「大人ぶった会話」ではなく、本当の「大人の会話」が、
深く、素晴らしい関係を作り出す”
(本日のお話 2135文字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は2件のアポイント。ならひに、
営業研修『ヘルピング・クライアンツ・サクシード』の
個人説明会でした。
私(紀藤)の口から説明させていただきましたが、
話しながらも改めて「いいプログラムだなあ」と思った次第。
(物凄く手前味噌ですが)
そして同時に、この魅力をお伝えすべく、
もっと伝える勉強をしないとな、と痛切に思いました。
*
また、夜は日本におけるコーチング業界の第一人者の方から
「組織開発とコーチング」というテーマでの講演を聴講。
非常に感銘を受けるとともに、
これからの組織の成長を考えるにあたって、
“個人の「人材開発」だけでなく、
人の関係性を高める「組織開発(=関係性を高める)ことは、
超絶に大事なことである“
とひしと感じました。
勉強になりました。
(昨日は走れず、現在の走行距離は以下の通りです)
<現在の走行距離 0キロ(あと150キロ)※あと19日>
*
さて、本日のお話です。
昨日、コーチングのお話を聞き、
その中でも特に感銘を受ける話がありました。
本日はそのお話について、
皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【「大人ぶった会話」ではなく、本当の「大人の会話」が、
深く、素晴らしい関係を作り出す】
それでは、どうぞ。
■「大人の会話」というと、
なんだか怪しげな雰囲気がします。
が、もちろん、
変な意味ではありません。
(当たり前か 汗)
この「大人の会話」というのは、
コーチングの昨日の講演で学んだ、
“今、組織に求められるキーワード”
のようなものでした。
■この話に通ずる、あるデータがあります。
それは、こんな話。
“欧米の企業の重役の85%が
仕事上、対立(コンフリクト)を怖れ、問題提起をしていない“
(TED マーガレット・ヘッファナン 「対立の意義」より)
というもの。
西洋の文化だと、
「議論万歳!」「厳しいフィードバックもなんのその」
「言いたいことはハッキリ言う」「ズバリと斬り捨てる」
みたいなイメージが、ありそうですが(私だけ?)
実はものすごく、
“「意見の対立を嫌う」(=厳しいことは言いたくない)”
という実情があるようです。
しかし、欧米ですらそうであれば、
「和」や「空気」を重んじるなど言われたり、
意見をハッキリ言わないとされたりする日本では
果たしてどうなのだろうか、と思うわけです。
(恐らく)「対立を嫌う」という現象は、
日本でも同じように(またはそれ以上に)起こっているのであろう、
と感じます。
■しかし、この「対立を嫌う」という状況を放置しておいたら、
何が起こるのでしょうか。
例えば、
・上司にものすごく不満を持っていた、とか、
・相手に改善してほしいところがあった、とか、
・本当は意見が違う、そのプロジェクトに賛同できない、
という時に、相手を慮るという名の、
「大人ぶった対応」をしていたらどうか。
きっと、
・『表面的な会話で』
・『本音をオブラートに包んで』
・『真意はハッキリ伝えない』
となるのでしょう。
すると、確かに、
バチバチとした対立も生まれないので、
空気が悪くなることはないし、
混沌(カオス)な状況も起こらず、
居心地は悪くないかもしれない。
ただ、一見平和そうに見えても
こういう状況が続くと、
もやもやした昇華しきれない
異物のような違和感を腹の中に覚え、
当然、新しいアイデアも生まれず、
よくないこと、改善すべき点があっても自浄作用が働かず、
知らず知らずのうちに、
組織が停滞、後退、低迷していく。
という、悲しい結末になりかねない。
これが「大人ぶった対応」(=会話)がもたらす、
恐ろしいことである、
と思うのです。
■では、何が必要なのか。
それこそが、冒頭に申し上げた、
『(本当の成熟した)「大人の会話」】
が必要である、と思うわけです。
「大人な(っぽい)会話」とは違います。
相手を慮って、傷つけないように、
また自分の気持ちをグッとこらえて、
表面的に交わすことも、確かに一つの「大人の会話」でしょう。
自分の感情をそのままぶつけていては、
社会的な生き物である以上、よろしくない。
確かにそれはそう。
*
しかしながら、です。
本当は内心、
「これよくないよな」「言わなきゃダメだよな」
という課題が明らかに見つかっているのに、
面と向かって、直接、率直に言わないのは、
『「大人ぶった会話」ではあるけれども、真の「大人の会話」ではない』
とも言えるのではなかろうか、
と思うのです。
■「傷つけたくないから」
「感情的になるのはよくないから」という名目で、
実は逃げているということ、よくあると思うのです。
オブラートに包んで、
包んで包んで包みまくって、
真意が伝わらない表面的な会話に逃げる。
そこに、衝突はなくとも、
同時に成長もないし、改善もない。
それは、「自律した大人(っぽい)会話」ではあるけれども、
深く見ていくと、
”相手を思った、お互いの関係を真剣に思った、
成熟した「大人の会話」”
ということにはならないだろう、
と思うわけです。
■率直に本音を相手にぶつけることは、
“勇気”がいることです。
また、違う意見を、
その場の中に投げかけることも、
やはりに”勇気”がいることです。
しかし、真の意味で、成熟した「大人の会話」とは,
・ぶつかる勇気を持つことであり、
・ぶつかっても関係を修復できる真摯さを持つことであり、
・信念を持って、覚悟を持って、伝える
ことではなかろうか、と感じるのです。
*
本音を言っても、認め合える。
相手のことを思うから、厳しいことが言える。
組織を思うから、波風を立てられる。
そんな「大人の会話」をしていきたいものだ、
そんなことを思った次第です。
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<今日の未来習慣>
「大人ぶった会話」ではなく、
勇気を持った「大人の会話」をする。
(ただし、バランスが重要 ←※ここ大事)
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本日も皆様にとって素晴らしい1日になりますように。