”苦行僧のごとき肉体の追い込み”を、自らに強いる必要はない
(今日のお話 1776文字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
先日は2件のアポイント。
並びに「7つの習慣」研修の実施の立ち合い。
夜にはメルマガサイト「未来習慣」を改善すべく、
WEBやデザインに詳しい元同僚に
相談をしておりました。
できることは、まだまだありそうです。
プライベートな話ですが、
私が趣味の運動(テニス)をするようになってから、
体が健康になり、気分にも波がなくなっている気がするな、
とふと思いました。
本日は、
「体が心に与える影響」
について、
思うことがありましたので、
皆様に共有したいともいます。
では、どうぞ。
■「体と心は密接に繋がっている」。
この話は、
よく聞く話の一つになってきました。
恐らく皆さまも、
無理をした翌日や、睡眠不足の日などは、
・気分がすぐれない
・モチベーションが上がらず生産性が低い
・ネガティブ思考に囚われてしまう
という気分になった経験、
あるのではないでしょうか。
最近は脳科学的にも、
「心と体の関係」が明らかにされてきました。
だからこそ、
”仕事の生産性を高めるためにも、
健康管理や適度の休養は必要である”
として、
・連続勤務を避ける、
・運動や早起きを推奨する、
という会社が増えてきたのでしょう。
”忙しさを、気合で乗り切る”
という考え方は、
もしかすると時代遅れなのかもしれません。
■そして、「休養の大切さ」を考える上で、
私は、どうしても思い出してしまう
過去の苦い経験があります。
それは、私が新卒で入社した、
某飲食チェーンで働いていた時のことの話でした。
当時の私は、
「睡眠時間など、気合でカバーできる」
「眠くなるのは、気持ちが弛んでいるからだ」
「3時間しか寝ていない店長は元気。同じ人間なんだから自分もできるはず」
と、体育会系まっしぐらな考えで
染まり切っていました。
実際、今よりも若く体力もあったので、
ある程度頑張れたのも事実。
ですが、
「気合で体を統制する」ということを
繰り返し続けた結果、
今振り返ると恐ろしいほど、
”気分の落差が激しい毎日”
になっていたことに、
過ぎてみて、ふと気が付いたのです。
■ある時は、気合十分で、
「みんな、店をもっと良くするぞ!!」
と盛り上がり、
燃え上がる気持ちに任せ、
朝6時まで働いたりしました。
「よし、明日もがんばるぞ!」
そう気合を入れ直して、1日を負える。
しかし、その時の気持ちはどこへいったのか。
来たる翌日には、
全く逆の気持ちになっている。
眠気と疲労感に体を蝕まれ、
ネガティブ思考に囚われている。
「簡単に店も人も変わらない」
「こんなに疲れて、何のために働いているのか、わからない」
「キャベツを切り続けて、成長などできるのだろうか」
と、前日と打って変わった、
鬱々とした気持ちに浸食されてしまう。
「おかしい。こんなはずじゃない」
そう、自分で自分を奮い立たせようとしても、
どうしようもならない。
睡眠時間 平均4時間弱の生活と、
そして、12時間以上の立ち仕事である肉体労働により
完全に肉体が疲れ、
それに連動するように心が疲れていった。
そして、
そんな毎日を繰り返すうちに、
全身に発疹が出たり、
今までに感じたことがない心労を感じるなど、
明らかに良くない変化も現れ始めました。
「気持ちで体を征服しよう」
そう頑張っても、
私にはそれはできなかったわけです。
気持ちで何とかできても、
それは一時的なものにしか過ぎない。
思い返して、そう思うのです。
■冒頭にお伝えしましたが、
「体と心は密接に繋がって」
います。
だから、
かなりの心の強さ、
肉体の強さの持ち主でなければ、
基本的に、
気持ちで体を奮い立たせ続けることは難しい。
バランスを取らない限り長期戦は難しい。
そう思ってなりません。
仕事も、人生も、
短期でなく、長期戦。
走り続けられてこそ、
良い結果を生み出し続けることができます。
短距離走を全力で走っても、
途中でバテて倒れてしまったら、
それこそ本末転倒のはず。
私たちは苦行に耐える修行僧のように、
心で体を支配するようなプロではありません。
だからこそ、
心と体のバランスを考え、
”自分にとって、
理想的な休養、睡眠、働き方のリズムが
何なのかを考えること。”
これは、結果を出し続けるためにも、
重要なことではないでしょうか。
苦行僧のような、肉体の追い込みを、
わざわざ自らに強いる必要はありません。
気持ちが大事なことはいうまでもありませんが、
良く寝て、良く休むことも同様に大事だと、
改めて思う次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も皆様にとって素晴らしい1日になりますように。