屋久島の縄文杉が教えてくれた、「存在し続ける」という価値
(今日のお話 2134字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日はお休みを頂き、
屋久島にて、樹齢3000年を超えるといわれる、
「縄文杉」を目指して山道を20キロ、
ひたすら歩いた1日でした。
ガイドさんからのお話、
屋久島の歴史、そして壮大な大自然から、
色々と気付かされることがありました。
今日は、屋久島にて思った、
「存在し続ける価値」
について、思うところをお伝えしたいと思います。
それでは、どうぞ。
■屋久島といえば、
ジブリの映画の「もののけ姫」のモデルにもなったと言われる、
深い森が有名です。
特に、世界自然遺産にもなっている
高度1300メートル地点からのエリアは、
植林など、人工的に作られたものとは違う、
自然そのものの世界。
苔むす木々に、切り株から当たらしい木が生え、
樹齢1000年を越す木々が立ち並び、
本当に美しく、幻想的な光景でした。
そんな道中、ガイドさんが
こんな話を教えてくれました。
「屋久島で有名な、壮大な”屋久杉”は、
昔はもっとたくさんあったんです。
しかし、江戸から昭和にかけて、
そのほとんどが切り倒されてしまいました。
それは、屋久島は漁業と林業の町で、
立派な屋久杉はお金になったからです。」
「ほら、だから色々なところに、
大きな切り株があるでしょう。
これは、過去切り倒された木の名残なのです。」
実際に見てみると、
そびえる荘厳な”屋久杉”自体の数以上に、
切り倒された切り株の数が圧倒的に目立つのです。
■(もったいないことをしたものだな・・・)
と思いながら、ふと一つの疑問がわきました。
そして、ガイドさんに聞いてみます。
私「大きな木はお金になったんですよね?
では、今現存する樹齢3000年以上の、
『大王杉』とか『仁王杉』、『縄文杉』のような、
今観光スポットになっている木々は、
どうして当時、切り倒されなかったんですか?」
と。
ガイドさんは、こう答えます。
「いい質問ですね。
実は、昨今注目されている現存の
仁王杉、大王杉、縄文杉は、特徴があったのです。
それは、
”まっすぐではなく形が悪い木”
であったということ。
当時はそう見なされ、売れなかった。
だから切られずにすんだのです。」
と。
■当時はまっすぐでスラリと高く、
太い屋久杉が価値を持っていた。
だから、ゴツゴツとした、
いくつもの木々が重なり合ったような、
大王杉、仁王杉、縄文杉は、
当時、価値を持たなかった。
しかし、時を経た今、どうなったか。
それは世界遺産に
登録され、1日300人以上の人が訪れ、
その姿を見て、
「なんて荘厳な姿なのだろう」
「自然の力強さを感じる」
「世界、どこを探しても、めったに見ることができない」
と感嘆の声を挙げるようになった。
■そして、この事実を見て、思ったのです。
当たり前のことかもしれませんが、
「何が価値なのかは、時代によって変わる」
ということ。
当時はお金にならない木々が、
今では屋久島の顔になっている。
だから、価値というものは、
時代によって変わるのだ、
そのことを改めて思いました。
と同時に、です。
やはり原則として、
「いつの時代も変わらぬ価値」
があるとも感じたのです。
それは、
『存在し続けた時間』
というものは、
それだけで素晴らしい価値を生むのではないか、
ということ。
■形が良かろうが悪かろうが、
樹齢を経た屋久杉は、それだけで
やはり神々しいものを感じます。
当時の人がどう感じていたかはわかりませんが、
やはり高値で売れた、ということからも、
「存在し続けた価値」というものは、
今も昔も変わらなかったのではないか、
そのように思います。
そして当時は「売れ残り」だった屋久杉が、
また更なる時を経て、今そこにあること。
ただ長くそこにいたという
『存在し続けた時間』
そのものだけで、
歴史を感じさせ、
人の心を打ち、大きな価値を生むのではないか、
そのように感じたのです。
それが、たとえ
まっすぐでなくとも、形が悪くとも、
ただ”そこにいた”というだけでも。
それを素晴らしいと思うのです。
■そして、思うのです。
これは私たちにも
同じことが言えるのではないか。
どんなに小さなことでも、
ただただ、それを続けていくこと。
そして生き残り続けること。
それは、それだけで、
価値を持つものではないか、
そう思うのです。
*
見渡してみると、
そんな人、いるものです。
例えば、
・町で100年の小料理屋。
・その道50年の生保レディ。
・「人の幸せ」について研究を続けて、
75年のハーバード大研究室。
・伝統工芸を80年守り抜いてきたおじいちゃん。
新聞に取り上げられるような、
華々しい活躍をしたわけでもない。
ただ着々と、地道に、淡々と歩み続け、
そこに生き残り続けてきた。
それはまるで「縄文杉」のように、
形は綺麗でなくとも、
3000年にわたり根を伸ばし続け、
生き続けてきた姿そのもののようです。
そしてそれは、
”存在し続けた価値”として、
人の心を打ちます。
■素晴らしい才能がなくとも、
また、華々しいスキルがなくとも。
【ただただ、存在し続ける】
こと。
このことは、
それ自体で価値を生む、
そのように思います。
単純だけど、
「生き残ることこそ難しい」、
そう誰もが知っているからこそ、
価値を生み出すのではないか、
そのように思う次第です。
続けること。
存在し続け、愚直に歩み続けること。
私自身も、改めて沿う決意した次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本日も皆様にとって素晴らしい一日になりますように。