メールマガジン バックナンバー

794号 2016年4月17日

”空手とは、人に打たれず、人打たず、事のなきを基とするなり”


(今日のお話 2565字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。

昨日は、妻と共に生まれて初めての
「空手道場訪問&体験」
をしてまいりました。

お世話になっているお客様で、
「7つの習慣」の社内ファシリテーターとして、
活躍している方が、空手道場の師範代とのことでした。

何でもとりあえず顔を突っ込むのが趣味(?)のため、
「今度遊びに行かせてください」
ということで、夫婦で”空手体験”をすることに。

(非常に貴重な体験でした。
 M様、そして奥様、ありがとうございました!)

私は知らなかったのですが、
空手といっても色々流派があるようです。

昨日学ばせて頂いた流派は、

その本質は「相手を倒す」ところではなく、
その根底には、私が全く知らない世界観が流れていました。

今日は、空手体験から、

「強くなる」

とはどういうことなのか、
思うところを共有させて頂きたいと思います。

それでは、どうぞ。


■空手とは、

「強くなること。
 すなわち相手を倒すものである」

私は、そんな印象を持っていました。

空手を含む武道は、
相手をやっつけてナンボみたいな
イメージでしょうか。

私も大学時代、
ボクシング部に所属していましたが、
基本低には、

「相手を打つ」
「相手を倒す」

ことを目的にしていたものです。

私達がテレビなどで目にする格闘技の試合でも、

”リングの中で、ゴングと共に試合が始まり、
基本、相手をKOするまで続ける”

そんなゲームとしての格闘技が
有名になっているからかもしれません。


■しかしながら、
私が先日体験した空手の流派は、
その基本思想に全く違うことを掲げていました。

それは、こんな思想。


『空手とは 人に打たれず 人打たず 事のなきを 基とするなり』


つまり、
「何もないことが一番」である、
と言っているのです。

この流派の創始者は、
柔術、剣術、合気道、忍術、空手を学び、
あらゆる武術を極めたそうです。

間違いなく、かなりの使い手であり、
そして当然ながら、強かったのだと思います。

そんな創始者が到達したところが、

『空手とは 人に打たれず 人打たず 事のなきを 基とするなり』

だったのです。


■そしてこの心について、
師範代のM氏に聞いてみました。

なぜ、「事のなきを基とするなり」なのか?

すると、師範代はこのように答えられました。

「相手を打ちのめそうとして、
 ボコボコにして何が残るかといえば、
 恨み、憎しみ、後悔、など負の感情です。

 もし実力が拮抗していれば、
 お互い大きな怪我をし、お互いに何のメリットもない。

 だから、そもそも、
 ”争いをしない”ことが一番。

 またもし”争い”に巻き込まれた時も、
 最小限で終わらせること。

 それが「真に強い」ということではないか、
 と思います。」
と。

「なるほど!」と
思わず納得してしまいました。


■これは私の想像ですが、

「争いなんてないほうがいい」
「傷つけ合わず、和解で終わるにこしたことはない」
「平和が一番」

というのは、今も昔も、
誰もが願うことなのではないか、
と思うのです。

そして、武道も、そんな平和への願いがありながらも、
やむなく戦闘になった場合、自分や大切な人の命を守るための
”対処法”から始まったのかもしれません。

もちろん、暗殺術、みたいなものも
ありますし、攻撃自体を目的とするものもありますが、

私はこの空手道の流派の、

『空手とは 人に打たれず 人打たず 事のなきを 基とするなり』

に深く感銘を受け、素敵な考えだな、
と感じさせられてしまいました。


■仕事のシーンでも、
争いが起こることは、しばしばあると思います。

例えば、仕事を進める中で

・意見が対立したとき
・話が食い違うとき
・相手のミスを咎めたくなるとき

などなどでしょうか。

違う考えを持った人と人が交わる場では、
価値観のずれ、考え方の違いから、

「戦闘になる」とまでは言わずとも、つい

・「自分の意見のほうが正しい」と
 あらゆる手段で論破しようとする

・考えが違う相手の、矛盾点を徹底的に攻撃して、
 ぐうの音もでないようにする

みたいなシーンが、
往々にして起こるようにも思います。

しかしながら、
「そもそもの目的」を考えると、
こういったシーン、どうなのか、
と思うわけです。

当然ながら、

”相手をコテンパンに叩きのめす”

ことが目的ではなく、
ビジネスで成果を生もう、とするのが、
そもそもの皆で目指す目的、
すなわち”仕事の目的”であったはず

だからこそ、

「意見の違いを活かし、建設的な話にして、
 仕事の目的を忘れない姿勢」

こそが大切なのではないか、

そのようにも思います。


■先ほどの空手道でも、
「強きもの」がたどり着いた究極のゴールは、

『争うことではなく、争わないようにすること』

であった、とお伝えしました。

同様に、仕事のシーンを始めとした、
争いが起こるシーンにおいても同じ。

ついヒートアップして、
この論争に勝とうと盛り上がる際に、

「そもそも、この言い争いは、
 何を目的としていたのか」

「相手を完膚なきまでにボコボコにしたとして、
 その先に何が得られるのか」

を、一歩立ち止まって考えてみることが
そもそもの話として、大事なことではなかろうか、

そのように強く思ったのです。

***

ちなみに、この師範代は、
「7つの習慣」の社内ファシリテーター。
「7つの習慣」を語らせたら、その話題に暇がない人物です。

彼曰く、

「空手道の根本思想も“7つの習慣”と同じ。
 “第四の習慣 Win-Winを考える”ということです。

 Win(自分が勝つ)-Lose(相手を負かす)
 を繰り返していても、恨み・憎しみを食らい、いずれ復讐されるかもしれない。

 また、争いを求め続けたなら、下手すれば
 “Lose(自分も致命傷)-Lose(相手も致命傷)”
 にすらなってしまうこともある。

 だから、“Win-Win”(争わず、お互い平和でいる)が一番です」

とのこと。

これは、ビジネスやプライベートでも同じですね。

相手を完膚なきまでに叩きのめし、
完全に心をボキボキに折りしばいたとしても(Win-Loseをしても)、
嫌われたり、仕事がしづらくなったりして、
得たいものが得られなくなるだけ、かもしれません。

争いになったときは、
「そもそも何を実現したいのか」
を、忘れないことが大切なのでしょう。

※ちなみに、そういったことを考えた上で、
 ”相手を叩きのめしておいたほうがベスト”
 というのであれば、それはそれでありかと思っています。
 健全な争いは私としては肯定派です。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も皆様にとって、素晴らしい1日となりますように。

【本日の名言】 暴力によって得られた勝利は敗北に等しい。
一瞬でしかないのだから。

マハトマ・ガンディー

365日日刊。学びと挑戦をするみなさまに、背中を押すメルマガお届け中。

  • 人材育成に関する情報
  • 参考になる本のご紹介
  • 人事交流会などのイベント案内

メルマガを登録する

キーワードから探す
カテゴリーから探す
配信月から探す