kmの区間、私は確かにリーダーだった】
それでは、どうぞ。
■物語は、心が揺さぶられますね。
この4日間の授業は
ケーススタディを深掘りしつつも
Zホールディングスの本間浩輔先生による
(著書『Yahooの1on1』)
自分では想像できないリアルな経験と
そこから編み出される教訓に
大いなる刺激を受け、考えさせられたのでした。
(色々ありすぎて、
なかなか整理ができません、、、)
■さて、多くのことを
考えさせられた中でも
「リーダーシップ」
についてはこの時間で
これまで考えてこない視点で
考える機会を頂いた、と感じています。
特に印象に残ったのは、
こんなお話です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<ウォーレン・ブランクが語るリーダーシップ>
1)リーダーには喜んで従う部下がいる
2)リーダーシップは、相互作用の場である
3)リーダーシップは、一つの出来事である
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
、、、とのこと。
■簡単に解説しますと、まず1つ目の、
1)リーダーには喜んで従う部下がいる
は、
”フォロワーがいるからこそ
リーダーは、リーダーである”
というお話ですね。
そして2つ目は
2)リーダーシップは、相互作用の場である
です。
お互いの信頼関係、
その時に与えられた権限、立場
チームメンバーの力量、コンディション等によって、
ある特定の人でも、
リーダーシップが発揮されるときもあれば
そうではないときもある、という話。
そして、3つ目が、
3)リーダーシップは、一つの出来事である
ということ。
「永久持続的なリーダーシップ」などはなく、
”あるときにフォロワーがおり
リーダーシップを発揮しているときがある”
ということで、
ある時優れたリーダーシップを発揮していても、
違う時になったらリーダーシップを発揮しない、
ということは大いにあるわけです。
■このシンプルな3つの条件。
シンプルですが、
これをお勉強にしないために、
自分自身の体験を振り返り、
「自分がリーダーシップを
発現させていた瞬間とはいつだったのか?」
を考えてみました。
■すると、あるエピソードが
思い浮かびました。
それは、
「みちのく津軽ジャーニーラン」
(7月に参加した263kmマラソン)
でのエピソードです。
もっと詳しくいえば、
『 120~170kmの区間、私はリーダーだった』
というお話です。
※参考バックナンバー:
「股間の痛みとリーダーシップ」海岸線の苦行 ~263kmマラソン体験記(3)~
https://www.courage-sapuri.jp/backnumber/11299/
■簡潔にお伝えすると
7月に参加をしたウルトラマラソンで、
「魔の区間」と呼ばれる場所に
海岸線沿いの120~170km地点がありました。
このときを振り返ると、
以下のような状況でした。
・120km地点からは、延々と続く海岸線。
皆が疲れている状況。
・特に息が上がり、
苦しがっている仲間もいた
・チームの共通の目的は
「一人でも多く完走すること」だった。
そしてそのとき、
・その時、自分(紀藤)は元気だった。
・これまでサポートしてくれた仲間に役立ちたい
と思っていた。
・自分が前に出て、ペースメーカーとして
電柱ゲーム(=400m走って100m歩くルール)を先導していた
・その行為は、
チームの目指す結果(=それぞれが完走する!)
に資するものであった
という条件が重なり、
「声をあげて前に出るという行為を
意図的に行う(=演じる)」
ことになったのでした。
のでした。
■すると、”その状況においては”
”自分がリードし、
周りがフォローする”
という構造になり、
結果的に先述の3つの条件、
1)リーダーには喜んで従う部下がいる(部下ではないですが)
2)リーダーシップは、相互作用の場である
3)リーダーシップは、一つの出来事である
が満たされていように思ったのでした。
レース後に
「あの時の紀藤は頼もしかった」
と共に走った仲間からのフィードバックからも、
『120~170kmの区間、私は確かにリーダーだった』
と思ったのでした。
(ちなみに170km地点からは、
”股間の股擦れ”のダメージにより、
「ごめん、先行ってて・・・」と
私のリーダーシップは終了したのでした。
=3)リーダーシップは、一つの出来事だった
というお話ですね)
■こんな振り返りを通じて、
「リーダーシップ」について
改めて思います。
それは、
「リーダーシップとは、
チームの結果に繋げるための、
ある特定の期間の一つの行為である」
ということ。
「リーダーシップ」というとカッコいいし、
それを発揮することがよい、という
暗黙の前提があるようにも思います。
しかし、それは一つの手段にしかない、と思います。
今この瞬間、結果につながりそう
チームを導き、結果を出す上ことに資する、
そうした条件が整った時
あるいは整わせるために、
意識して、リーダーシップを発現させる、
それがリーダーシップ、
とも言えそうです。
■リーダーシップを
崇高なものと捉えるのではなく、
状況に応じて
「意図的に使うもの」
と考えると、
チームにも貢献できる幅も
もっと広がりそうだな、
とも思います。
リーダーシップを使うときは
人に影響を与えるため、
やっぱり気合を入れる必要もありますし、
ドラゴンボール言えば界王拳、
あるいはスーパーマリオのスターように
自らのエネルギーをぐっと前に押し出すので
やや疲れはするものですが、
そうした「自分のモード」を
もっと操れるようになれるとよいな、
そんなことを思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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<本日の名言>
本当に腹底から出たものでなければ、
人を心から動かすことはできない。
ゲーテ
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