ピアノを習って3年間。真面目に練習して気づいた3つの教訓
(本日のお話 3154文字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日金曜日は、午前に1件のアポイント。
また、午後からは大学院の仲間とのジョブ・クラフティング研修のサポートでした。
50代の方を対象にした、これからの人生も考える時間でしたが、
リアルな不安や、想いを聞く機会になり、大いに刺激をいただいた時間でした。
仲間とのプロジェクトも、実に勉強になりましたし、終わってしまうのが、
祭りの後のような寂しさを感じる次第です。
またこうした企画、関わりたいと思った時間でした。
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さて、本日のお話です。
私事ですが、今から約半年後に、ピアノの発表会があります。
「1年間、地道に練習して、ストレッチな曲を人前で演奏する」という毎年の儀式は、自分の中の習慣になりました。
今日はそんな「大人ピアノ」を続けて気づいたことについて、書いてみたいと思います。よろしければお付き合いくださいませ。
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<目次>
ピアノを習ったことがある人は約50%
(1)ピアノは「スポーツ」である
(2)ピアノは「努力の可能性」を証明するもの
(3)ピアノは「自分を表現」するもの
まとめ(そして密かな夢)
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■ピアノを習ったことがある人は約50%
ピアノは、たいへんポピュラーな習い事です。
ちなみに、調べてみると、2021年の大学生では50%以上がピアノを学んだことがあるらしいです。たしかに、特に自分の子どもの頃は、女子はほぼやっていたような。
そして、だいたい、中学や高校生になって、部活や受験をすると忙しくなってやめる、というケースが多い気がします。
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●大学生の53.8%がピアノを学んだ経験がある:
2021年の調査によれば、大学生の53.8%がピアノを学習した経験があり、男女別では男性が23.6%、女性が68.0%と報告されている。
(参考:生涯音楽学習の視点から見たピアノ学習の状況: 1998 年と 2021 年の調査結果の比較を通して)
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私も同じく、小学生の時に5年間ならっていました。
よくある、全然練習しなかったクチですので、全く上手くありませんでした。
ピアノの伴奏をやる上手い子がいましたが、全くそういうタイプではありません。
ヤマハ音楽教室などだと、楽譜を見て所見で弾くテストとか、楽譜を見てメロディラインを歌うとか、音を言い当てるとかある(らしい)ですが、そんなことは全くできません。
▽▽▽
さて、そんな私も、コロナ禍でピアノを大人になって再開して、真面目に練習を続けて3年が経ちました。その中で、大人ピアノを真面目にやってみて気付いた3つのことがありました。
以下、1つずつお伝えしてみたいと思います。
■(1)ピアノは「スポーツ」である
大人になってからピアノを始めて気づいたことその1は、「ピアノとは、スポーツである」ということです(持論)。ちなみに、スポーツの要素は以下の4つが含まれることが多いそうです。
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<スポーツの要素>
・身体的活動: 運動や体を動かすことが中心。
・スキル: 努力や訓練によって向上する技術や戦略。
・ルール: 公平な競技を保証するための取り決め。
・競争: 勝敗やパフォーマンスの評価が関与。
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こうみると、特に「身体的活動」「スキル」はまさしく、ピアノも当てはまります。
幼少期からやってきている、ピアノを楽器として自由に操れる、たいへん売れやましい方は別として、趣味でピアノを弾く人のほとんどは、ただただ、何度も何度も反復する「身体的活動」がピアノです。
ピアニストのための「からだの使い方」を説明した、こんな本もでています。まさに、スポーツです。
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今週の一冊『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』
たった一つの小節を、片手ずつ、ゆっくり、運指を覚えさせる。
片手ができたら、次は右手。そして合わせて両手。
メトロノームをつけて、体に正しいリズムを覚えさせる。
そして、少しずつ早くしていく。
上手くいかないところは、またゆっくりにして練習する。
そうして、「同じ動きを確実にできる」ようにする・・・。
そうして、1年間、毎日30分の練習を続けていきます。
毎日30分、365日練習をしたら、182.5時間となります。日数にして7.6日です。たった5分足らずの曲を弾くために、それだけの時間を、地道に練習をしていく。
まさに、器械体操の演舞のようともいえますし、空手の型稽古のようにも思えます。大学時代、ボクシング部でジャブをひたすら練習していましたが、なんだかジャブの練習とピアノの練習は似ているとすら感じます。
このプロセスは、音楽というよりも「スポーツ」だな、と感じるわけです。
■(2)ピアノは「努力の可能性」を証明するもの
次に2つ目ですが、ピアノは「努力の可能性」を証明するものである、ということです。
これから映画になるそうですが、「ピアノ未経験の漁師が、独学で名曲『ラ・カンパネラ』を弾いた」という実話があります。感動します。
まさに「繰り返し」をひたすら重ねた結果であり、非常に勇気づけられる話ですが、努力の結晶にほかなりません。
しかし、同じ人間がやっていることなのです。
ピアノの場合、ストレッチな曲だったとしても、上述のように、「同じ動きを覚え込ませるというスポーツ」なのです。
ゆえに、愚直に、諦めずに、繰り返せば、完璧な曲は弾けなくても、「曲」にはなっていく。ここに、「ピアノは努力の可能性を証明するものである」ことを、感じるのです。
ちなみに私も来年、この漁師さんと同じ『ラ・カンパネラ』を挑戦します。絶対無理だと思っていたこの曲も、コツコツやることで、現実的にいけそう、と思えるようになりました。
積み重ねれば、できることは確実に広がっていくのです。
自由に弾きこなせなくても、大人ピアノは、努力で伸びるのです。
■(3)ピアノは「自分を表現」するもの
最後、3つ目のピアノに対する気づきは「ピアノは自分を表現する」ということです。
正直なところ、ランニングのことは比較的、noteにもメルマガにも書きやすいのに、ピアノのことは書きづらいと感じてきました。
その理由を考えると、いくつか思い当たる理由が浮かんできます。
それが「なんだか照れくさい」ということです。
実際は、地道な練習の上で、ようやく1曲が完成します。だから、聞いてもらいたいという気持ちが、確かにあるのです。できれば上手に弾いて、拍手とかされちゃう自分を想像する。でも一方、そんなことを思っている自分が、なんか恥ずかしい。
ストリートピアノなどで発表会前は練習がてら弾くのですが、見られていると想像すると、緊張して、失敗して、自意識過剰になるのです。
ピアノは音が出て演奏するものなので、自分を表現する活動です。
承認欲求も含めて、色々出てしまうのです。
この「自分を表現する行為」「自分の内側が透けて見えること」は、良くも悪くもピアノの特徴です。
■まとめ(そして密かな夢)
こうして、日陰でコツコツ積み重ねる「努力の証明としてのピアノ」。
そして、いつか誰かの前でスポットを浴びるかもしれない「音楽表現としてのピアノ」。
この2つが交差するのがピアノの面白さでもあるな、と思います。
「音楽表現としてのピアノ」は、定期的に発表会などなければ、聞かせることができるクオリティに保つことはできないため、流れ星のような刹那の期間しか演奏できないのが、大人ピアノの悲しいところですが、それを含めて、味わい深さを感じます。
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・・・と、何となくピアノのことを書いてみましたが、せっかくなので個人的な夢を書いてみたいと思います。書くと叶う、といいますし。
それは、「大好きな名曲10曲で、発表会を行うこと」です。
これまで、発表会で弾いてきた曲は、1年目『幻想即興曲(ショパン)』、2年目『革命(ショパン)』、3年目『愛の夢(リスト)』(そして次回が『ラ・カンパネラ』)です。全部、有名どころの曲。そして好きな曲です。
すぐには無理です。しかし、これから10年間、引き続きちょっとずつ練習していけば、きっと10年後には、もっと自由に弾けるようになっているでしょう。さらに20年続けていけば、20年後にはもっともっと自由に弾けるようになっているのでしょう。
歳を重ねても続けられる、生涯の趣味がピアノ。
そして、反復だから、才能がなくても続けられるのがピアノ。
本当に面白い趣味だな、と改めて思う次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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