褒められても、怒られても、気にしない
(今日のお話 2153文字/読了時間3分)
■おはようございます。紀藤です。
今日は”天赦日(てんしゃにち)”。
日本の暦の上で最上の吉日で、
年に数回しかない大変縁起の良い日だそうです。
ウィキペディア(暦注下段 - Wikipedia)によると、
『この日は、百神が天に昇り、
天が万物の罪を赦(ゆる)す日とされ、最上の大吉日である。
そのため、天赦日にのみ「万(よろづ)よし」とも注記される。』
と書かれており、年に5~6回しかない貴重な開運日のよう。
何だか良いことが起りそうな予感です。
*
ちなみに、この週末は
定例のコーチング(受ける側)と、
また管理職の方向けの「第8の習慣」研修の
実施立ち合いでした。
改めて思いますが、
コーチングでも研修でも、
”それが終わってから、何をするか”
が勝負ですよね。
行動を変えなければ、
結果が変わるはずもありません。
(百神も行動する人を応援してくれるはず)
受講された皆さまが、1つでも2つでも実行され、
現状をより良いものにしていかれること、
心より応援しております!
■さて、本日のお話です
久しぶりに、
昨年のベストセラー本でもあり、
かつ私の大好きな本である
『嫌われる勇気』
という本を読んでいました。
この本では、
アドラー心理学という
「7つの習慣」のコヴィー博士も影響を受けた、
人生をより良くするための考えが提案されています。
そんなアドラー心理学の目的の一つは
「自立すること」だそう。
そして、”自立する”ために
大切な考え方の一つとして、
アドラー心理学が提唱しているのが、
「承認欲求を否定すること」
である、という話が
言われているのです。
すなわち、
”褒められたり、認められても、
それで嬉しくなったりしない”
それが
「真に自立する上で大事なことである」
そんなお話です。
前置きが長くなりましたが、
今日はこの話について思うことを、
私の友人の、とあるエピソードを交えて、
お伝えさせて頂ければと思います。
それでは、どうぞ。
■私の友人で、
100万PVを誇るブログを運営している人がいます。
「100万PVのブログ」というと、
イメージが付きづらいかもしれませんが、
かなりのレベルです。
(ブログのジャンルにもよりますが、
広告収入で月100万円近く生み出すこともあるそう。)
そんなメガ・ブログを運営している彼は、
数年前、「とある記事」を書きました。
「とある記事」とは、
非常に論議を醸し出すイベントに参加し、
その体験レポートを書いた、という内容。
(残念ながら、ここでお伝えするのは
憚られる内容でございますので、伏せさせて頂きますね)
すると、これをきっかけに
ブログが大炎上。
インターネットで拡散され、
1日1000万回も見られるほどの事件となり、
日々、罵詈雑言の嵐が掲示板に飛び交うように。
様々なメディアからも連絡があり、
極めつけは、ロイター通信社からも、
問い合わせのオファーがあったとか。
*
しかし、幸か不幸か、
その事件のおかげで、
彼のブログを訪れる人が急激に増えました。
そして現在の人気サイトに育ったそうです。
そして今では「批判」でなく
寧ろ、すごいねと「賞賛」を貰えるようになった。
そんな彼が、
まだ癒えきっていない
生傷を振り返りながら、
興味深いことを語っていました。
「あのブログの事件は、かなりキツかった。
当時は毎日のように、
とんでもない罵詈雑言が毎日書きこまれて、
心が折れそうになった。
よく「人から批判を気にするな」というけど、
それはその通りだと思う。
・・・ただ、改めて思った。
「人からの批判を気にしない」ためには
言い換えると、同時に、
【褒められても、気にしない】
ようになる必要があるんじゃないだろうか。
じゃないと、
「誰かの意見に左右される」ことになる。
”人から褒められても、けなされても、
何とも思わず、ただ自分の信念に従って、
粛々と行動できるかどうか”
これが動じずに強く生きるために、
究極の目指す姿なのではなかろうか。
色々あって、最近、
そんな風に思うようになったんだよ。」
・・・
そんな話をしていました。
■さて、冒頭にご紹介した、
『嫌われる勇気』のアドラー心理学。
そこでは、
「承認欲求を否定する」
ことが、「自立」に繋がる、
という話でした。
そしてこの話は、
先述の友人が語った、
”人から褒められても、けなされても、
何とも思わず、ただ自分の信念に従って、
粛々と行動できるかどうかが大切”
という話と通ずるように思ったのです。
「誰かが褒めてくれるから、やる」
「誰かに怒られるから、やらない」
もしこれが行動をするかしないかの
全ての選択基準になったとしたら。
「誰かが褒めてくれるから、嬉しい」
「誰かに怒られるから、悲しい」
これが自分の価値観の、
全ての軸になってしまったとしたら。
もちろん人は関わり合いの中で生きているから、
完全に切り離すことはできないかもしれませんが、
「他人の価値観」に、
自分の人生を合わせることになってしまうことは避けたいもの。
■簡単ではないかもしれませんが、
『誰にも褒められなくとも、
逆に反対があったとしても、
やるべき、やりたいと自分が思う事は何か』
こんな基準で考えて、
常に自分を律し動けたとすると、
「本当に真の太い、自立した生き方」
が出来るのかもしれない。
アドラー心理学を読みながら、
そんなことを感じた次第です。
変化が激しく、
価値観も変わりやすい世の中だからこそ、
”自分の軸”をしっかりと持ちたいものですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も皆様にとって素晴らしい1日になりますように。