3連休セミナーで学んだ、「人はコミットしなければ動けない生き物」という教訓
(今日のお話 2456字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は3件のアポイント。
ならびに夜は、3連休に通っていたセミナーの、
クロージング最終日でした(3日間+1晩なのです)。
改めて感じたのが、
このセミナーの内容以上に、
セールスプロセスの素晴らしさ。
非常に勉強になることが多く、
今後企画する研修にも良い意味でいかせそうで、
楽しみです。
*
さて、本日のお話です。
先日のセミナーで、
”セールスプロセスが凄い”
とお伝えしたのですが、
なんというのでしょうか、
「紹介の連鎖」の生み出され方が、
驚嘆に値するものがありました。
そして、その”紹介の連鎖”を
生み出す構成要素が何なのだろう?
と考えた時に、
「コミットさせる、そして結果を出させる」
にあると感じたのでした。
今日は、そのお話について、
思うところをお伝えさせていただきたいと思います。
タイトルは、
「3連休セミナーで学んだ、「人はコミットしなければ動けない生き物」という教訓」。
それでは、どうぞ。
■3連休を使い、参加した、とあるセミナー。
「自分の可能性を見つける」
というようなテーマですので、
普通に考えたら、怪しいです。
(セミナーの金額も高いし)
とはいうものの、
・私の仕事上の学び(教育プログラムをもっと知る)のためにも、
・自分自身の好奇心からも、
・30年近く続いているセミナーということは、
「そこに何かあるに違いない」という期待感からも、
参加を決めてみたのでした。
■結論からすれば、
内容としては正直、知っていることであり、
手前味噌ながら、
「自分が提供している
『7つの習慣』は、プログラムとして
本当によく出来ているんだなあ」
と地元を離れて、地元の良さに気づく、
みたいな体験をしたという感じでした。
結局、「原則」は同じであり、
それは世界共通、研修でも同じようなことを
言っているものです。
■しかし、このセミナーが
圧倒的に違ったところ。
そして特徴的かつ、
「これはすごい!」と感嘆したことが、
『参加者同士でコミットし合い、
絶対やらないことをやるように促す』
という”仕組み”
でした。
詳しくは書くことができないのですが、
例えば
・絶縁していた母親に謝る とか
・本音を言えなかった兄に電話する とか
・関係が悪くなった親友にぶっちゃけ話をする とか
・気まずくなっていた上司に思いの伝える とか
そんな
「今の自分にとって気がかりなこと(人間関係)」
を挙げつらい、その解決を休憩の30分間に行う、
みたいなことをするわけです。
(普通に考えたら、とんでもないことですよね)
■もちろん、参加者のほとんどが、
”自腹で16万円支払って来ている人たち”だから、
ということもあります。
身銭を切るということは、
「痛み」を生じます。
「何とか自分を変えたい。変わりたい」(=元を取らねば!)
となるがゆえ、
ある種、パッと見たら異様な空気の中に飛び込み、
何かを得ようと必死になるからゆえ、
「行動ができる」という前提条件もあるのでしょう。
しかし、それでも、
・絶縁していた母親に謝る とか
・本音を言えなかった兄に電話する とか
・関係が悪くなった親友にぶっちゃけ話をする とか
・気まずくなっていた上司に思いの伝える とか
みたいなことは、
早々できるものではありません。
■では、どのように、
「行動を促す」のか。
そこに、
『コミットの強制力』
が働いていると感じたのです。
先の例で言えば、
具体的には、こんなイメージ。
1,気がかりな人を挙げる。
もし関係が改善されたらどんないいことがあるか考え、
ペアで語り合う。
2,行動しない理由について、ペアで語り合う。
それが「ビビり」であることを語る
(やらない理由の打ち消し)
3,「関係を変えたいかどうか?」について
お互い「YES」を言い合う
4,お互いのこれからのチャレンジについて、
応援できる人は相手と握手をする
5,いざ出陣、の前に、
お互いの健闘をたたえて、そして背中を押し合う
みたいなこと。
(あくまでイメージです。
とはいえ「ますます怪しい」となりそうですが汗)
この構造を、よくよく考えると、
「小さなコミット」が、
いくつも積み重なっているのがわかります。
人には、人間心理として
【一貫性の法則】
が働くため、自分がコミットしたことについては
裏切れない、行動するしかない、
という力が働く、
だから、「コミットの強制力」によって、
「さすがに、これは無理だろう」
と言われるほどの行動を、
促すことができるのです。
それを、緻密に計算された”仕組み”が、
お世辞抜きに、「凄いなあ」と思ったのでした。
■おそらく、こういうような、
一つの考え方、流れ、方向性に、
空気感や世界観に浸からせて、
そして引っ張っていくことを
「宗教みたい」と、”引く”人も多いでしょう。
(その気持ち、よく、わかります。)
しかし、です。
もしその方向性が悪い方向ではなく、
”ずっと気になっていた問題”
を解決するような方向に働くものであるとするならば。
それは、決して悪いものではない、
むしろ積極的に飛び込んでよいのではかろうか、
そう思うわけです。
おそらく、それは形が違えど、
「甲子園を目指そう(自己実現をしよう)に向けて、
チーム全員で、汗、涙を流す情熱」
そういった類のものに近しいのではなかろうか、
とも思うわけです。
■人は、「やったほうがいい」と思うこと、
それがたとえリスクがない、早起きや勉強ですら、
残念ながら、なかなか出来ない生き物です。
だからこそ、特に人間関係において、
センシティブな部分などは、
絶対的に誰かの助け、勢いがなければ、
解決することなどできない。
そして、意外とそういったものは、
飛び込んでみると結構上手く言ったりするものです。
(上手くいかないことも、もちろんありますが)
だからこそ、
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人は意志が弱く、動けない生き物。
だからこそ、自らを「強制的なコミット」の場に晒し、
行動を促し、結果を得る
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というように、
周りの環境を利用して、
自らに行動を促す”仕組み”を設けることが、
重要ではなかろうか、
そのようなことを感じた次第です。
ということで、
強制力、上手に活用していきたいものですね。