自らの力量を上げるとは「耐えられる自分をつくる」ということ
(本日のお話 1854文字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は2件のアポイント。
ならびに午前中は、米国本社からきた営業のトップの方も含め、
全社ミーティングと、皆でセールストレーニング。
皆で、「なぜ、何のためにこの仕事が必要なのか」を考えましたが、
自分達の仕事の意義を、立ち止まって考えると、
ふつふつと心の底から湧き上がる情熱を感じます。
目的、意義というのは、
全ての原動力だな、と改めて思った次第。
また、夕方、夜からは、
引き続き「サムライ塾」の打ち合わせなど。
*
さて、本日のお話です。
先日より読んでいる
『リーダーの指針「東洋思考」』
が、胸に刺さりっぱなしで仕方がありません。
これはたまたまなのか、
自分が東洋的な考えが好きなのかはわかりませんが、
「その通りだよな」と深く共感してならないのです。
今日も、この本から引用させていただくとともに、
思うところ、感じるところを、
皆様にご共有させて頂きたいと思います。
タイトルは、
【自らの力量を上げるとは「耐えられる自分をつくる」ということ】。
それでは、どうぞ。
■今週日曜日に走ったフルマラソン。
足のダメージは当然あるものの、
月曜日からバリバリと動き回っており、
何人かの方から、
「昨日、フルマラソンだったんでしょ?足大丈夫なの?」
と聞かれました。
私の答えとしては、
「まあ、痛いけど、走れば、そんなものだよね」
という回答で、実際そう思いました。
不思議がられましたが、
「なぜさほど辛くないのか?」と考えた時に、
それは半年前に走った、
『野辺山100キロマラソン』
(=累積標高数 約3000メートルの日本屈指の難レース)
当日、気温が28℃くらいあり、死にそうになる。完走率46%)
を経験しているので、
その時の足の壊れっぷりや、
疲労度などに比べたら、大した事ない、
と感じたからなのでしょう。
*
マラソンを通じて得た教訓とは、
“激しい痛み、辛さに耐えると(100キロ追い込むと)
40キロは短距離に感じる“
ということでした。
100キロの13時間耐え続けて走り続けたことに比べれば、
フルマラソン(42キロ)の4時間のランニングは、短いのです。
自分の「大変さ」の基準が
“経験”によって変わることを、
マラソンを通じて体感したのでした。
■さて、私の話が長くなりましたが、
先日読んだ『リーダーの指針「東洋思考」』(著:田口佳史)に、
こんな言葉がありました。
内容は、
「自分の力量」を高めるためには、どうすればよいか。
人間として、より強くなるためには、何が必要なのか。
という話です。
(以下、引用です)
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◯耐えられる自分をつくる
人間の力量は「余裕」に表れる。
他人が見ても過酷な状況にあると思えるときでも、
落ち着きを失うことなく、何食わぬ顔で、
時にはニコニコと微笑みさえ忘れずに事に当っている人がいます。
こういうのを余裕といいます。
何事に対しても、すぐに限度一杯にならない人です。
したがって、自体を冷静に見られますから、的確な判断が下せます。
ではその余裕というのはどこから来るのでしょう。
ずばり「辛酸」からです。
人間が受ける「辛さ」にも様々なレベルがあります。
いってみれば、その辛さの幅をひろげていくのが人生といえます。
辛さの幅を拡げるとは、耐えられる自分を作るということです。
力量を上げるとは、このことなのです。
引用:『リーダーの指針「東洋思考」』(著:田口佳史)
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「余裕」は、「辛酸」から生まれる。
「辛さの幅」を拡げていけば、
耐えられる自分も広がる。
そしてそれが、力量が高まる、ということ。
この話を聞いた時に、
「その通りだ」と深く、深く感じたのです。
■「苦労は買ってでもせよ」という言葉もありますが、
これはそういう意味なのでしょう。
何でもかんでも苦労をすればよい、
というものでもないと思いますが、
「苦労」をしている、
今、とても「辛い」と感じる、
そんな渦中にいるときは、
この発想から考えると、「チャンス」でしかありません。
自分の幅を拡げ、
人間としての力を高め、
何があろうとも動じない自分を作っている、
まさにそのプロセスの真っ只中なのだから。
どんなときでも余裕を持ち、
心穏やかに微笑んでいるためには、
人生の酸いも甘いも、「経験」すること、
それに尽きるのだと、改めて感じます。
月並みですが、
失敗など恐れず、「辛酸万歳!」で
どんどん挑戦を続けていきたいものだ、
そのように思った次第です。
【自らの力量を上げるとは「耐えられる自分をつくる」ということ】
なのです。