「分け合う」「与える」ためには、まず「自らが所有すること」に真摯に向き合うこと
(本日のお話 2248文字/読了時間3分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は2件のアポイント。
並びに夜は、以前参加していた「ダイヤモンド経営塾」で
ご縁をいただいた社長さんや弁護士など、様々な職種の方々と
約1年ぶりにお食事。
それぞれ業界も、職種も、立場も、バックグラウンドも、
教育業界の上場企業の社長、
私と同い年なのに優秀極まりない弁護士の方、
不動産のパワフル二代目女社長、
保険のスーパーセールスマンなど
と全く違うもの、だからこそ話が面白く、
興味ひかれるものがあるのだよな、
と噛み締めていました。
本当に刺激になり、もっと挑戦しないとな、
と思った夜でした。
*
さて、本日のお話です。
昨日の会食で、結局、幸せになるためには、
”「分かち合いの精神」を大切にする“
“「与えること」を最優先にする”
が必須だよね、うん、そうそう。
だから、アメリカ・ファーストとか言っても、
結局孤立するだけなのに、なんだろうねえ、
みたいな話になったのでした。
そんな話をしている中で、
ふと頭をよぎったことがあります。
それは、
「分け合うために、人に与えるために、
まず踏むべきステップがある」
という「7つの習慣」で紹介されていた話。
今日はそのことについて、
改めて「はっ」とさせられましたので、
感じたことについて皆様にご共有させていただいたいと思います。
タイトルは、
”「分け合う」「与える」ためには、
まず「自らが所有すること」に真摯に向き合うこと”。
それでは、どうぞ。
■最近、「7つの習慣」の英語版を、
英語学習も兼ねて、少しずつ読み進めています。
一文一文噛み締めて読んでいると、
やはり、世界3000万部の名著。
色々な気付きがあるもの。
その中で、昨日の
「分け合いが大事」という話をしているときに
ふと、ちょうど先日読んだパートで、
思い出すところがあったのでした。
それは、こんなエピソード。
(以下、内容をまとめています)
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人には「成長のプロセス」というものがある、という話。
*
7つの習慣の著者の、コヴィー博士に3歳の娘がいた時の話。
娘の誕生日パーティーの日で、3歳の娘は、
プレゼントのおもちゃをたくさんもらっていた。
そして、リビングの隅で、彼女はその貰ったおもちゃを、
他の子供が「遊びたい、貸して」といっているのに、独りじめしていた。
すなわち、
“共有をしようとしない”、”分かち合わない”
ことを頑なにしていた。
コヴィー博士は、そのときリーダーシップ論を大学で教えていたので、
他の親御さんの目が気になっていた。「あんな偉そうなこといっているのに、
子供はワガママじゃないの」と言わることに恥ずかしさを覚えていた。
「貸してあげなさい」と優しく言ったり、
「あとでお菓子あげるから」と物で釣ったり。
しかし、娘は、
「いらない!おもちゃは私のだもん!
かしてなんてあげないもん!」
と更に頑なになる。そして泣き出す。
最終的には、遊んでいないおもちゃを半ば強引に娘から取りあげ、
他の子供に「どうぞ、これで遊んでいいよ」と与えた。
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という話。
■そして、この後、
コヴィー博士は自らの行為を、
よくよく考えて、反省をします。
それは、
『人は“所有する”という体験なくして、
人に”分け与える”ということはできない』
という「娘の成長のプロセス」を無視していた、
と気づくのです。
娘は「貸し与える」前に、
「所有をする」という経験する必要があった。
当たり前ですが、
“自分が「所有している」ものでなければ、
真に「分け与える」ことなどできない”
もの。
にも関わらず、
他の子供と親御さんの目が気になって、
娘の「成長のプロセス」を無視して、
「貸し与えろ」とは、ひどいことをしてしまった、
まず、勇気を持って「所有する」という経験をさせてあげるべきだった。
そう反省をした、というエピソードです。
■「分かち合う」「与える」。
これは本当に素晴らしい行為であり、
高い人間性であることは、疑いようがない事実。
しかし同時に、
このコヴィー博士のエピソードから感じることは、
【表面的に、「分かち合うふり」でなく、
真に、心から「分かち合う」ためには、
自らが「所有する」という経験が必要】
ということ、
これもまた事実である、
と思うわけです。
もちろん、
「所有する」事が目的となってはいけない。
強欲のための「所有」では本当の意味で、
満たされることはないことは、
過去の偉人賢人が、口を酸っぱくしていっています。
ですから、
“「分かち合う」「与える」ことを目的とした、
プロセスとして「自らが所有すること」「得ること」“
このことに、私たちは、
もっと真摯に向き合ってよいのではないか、
そう思ったのです。
■なんとなく、
「自分が得ること」
「自分が手に入れること」
それは、
お金がほしい、知識がほしい、
勝ちたい、手に入れたい、
そういった欲求は害悪と思われがちですが
一方、その人が枯渇している、飢えているのに
「分かち合いが大事だよね」
「与えることをしなきゃダメだよね」
と、美しい言葉を語る時に、
何か表面的に聞こえる場合がいるのも、
正直なところ、思うのです。
やはり、与えるためには、
ステップとしての所有が必要、
そんなことを感じたのでした。
これは、きっと無形のものでも同じです。
「人が自らの可能性を見つけるお手伝いをしたい」
ということを自らのミッションとして掲げていますが、
これも同様に、自分がそういうことを言うのであれば、
”自分自身が最も「自分の可能性」の芽を大きく伸ばし、
花を開かせていなければ、そんなこと心から言えっこない”
と思います。
そうしなければ、本当に人の成功を、
心から喜ぶことが出来ない、と思うのです。
だからこそ、
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本当に自分が「人に与えたい、分け合いたい」と思うものがあるならば、
まず“自分”がそれを最大最高に「得ること(所有すること)」に、
”真剣に”“真摯に”取り組む
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このスタンスが大事ではなかろうか、
そんなこと「7つの習慣」を見返しつつ、
思った次第です。