ブロークンウィンドウの法則
(今日のお話 2339文字/読了時間2分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は新入社員研修「ディスカバリー」の立会い。
100人を超える新入社員の方にお会いして、
フレッシュな気持ちと共に、
最近の若い人たちの能力の高さに驚いていました。
何十人もの前で、
堂々と自分の意見をプレゼンしたり、
自分で調べた情報を元に、
「電力自由化に伴ってビジネスがどうなるか」
などを判りやすく説明したり。
はたまた全員TOEIC800以上で、
知的レベルの高いディスカッションを繰り広げたり。
その聡明さと柔軟性に、
自分の新人時代と比べて、
その優秀さにショックを受けてしまいました。
(私の新卒時代は、”野菜炒めを早く作る”ことを
誇らしく思っていたくらいでした 汗)
こういった人たちが、
どんどん後ろから追いかけてくると思うと、
うかうかしていられないな、
と気が引き締まる思いです。
若いモンに負けないよう、がんばろう。
*
さて、本日のお話です。
実は最近、少し生活のリズムが崩れており、
いかんなあと感じておりました。
その理由を考えたときに、
「ブロークンウィンドウ理論」
という話を思い出すと共に、
上記にまつわる、とある教訓を感じました。
今日は、
「規律を保つ」
というテーマで、私の自戒と共に、
気づきを共有させていただきたいと思います。
それでは、どうぞ。
■先日のある夜の話。
ジムで10キロ走って、汗をかき、
シャワーを浴びて家に帰っていたときのこと。
颯爽と自転車に乗って、
気持ちよく夜風を掻き分けていたとき、
ふと私のポケットから「iPhone」が落ちました。
「あっ!」
と思ったのも束の間。
iPhoneが、コンクリートに
叩きつけられる音が聞こえました。
しかも、落ちたiPhoneを、
なんと自慢のシティバイク(マウンテンバイク型のゴツい自転車)の後輪で、
思い切り踏み潰すという痛恨のコンボ。
地面に叩きつけられ、
持ち主に無残にも轢き潰されたiPhoneは、
画面がビキビキに割れてしまいました。
(まあ、当然ですね 汗)
■そして、それからしばらく、
”画面が割れたiPhone”
を使っていたのですが、
最近、ふとしたことに気が付きました。
それは、
「部屋がやたら汚くなっている」
&
「習慣だった”鞄磨き”をやらなくなった」
ということ(!)でした。
(あれ、最近なんだか、
生活の規律が乱れている?)
(なぜだろう?いつから?)
そんなことを考えたときに、
ふと、先ほどの
”割れた画面のiPhone”
の出来事が思い浮かんだのです。
一見関係なさそうなこの出来事。
しかし、感覚的に、
「実はこの割れたiPhoneが
生活リズムを崩す、問題の一因になっているのではないか」
と、ふと思ったのです。
■環境犯罪学と言われる学問の中で、
こんな理論があるのをご存知でしょうか。
それは、
『ブロークンウィンドウの法則』
と呼ばれる理論。
アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリングが考案し、
「建物の窓が壊れているのを放置すると、
誰も注意を払っていないという象徴になり、
やがて他の窓もまもなく全て壊される」
という理屈から、
”些細な犯罪、軽微な犯罪こそ取り締まることでこそ、治安が維持される”
とした証明した理論です。
2000年代ニューヨークの地下鉄は、
犯罪の温床だったのですが、地下鉄内の落書きを徹底的に消すことで、
犯罪が激減したそうです。
また、ディズニーランドも、
ゴミが少しでも落ちたら、スイーパーが
陽気に踊りながら、すぐさま片付けてしまいます。
だから、ポイ捨てもなく、
あれだけ人がいても、常に綺麗な状態が保たれる。
これも、『ブロークンウィンドウの法則』を活用した
一つの例だといえるでしょう。
■と、少し話がそれましたが、
本題に戻します。
先ほど私は、
“「割れたiPhoneが生活リズムを乱した」と感じた”
とお伝えしましたが、
それがまさしく、この
『ブロークンウィンドウの法則』
で言われる影響があったのではないか、
そのように感じたのです。
今まで私は、
・毎週末、カバンを磨いたり、
・たまった部屋の片づけをしたり、
・手帳の中身の整理をしたり、
ということをルーティンとしていました。
でも、割れたiPhoneが目に入ると、
常に「壊れた所有物」が視界に入ります。
すると、無意識かもしれませんが、
影響を受けるように感じるのです。
「まあ、他のもそんなに綺麗にしなくていっか」
と。
バキバキに割れた醜いiPhoneがある。
それによって、”なし崩し”的に、
他の生活のモラルが下がっていく。
「ちょっとくらい、カバンが傷ついていてもいいか」
「机が汚くても、まあ、いいや」
「手帳、今日書かなくても、別にいいか」
そんなイメージです。
一つが、なあなあになると、
ドミノ倒しのように、連鎖的に他に悪影響を与えてしまう。
そんな負の螺旋階段のよう。
■規律を守り、モラルを高めることは大変です。
しかし、規律を破り、
怠惰の道に堕ちていくことは本当に容易い。
しかも、ほんの些細なことで、
せっかく気づきあげた「良習慣」も、
あっという間に、水泡に帰してしまいます。
私の壊れたiPhoneも、
“たかだかその程度”だったかもしれません。
でも、そんな”たかだかその程度”のことが、
私の生活リズムに与えた、
そのようにも感じるのです。
「ブロークンウィンドウ」を放置すると、
なし崩し的に、規律が失われていきます。
そして、「これくらいいっか」、が
「もうちょっといっか」になり
「いやいや、もっといけるか」になり、そして
「もう、どうでもいいや」になる。
雪ダルマ式に、規律が失われ、元に戻れなくなる。
最悪の場合、そんな事だって起こりうるのでしょう。
だからこそ、
【小さなブロークンウィンドウを放置しない】
すなわち、
『日常に起こる、小さな穴、
小さなヒビこそ、放置せず、すぐ改善する』。
この心がけをもち続けることが、
規律ある充実した日々を過ごすために、
大変重要なことではなかろうか、
そのように感じた次第です。
ブロークンウィンドウを放置しまくっていた
最近の私に、強い自戒をこめて。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も皆様にとって、素晴らしい1日となりますように。