一隅を照らす、此れ即ち国宝なり
(今日のお話 2537字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日金曜日は、2件のアポイント。
ならびにチームミーティングなど。
また本日土曜日は、
”人間学を学ぶ”というテーマで
偉人賢人の言葉、インタビューなどが
掲載されている月刊誌『致知』のイベントである、
「若獅子会」という勉強会に参加してきました。
35歳までが参加対象ということでしたが、
色んな業界の人が集まっており、大変面白い場でした。
*
さて、本日のお話です。
月刊誌『致知』の中で、
とある言葉が紹介されていました。
それは、
「一隅(いちぐう)を照らす」
という言葉。
今日は、この言葉の意味と、
またそこから教訓として感じたことについて、
皆さまにご共有させて頂きたいと思います。
それでは、どうぞ。
■平安時代の有名な僧。
日本の天台宗の開祖である
”伝教大師最澄”が残した言葉に、
『一隅(いちぐう)を照らす此れ即ち国宝なり』
というものがあります。
それが小さな場所でも、
その今いる自分の場所を照らすこと。
これが出来る人は「国の宝」である
それくらい大切なでことである、
という教えです。
■しかしながら、今、
一部の優秀な人達によって動かされています。
例えば、appleにgoogle、facebook。
「一部の優秀かつビジョンがある人」が、
確かにルールを決めているし、
そんな人達によって世界がデザインされている、
というのは事実だと思いますし、
そしてその傾向は益々増えていると感じます。
当然ながら、
良くも悪くも、人には「能力の差」があります。
才能に溢れ、世界を席巻するスティーブジョブズみたいな、
大企業中の大企業、世界に影響を与える
「プラチナリーダー」のごとき人もいれば、
町工場で、働く2人に従業員の鏡になる
「親方のようなリーダー」もいたりするもの。
そして、両者を比べたとしたら、
「与える影響力の大きさ」
は、当然違います。
時流に乗っている業界か否か、
影響を与える人の数が多いか少ないか、
それらによって、
「影響力」は変わってくるものでしょう。
■実は、私は社会人になりたての頃、
こんな風に思っていました。
それは、
「なんだかんだで、
“より多くの人に、より大きな影響力”を与えた人の方が
価値があると思う。
だから、自分もそうなりたい。」
ということ。
正直、町工場の親方より、
ジョブスになりたかったし(というと大げさですが)
大きな影響を持ちたかった。
*
しかし、社会人になり、
自分の現実を知るのです。
周りにいる尊敬する上司、
能力に溢れた同僚、
より早いスタートを切っている友人、
それと自分を比べて、
矮小な自分の能力、可能性を見て、
悲しくなったのです。
「対して凄くない自分がジタバタしても、
たいした影響は与えられない。
自分にはさして、価値がない」
と。
単純すぎる発想ですが、そんな風に
”影響力の多さで、自分の価値を判断する”、
そんなことがあったのでした。
■しかし、先述の言葉、
『一隅(いちぐう)を照らす此れ即ち国宝なり』。
この言葉をみて、改めて
気付かされた思いがしました。
人には能力の差があります。
生まれてきた環境の違い。
持っている才能の違い。
所属する組織の違い。
立場の違い。
夢に向けて邁進出来る人もいれば、
つまずき、立ち止まる人もいる。
だから、
”与えられる影響力”の多寡は人によって、
確かに違うかもしれない。
でも、結局は
『一隅(いちぐう)を照らす此れ即ち国宝なり』
なのです。
”大切なことは、「影響力の大きさ」ではなく
【自分が自分なりにどれだけ輝けているか】である”
ということ。
どんな状態でも、
影響力が大きかろうが小さかろうが、
今いる環境で光り輝くこと。
それこそが、
何より重要なことではなかろうか、
そのように感じたのです。
■「7つの習慣」でも、
効果的な人生を歩むためには、
”インサイド・アウト”(=内から外へ)
の姿勢が、原則中の原則である、と言います。
環境が恵まれなかったとしても。
逆境の中にいたとしても。
まず、自らが、変わること。
インサイド(自ら)から、
アウト(外)へ向けて、
アクションをし続けること。
このことがあるからこそ、
自らの運を切り開くことができる、
改めて、そのように感じた次第です。
私も、一人でも二人でも、
参考になっていただける限り、
メルマガを通じて、「一隅を照らし続けたい」と思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
皆さまにとって素晴らしい週末となりますように。