「役に立つ」という病
(今日のお話 2537字/読了時間3分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日はお客様3社にて、
新人研修の実施でした。
朝からひたすら研修サポートということで、
四ツ谷→五反田→日本橋→茅場町→代々木と
ハシゴをしておりました。
改めて思うのが、新入社員といっても、
本当に業種業界によって、違うんだなあ、ということ。
もう場合によっては、
”違う国の人”みたいにすら感じます。
きっとこれからの動きで、
どんどん違いが生まれるんだろうなあ、
などと彼、彼女らの未来に思い馳せた次第です。
*
さて、先日からずっとハマっているテーマ、
「AI」について、本日もお伝えしたいと思います。
先日読了した
『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』
井上 智洋 (著)‚
では、
”AIが高度に進歩した未来ではBI(ベーシックインカム)の制度こそが
新たな社会保障のシステムとして人々の生活を守る”
と強く提案していました。
今日はその話を踏まえつつ、
「これからの私達の生き方」について、
思うところがありましたので、皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
「役に立つという病」。
それではどうぞ""
■「AI」が高度に発達した未来では、
一つの可能性として、
”人が働かなくて良い未来が訪れる”、
という説があります。
例えば、
・「経理の仕事」は全部ロボットが計算してくれる
・「事務作業」は全部ロボットがやってくれる
・「簡単な料理」も全部ロボットがやってくれる
・「モノづくり」も全部ロボットが管理してくれる
・「簡単な料理」も全部ロボットが作ってくれる
みたいなイメージ。
色々な障害はあるにせよ、
これから30年先には技術的にはもう、
難しくない、実現可能な未来がやってくる。
そんなことが、
まことしやかに言われています。
■もし、仮にそうなったら
何が起こるのでしょうか?
まあ、一言で言えば、
「仕事がなくなる」
ということ。
すると、私達の根本的な価値観、
生きる「人生モデル」も変化を迫られます。
例えば、今までは、
「将来に役に立つから」と言って、
”未来のために投資をする”という考えが、
一つのモデルとして台頭してきました。
例えば、
・小学校から、いい大学に入るため塾に通う、
・大学に入った後は良い就職先を得るため資格を取る
・就職してからは出世をするため
みたいなものは代表的なものでしょう。
そうしなければ、
「自分の市場価値」を保てない。
だから出世できない。
いい暮らし出来ない。
だから今頑張る。(未来のために)
資本主義が支配する世の中では、
そんな活動が一つの中心的な考えになってきた、
そんなことを先述の
『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』
では伝えていました。
■確かに、私自身、
思い当たるところがありました。
もしかすると私の周りだけかもしれませんが、
「将来、役に立つから」
という投資を軸に今の活動を決めていく、
そんな生き方は1つの、
”中心的な人生モデル”であると、思うし、
私自身、その傾向で動いてきたな、
そう思ったのです。
ちょっと脱線しますが、
興味深い話があります。
20世紀前半のフランスの小説家で、
「ジョルシュ・バタイユ」という人がいました。
彼は、
「役に立つこと」(=有用性)
を否定していた思想家でした。
「資本主義に覆われたこの世界に生きる人々は、
”有用性”(役に立つこと)ばかりに取り憑かれ、
重宝しすぎる傾向がある。」
と。
ちなみに、「有用性」と対をなすものが「至高性」。
「至高性」とは、
”その瞬間、そのものこそが楽しく、素晴らしい、
価値があると思えるものごと”
を指します。
今の資本主義が加速した世の中、
「役に立つことバンザイ主義」(有用性)
が台頭しているけど、
「今この瞬間を楽しむこと」(=至高性)が、
もっと大事なんじゃないの??
そんな問いを彼は投げかけてそうです。
■そして、AIが作り出す(かも知れない)未来を知り、
想像し、はたと思うことがありました。
それは、私たちは、
【役に立つという病】
にかかっているのかもしれない、
ということ。
「将来が不安だから」とお金を貯める。
「将来もっと幸せになるために」と時間を犠牲にして勉強する。
「将来、ずっと健康であるため」と体を鍛えてまくる。
確かにこのことは素晴らしい。
価値あることだと思います。
しかし、気をつけないといけないのが
「未来のため”だけ”」にやっていて、
「今を犠牲にしている」としたら。
それはもしかすると、
バタイユのいう有用性の罠、すなわち、
【役に立つという病】にかかっているかもしれない。
そんなふうに感じたのです。
■もし、将来、
あらゆることをAIやテクノロジーが、
物事を生み出したり、問題を解決してくれる時代が来るとすると、
「役に立つ人」=「市場価値がある人」
という、資本主義の世の中をなんとなく支配している価値観も、
変化を迫られる可能性がります。
すると、
”「役に立つ人物」になるために、今を犠牲にする”
という考え方も、
旧世代のモノになるかもしれません。
昔から価値観は常に変わり続けていますから、
あながちありえないとも言えないのです。
将来のために努力するのは、
確かに大事。
しかし
「将来のために、今を犠牲にしまくる」
となっては、もったいない、
そう思ったのです。
■「7つの習慣」では、人は
”効果性が高い人生”、すなわち
”充実した幸せな人生”を作り上げるポイントは、
『今欲しい結果を、将来さらなる良い結果につなげるようにする』
こと、といっています。
つまり
”「将来のために今を犠牲にする」のではなく、
「今の幸せを実現しながら、一石二鳥を狙う」”
ということです。
”健康のためにマラソンをする”といった人が、
仮にマラソンによって寿命が7年のびても、
7年間、苦々しい思いでマラソンをしていたら、元も子もありません。
ただ苦痛を重ねただけです。
「マラソンは好き。ストレス解消になる」
という”今の欲しい結果”があって、
その上で、
「結果、寿命が7年のびて将来に役に立った」
そんな状態こそが、
理想的な状態ではないか、と思います。
と、話が色々と広がってしまい
ましたが、「将来のために」とか
「今を犠牲にしてしまいがち』という世の中において、
【役に立つという病】
には、気をつける必要がありそうだ、
そんなことを思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって素晴らしい1日になりますように。