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3811号 2024年8月1日

「ただ、一緒に居る」というコミュニケーション

(本日のお話 1654字/読了時間2分)

■こんにちは。紀藤です。

先週は5日連続の研修でなかなかたいへんだった・・・なんてと思っていたら、今週も4日間終日研修等々で、気づけば前へ前へと駆り立てられているような日々でございます。

自営業あるあるの「朝も夜もひたすら働いてしまう」。悪くはないのですが。これを繰り返すと、私生活であることが起こります。
それは「息子(3歳)がワタシに冷たくなる」という現象です。

「おとうちゃん、あっちいって」
「おとうちゃん、仕事して」
「バイバイじゃ、ない!」

玉ねぎが目に滲みるような、心に滲みる言葉が放たれます。
子どもは、素直にリアクションしてくれます。よって、距離が開くと素直によそよそしい反応になるんだなあ、と切なくも感じるのでした。

その中で、心の距離を縮める、ちょっとした工夫に、先日ふと気づきました。
今日はそのお話と、気付きについて書いてみたいと思います。個人的な話ですが、よろしければお付き合いください。それではまいりましょう!

■「一緒に居る」ということ

話が飛ぶようですが、子供に対する、YouTubeの威力は凄まじいです。
子どもを本能レベルで、一瞬で惹きつけるため、こちらが忙しいときは、よくないなと思いつつ、つい頼ってしまいます。

先日ら私が夕方仕事をしていると、妻が食事の支度をするので、その隣の部屋では、子どもがYouTube(Kids)の動画を見ている、という場面がありました。

子どもが食い入るように動画を見ていると、「特に絡むことがないなあ」と思い、自分の仕事をしがちでしたが、ふと親子の触れ合いが恋しくなり、ふと息子のそばに、マットレスに横になりながら、一緒に動画を見ていました。

すると、息子が反応します。「ティティポだよ」「有楽町線だねえ」「ロードローラーなんだよ」と動画を見ながらも、独り言のようにつぶやく。どうやら、存在は認識してくれているのだな、と気づくのでした。

■コミュニケーションとは「対話」だけではない

その後、夕食を食べながら妻と話します。

「なんか一緒にゴロゴロしたら、ゆづさん(息子)との距離が縮まった気がするわ」。

すると妻いわく「一緒に居るって大事だよね。その時間そのものが大事な気がする」とのこと。要は、「コミュニケーションというのは、深い対話とか、一緒に遊ぶだけではない」と言い換えることもできそです。

大人になると、毎回「意味」を求めたくなります。この対話で得られたものは何か? どんな意味があったのか?などなど。

かつ、私のようにコーチングなどに関わっていると「対話をして価値観を語り合うのが大事」「お互いのこれまでの大変だったことや嬉しかったことを理解し合うのも必要」という考えが無意識に強くなっていたようです。
「何か深い対話をしなきゃダメ」みたいな思い込みがあったのでは、とふと思ったのです。すぎていたんだなと気づいたのでした。

しかし、息子がリアクションしてくれたように「ただ、一緒に居る」のも重要な一つのコミュニケーションなのです。

こうしたことはタイパや効率とは逆のことなのかもしれない。
でも、とても大事なことが「ただ、一緒に居る」だと思ったのでした。

■まとめ:「一緒に居る」ことが目的になる

ケアとセラピーに関する本で、『居るのはつらいよ』という素晴らしい本があります。
参考:https://www.courage-sapuri.jp/backnumber/10469/

これは、心理学で博士号を取得した著者が、精神科のデイケアにて現場の仕事をする話なのですが、そこでも「ただ、居る」ということの重要性が書かれていました。

セラピーと言うと、何か話をしたり、聴いたりして、そして何か葛藤や悩みの解決をしていく、、そんなイメージを持っていたけれども、実際はそうではなかった。ただただ、座って、そこに居るということが仕事であった、いう大まかな話が描かれています(なぜそれが大事なのかは、著書をお読みください)

話のレベルは違いますが、息子とのやりとりとも、似ているとのもと感じたのでした。

目的・目標だけではなく、今この時間を楽しめるようになること。そんなことも、もっと上手にできるようになりたいものだ、そんなことを思った次第です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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