「真の学び」とは、ただ「知識を習得する」ことではない
(本日のお話 1758文字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は愛知にて、とある急成長の企業様の
選抜リーダーシップ研修ということで「7つの習慣」を実施。
5回、合計5ヶ月間に渡って実施をする内容なのですが、
皆様の雰囲気、発現が段々と変わってきているのが、
大変うれしく思った1日でした。
そして夜は、実家の岡崎に帰り、
父母と、久しぶりに夕食を共にしました。
*
さて、本日のお話です。
昨日の研修で、改めて思ったこと。
それが、「実践すること」、「継続すること」の大切さでした。
本日はそのことについて、
思うところをお伝えさせていただきたいと思います。
タイトルは、
【「真の学び」とは、ただ「知識を習得する」ことではない】。
それでは、どうぞ。
■あらゆる研修をしていて、
受講者からの感想で多いコメントがあります。
それが、
「素晴らしい内容でした」
「今まで知りませんでした!」
「目からウロコでした」
「ぜひ、同僚、部下にも聞かせたいです」
というようなコメント。
このコメントを説明するならば、
「新しいことを知れた感動」
を書き記した、ということでしょうか。
確かに、
「新しい事を学んで、感動をする」
というのは、知的好奇心を刺激されますし、
楽しい学びの一つだと思います。
(私も大好きです)
そして、色んな話を聞く中で、
“心に大きな衝撃を受ける話”
や、
”ハンマーで殴られたような名言”
を聞くと、「はっ」とさせられて、
それに伴い「自分の行動」も変わることも、
もちろんあります。
■しかしながら、私が思うのは、
正直なところ、
「“いい話だけ”で人が変わる可能性は、かなり低い」
ということ。
補足すると、
“いい話”は確かに大事なのです。
「あっ、そうか!」「確かにその通りだ」
「これをやってみよう」と思う気持ち、気付きがなければ
そもそも“変わろう”、”変えよう”とも思わない。
ただ、落とし穴は、この
「”いい話だけ”で変わろうとすること」
だと思うのです。
*
「学び」とは色々な定義があります。
ですが、「勉強をして終わり」というのは、
私は「真の学び」ではない、と個人的に思うのです。
あくまでも私見ですが、
『「真の学び」とは、「知識を習得すること」ではなく、
“自分の行動を変え、結果を変えるもの”』
であるべきでは、そう思うのです。
知っているだけで何も活用できない話であれば、
それはインターネットに任せておけば良い。
知識だけ増やしても、意味がない。
それを、いかに生きるかという「知恵」に
昇華させてこそ、価値がある。
学んだことを、自分の言葉で語れるようになり、
そして、人に伝え、心を動かし、伝播させられてこそ、
本当の価値がある、
私は、そう思います。
■これまで、実際たくさんの
「素晴らしい話だった」
「目からウロコだった」
「ぜひ部下に聞かせたい」
というコメントに出会いました。
しかし、そのコメントの先に、
「実際に何が変わったか?」
「何を具体的な行動として変えたのか?」
を問うてみると、
「いや、ちょっと」
「なかなか難しいですよね」
という困惑した表情とともに、
“何も変わっていない現実”を知るのです。
■だからこそ、
“ハンマーで殴られたような衝撃的な話”
を期待して変わること、変われる事を期待するよりも、
極端な話、
「お、いい考えだな。
「まあ、使えそうなアイデアだな」」
と“少しでも、心に引っかかること”があれば、
それを自分に取り込み、できるようになる習慣を持つこと、
持とうとすること、
こちらのほうが、ずっと大事なのでは、
と思うのです。
■繰り返しになりますが、
“『真の学び』とは、己に変化があること”
です。
だから、“いい話”を”いい話”で終わらせるだけの学びは、
あまりにももったいない。
敢えて本音を言えば、意味がない。
そう、思うのです。
クリティカル・シンキングだろうが、
ロジカル・シンキングだろうが、
「7つの習慣」だろうが、
パソコンの効率的な使い方、だろうが、
歴史の話、であろうが、
「新しい知識を習得して終わり」では、本当の学びではない。
知った後、どうするか。
学んだ後、何をするのか。
そして、自分をどのように変化させ、
バージョンアップさせていくのか。
このことを、もっともっと、
真剣に考えることが、「真の学び」ではないだろうか、
そのように思うのです。
【「真の学び」とは、ただ「知識を習得する」ことではない】。
そう常に考えつつ、
「学び」という、人に与えられた素晴らしき知的活動に、
向きあっていきたい、
そう思う次第です。