磨くことを恐れない
(今日のお話 1829字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は朝から英語塾へ行き、
その後テニススクールへ。
そして昼からはカフェへいき、
その後、妻と共に囲碁。
昨日は英語もテニスも囲碁も、
あらゆる面でボコボコにされた1日でした(苦笑)
特に英語塾では、自分の英語力のなさと共に、
「攻める姿勢」(=間違えても気にしない)の足りなさに、
自分で自分を情けなく思うほど。
まだまだ真剣さが足りない、
そんな自戒の念を強く感じた次第。
*
とはいえ、ありがたいことに
英語塾の仲間をはじめ、
周りから大変な刺激を受けています。
皆すごく優秀な方ばかりで、
そして常に学ぶ姿勢を忘れない方ばかりです。
そして、その中には、
上智大学の学生の方もいるのです。
私が学生時代は、
飲み会&だらだら&麻雀みたいな、
自堕落を絵に描いたような生活をしていましたが、
彼女は土曜日にもかかわらず、
英語塾の参加に、その後も自習をし、
他の勉強も欠かさない、そんな生活をしているとのこと。
「若いのに、すごいなあ」
と心から畏敬の念を感じてしまいました。
*
今日はそんな彼女の”学ぶ姿勢”を聞き、
ふと思い出した、
学生時代に担任の先生から言われた、
「本気でやること」
の大切さについて、私の思い出話と共に、
教訓をご共有させて頂きたいと思います。
それでは、どうぞ。
■私が高校1年生の秋頃、
担任の先生から、定期面談の場で言われたことが、
今でも、ずっと記憶に残っています。
私は高校受験で、
第一志望の学校に落ち、
第二志望の学校に入りました。
そして、第一回のテストで、
「さほど勉強せずともいい成績がとれた」
という結果から、学業を怠り、
そしてずるずると成績が低下していき、
成績も後ろから数えたほうが早くなった、
そんな悲しき状況になっていた
高校1年生の秋の話です。
担任の島津先生(仮)は、
面談の場で、こんな話を私にしました。
「紀藤は元々、頭はいいと思う。
でも、どこか”本気を出すこと”を
敢えてしていないように見える。
クラスの雰囲気でも、
”本気を出す、努力することはカッコ悪い。
クールにやって、いい成績の人がカッコイイ”
みたいな雰囲気があるけど、
その空気には流されないでほしい」
そんな話だったかと思います。
間違いなく、
サボりにサボりまくっていた私を見て、
「いや、お前努力しろよ」
といいたくて、島津先生はそういったのでしょう。
実際、私は当時、
少年マンガにありがちな、
・何もしてないのに、才能がハンパない天才
・天性の素質を持つめちゃめちゃ強い不良
みたいなのに、
どこか憧れていました。
ですが同時に、心のどこかで、
「自分には、そんな才能はない」、
ということも知っていました。
でも、それを認めたくなかった。
「本当の本当に努力をして、真剣にやって、
もしそれでダメだったら、
自分は”能力がない”ということになってしまう。
でも、”可能性”は残したままでいたい」
だから、小さな自尊心を守るため、
サボっている自分を認めながら、
「いや、本気出せばできるし」
「練習すれば俺だってできるし」
という「言い訳」を作っていた。
努力しない、本気を出さないことによって
自分の小さなプライドを守っていた。
10数年前を振り返ってみて、
そんな気がしているのです。
(我ながら、
なんとケツの穴の小さい人物かと
呆れてしまいますが苦笑)
■しかし、年を重ね、
多少なりとも成長をしたことで、
曲がりなりにも気付いたことがあります。
それは、
【「自分には可能性はある」というだけで、
何もしないのは、自分から逃げている】
と同義であるということ。
そして、それは少し解釈を広げてみれば、
他のことでも同じことが言えるのでしょう。
例えば、
・お金があれば出来るのに
・もうちょっと時間があれば出来るのに、
・いい環境に恵まれていればできるのに、
そのように何かの”言い訳”を作って、
なんだかんだやらないのも、
同じように「逃げ」の姿勢の表れであるのではないか、
そのように感じます。
■誰しも、自尊心や、
自分の価値を認めたい気持ちはあるでしょう。
ですが、それに固執しすぎて、
・今の自分を否定し、
新しいことをするのを恐れたり、
・全力でやって失敗して、
自身を打ち砕かれることにビビったり、
となってしまえば、
自分の可能性を伸ばす機会すら、
失うことになる、
そのようにも思います。
■逃げない。
言い訳をしない。
全力でやる。
自分を磨くことを恐れない。
当たり前のことかもしれませんが、
もしより良くなろうと願うのであれば、
やっぱり大切なことだなと、
改めて思った次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も皆様にとって、素晴らしい1日となりますように。