ニーバーの祈り
(今日のお話 1789文字/読了時間1分半)
■おはようございます。紀藤です。
先日は3件のアポイント。
ならびに、夕方はとある大手旅行会社の方と、
人材育成について半分プライベートな打ち合わせ。
「未来ある若者をもっともっと元気にしたい!」
という熱い想いを持たれており、
「若者の可能性を伸ばそうプロジェクト」
なるものを立ち上げ(仮称)ということで、
学生に”自分のミッション””価値観”を考えてもらう機会を提供しよう
という取り組みを考えており、
その打ち合わせをさせていただいておりました。
仕事を超えて、
休日にも誰かに役立つ意義あることをしよう、
そんな姿勢に私も大変刺激を受けました、
(Iさん、企画の成功を心より応援しております!)
*
さて、本日のお話です。
皆様は、「ニーバーの祈り」という話をご存知でしょうか。
短い詩なのですが、改めて見返して、
本当にその通りだよなあ、と感じてしまいました。
本日は「ニーバーの祈り」を受けて
「主体的に生きること」
というテーマで
思うところをお伝えしたいと思います。
それでは、どうぞ。
■「ニーバーの祈り」。
それは、アメリカの神学者
ラインホルド・ニーバーが
作者とされる短い詩です。
アルコール依存症や、
薬物依存症の患者を救った言葉として、
広く知られるようになりました。
皆様もご存知かもしれません。
それは、こんな言葉。
『神よ、願わくは私に
変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、
変えることのできる物事を変える勇気と、
その違いを常に見分ける知恵とを授けたまえ。』
というもの。
■いかがでしょうか。
私はこれを見るたびに、
胸にズシンと来るものを感じます。
しかしながら、
しばしばこんな人を見かけます。
何かあるたびに、
・やれ上司の指示が悪い、
・やれ会社の戦略が間違っている、
・やれマーケットがよくない、
・やれ過去のあの行動がよくなかった、
などなど、
”言ってもどうしようもないこと”
ばかりに気をとられ、愚痴る人。
言っている本人も、言っている自分の言葉で
ますます腹を立てている、
そんな人です。
(たまに、いますよね)
■ですが、言うまでもなく、
「変えることができないものは、変えることができない」
のです。
そこに
時間とエネルギーを投資するのは、
残念ながら無駄ですし、自分のためにもなりません。
確かに、
「あの人が悪い。私は悪くない」
と思っていると、自分は傷つかずにすむから、
ある意味、その瞬間は楽でしょう。
でも、そんな人の周りには、
だんだんと前向きな人はいなくなり、
人の不幸をネタにするような
悲しき日常になってしまうかもしれません。
■逆に、
「変えることができることを変える勇気を持つ」
ということは、簡単なようで難しい。
変えることができるかもしれない、
でも、それを行動に移すと、
誰かの批判を浴びたり、
チャレンジして失敗して傷ついたり、
波風を立てて後悔をすることになったり、
そんなこともありうるわけです。
それでも、
「変えられないこと」に愚痴を言うよりも、
「変えられること」に意識を向けて、
勇気を持ち、行動したほうが、
前にも進む可能性は増えることは間違いないし、
だからこそ、
『変えられることを変える勇気を持つ』
そのもの自体が尊く、
巣晴らしことなのではないか、
そのようにも思います。
■「7つの習慣」では、
充実した、素晴らしい人生を歩む人たちの、
最初の習慣が、
”第一の習慣 主体的である”
といいます。
そして、”主体的である”こととは、どういうことか、
というと、
【関心の輪ではなく、影響の輪に集中すること】
というわけです。
”関心の輪”とは「変えられないこと」を表します。
”影響の輪”とは「変えられること」を表します。
天気や政治や人の性格など、
変えられない”関心の輪”の話ばかりしていても、
何も生み出しません。
それよりも、
・1日の計画を立ててみる、
・小さなチャレンジしてみる
・自分の正直な気持ちを発言してみる
そのような、自分が変えることのできる”影響の輪”に集中することで、
自分の新たな可能性が広がり、
影響も広がり、ひいては充実した人生に繋がっていく、
そのように言っています。
■誰かのせい、何かのせいにすることは簡単。
でも、「ニーバーの祈り」にあるように、
『変えることのできない物事を受け入れること。
変えることのできる物事を変える勇気を持つこと。』
このことを忘れないように、
力強く自分の人生を切り開いていきたいものですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も、皆様にとって素晴らしい1日になりますように。