”津軽188キロウルトラマラソン”への出場から考える、
「やっぱり人生はマラソンである」、という話”
(本日のお話 2235文字/読了時間2分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は1件のアポイント。
ならびに、本日(思いつきで)開催予定の、
『ヘルピング・クライアンツ・サクシード』
の説明会の準備。
また、夕方からは、
以前通っていたダイヤモンド経営塾つながりにて、
お知り合いになった、外資系生命保険の会社の優秀なマネージャーの方と
情報交換などしてまいりました。
その道の一流の方からは、
学ぶことが本当に多いものだな、改めて思った次第。
また、家に帰ってからは、約3週間ぶりのランニング。
ずっと風邪を引いていて走れませんでしたが、ようやく復活です。
<現在の走行距離 10キロ(あと150キロ)※あと20日>
*
さて、本日のお話です。
久しぶりに走ったこともあり、
走りながら、”ランニングから学ぶ人生訓”について、
思いを馳せておりました。
しばしば「人生はマラソンである」を言われますが、
色々な意味で、本当にその通りであると、
100%共感しております。
ということで本日は、
【”津軽188キロウルトラマラソン”への出場から考える、
「やっぱり人生はマラソンである」、という話】
というタイトルで、皆様に
思うところをお伝えできればと思います。
それでは、どうぞ。
■「人生はマラソンである」 。
よく、キャリアについての話や、
ビジネス書、自己啓発の本などで、
このような比喩が出されることがあります。
この言葉が表す意図としては、
”一歩一歩、地道に歩みを進めることで、
長い距離でも、いずれゴールたどり着くもの”
という、
「日々の小さな努力に対する価値」を伝えているのが、
この言葉だと思われます。
しかしながら、同時に、
少し違った意味もあると思うのです。
そんなことを昨日寒空の中、
荒川沿いを走る中で思ったのでした。
■一昨日の話。
今年の新たなチャレンジとして、
(これまたふと思いつきで)
『津軽みちのくウルトラマラソン188キロに出場する』
ことを決めました。
※第三回 みちのく津軽ジャーニーラン 263k/188k
そして、インターネットにて参加申し込みを致しました。
188キロと言うと、普通に考えると、割と長いです。
いや、かなり、長い。
制限時間は、48時間とはいえ、
ただただ、長い。
キツいか、キツくないかと言われれば、
恐らく、だいぶキツいでしょう。
ですが、この参加申込みをするときに、
不安、躊躇があるかといえば、全くなく、
「絶対にできる!」
と、普通に思えたのでした。
■これは、私(紀藤)すごいでしょ、
とか、そういう話ではありません。
そうではなく、おそらく、
「マラソンを粛々と取り組んできた人であれば
多くの人は同じように感じうる」
と思いましたし、
そのようなプロセスに、
「人生はマラソンである」
の別の意味があるように思えたのです。
■少し、個人的な話をさせていただきますと、
私(紀藤)は、約7年前に、初めてのフルマラソンに参加しました。
その時は
「40キロ走るなんてありえないでしょ」
「練習で5キロ走るなんて、ない、ない」
という感覚でした。
しかし、一度40キロ走ってみると、
それからというもの、
「20キロという距離がなんだか短く感じました。
*
そしてそれから5年経ちました。
2年前の話。
『三浦半島100キロウルトラマラソン』
というものに、ふとしたきっかけで参加することになりました。
(友人が100キロ走るというので、
対抗意識で何となく申し込んでしまいました)
ものすごくキツかったのですが、
「100キロ」という距離を体験してからは、
「40キロ」という距離が短く感じるようになりました。
*
そして、昨年は、
キング・オブ・ウルトラマラソンと呼ばれる、
『野辺山ウルトラマラソン100キロ』
に参加してからは、
高低差2