新しい世界を、見て、聞いて、感じて初めて、人は「成長の階段」を登り始める
(今日のお話 2305字/読了時間3分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は午前中お休みをいただき、
千葉のとあるホテルへ半日の小旅行。
通常30‚000円するホテルのラグジュアリールームが、
平日は6‚000円で泊まれるという、ちょっと贅沢な体験をしておりました。
貧乏性の私にとって、
このような「コスパ」が最高にいい体験は、垂涎モノ。
(郊外の良いホテルに平日宿泊、有給消化のオススメな使い方です。
結局、仕事をしていましたが笑)
*
さて、話は変わりまして、
先日とある番組が放映されていました。
それは、
『NHKスペシャル「見えない“貧困”” ~未来を奪われる子どもたち~」
という番組。
今日はこの番組より引用しつつ、
「新しい世界を、見て、聞いて、感じて初めて、人は”成長の階段”を登り始める」
というテーマで、
思うところをお伝えさせていただきます。
それでは、どうぞ。""
■最近、62の自治体が詳細な調査を行い、
あることがわかりました。
それは、
”6人に1人の子どもが相対的貧困状態に置かれている”
という現実。
日本が抱える大きな問題の一つです。
ちなみに、「相対的貧困」とは、
その人が暮らしている時代や地域の水準よりも貧しい状態のこと。
収入の統計データの「中央値より半分以下」がひとつの目安です。
具体的には、
・一人世帯で年収122万円以下の家庭
・二人親と子どもがいる世帯で
年収244万円以下の家庭
は、相対的貧困の可能性がある、
そのように番組にて解説していました。
そして、そのような状況下に置かれる子どもたちが、
「”何を奪われて”いるのか?」
について、200の質問から詳しく調べたとのこと。
■その結果、判った
子どもたちから”奪われているモノ”とは、
「自転車、新しい靴、服など」
という”物質的なモノ”が一つ。
(ちなみに、”テレビ”や”スマフォ・タブレット”など、
友人とのコミュニケーションに不可欠なものは、
相対的貧困層も、所有率は平均と変わらなかったそうです)
そして、もう一つは、
親が仕事でいない、
バイトしなければ生活ができない、
旅行にいけないなどで、
「人とのつながり」
という”人間関係の機会”が奪われている。
そして、最後は、
塾にいけない、学校行事に参加できない、
本を買うことができない、という
『教育の機会(体験の機会)』
が奪われている、
そんなお話でした。
このように、相対的貧困によって、
”子どもたちの未来が奪われている”
というのが、
この番組が警鐘を鳴らしていた事実であり、
そして、日本の問題である、
そう語るのでした。
■そして、この番組が伝えることを、
私は、妻と共にソファに座って見ていました。
すると、おもむろに、
妻がこういうのです。
「こう見てみると、私も学生時代、
”相対的貧困”に近かったような気がする」
と。
妻が言ったのは、
・学生時代は、自分の生活、交際費は自分で稼ぐ必要があった
・「大学進学」という選択はそもそもなかった
・親の手伝いをしなければ、生活が成り立たないと思っていた
という話。
もちろん、番組の紹介された事例に比べると、
ずっと状況はよいでしょう。
しかしながら、妻が言うのは、
「もし、東京に出てこなければ、
茨城の田舎にて、”人生はこんなもの”と
視野が狭いまま生きていたはず。たぶん、間違いない。」
というわけです。
■我が妻は、専門学校を卒業した、
一デザイナーです。
今までは数人のスモールカンパニーで、
絵のデザインなどをしていました。
しかし、東京に来て、
特に劇的に、
「知らない体験をする機会(=教育の機会)」
を得はじめたのでした。
(私が色々連れ回す影響もあるでしょうが)
例えば、
・「囲碁」を本格的に始めたり、
・「ビジネススクール」などに、ピンポイントで参加したり、
・「経営者」「秀逸な能力を持つビジネスパーソン」と友達になったり、
・時には本を何冊も出している有名人や
「情熱大陸」とか「プロフェッショナル仕事の流儀」にとり上げられた人に出会ったり、
・ウェブデザイン、ホームページ作成などを覚えたり、
などの「経験」を得はじめたのでした。
そうして、
”知らない世界”、”すごい人”って意外と身近にいる、
”割りと普通なんじゃね?”
と感じ始めたそうなのです。
すると、
「あ、まだまだ自分も、できることがありそう」
「自分にも、まだこんな可能性がありそう」
「仕事でも、◯◯さんのようになりたい」
と、視野が拡がり、
”自らの未来”に対して、葉を広げる活動が増えてきました。
そして、今は自ら
フリーランスとして、おそらく、
今までよりも多い収入で働くようになりました。
■そして思うのです。
別に、妻がどうとか、すごい、とか、
そういう話ではなく、
学生だろうが社会人だろうが、
いついかなる年代、年齢でも、
『人が、自らの可能性を見つけ、伸ばすためには、
「新しい世界を知る機会」が鍵になる』
ということなのです。
人は、”自分がリアルに見聞きしたモノ”でなければ、
イメージすることができません。
だから、テレビで、
情熱大陸とかプロフェッショナル仕事の流儀に出ている、
すごい有名人とかビジネスパーソンを見ても、
それが「箱」の中の存在でしかなければ、
きっと「そのスゴさ」は虚構にした過ぎない。
だから、
「人」を通じて
「行事」を通じて、
「体験」を通じて、
何かしらの「直接的なリアルな体験」をすることが、
視野が拡げ、自らを伸ばす第一歩になるのだと思います。
■今、子どもたちから
”奪われている未来”があることは、
本当に大きな問題だと思います。
それが簡単には解決できない、
構造的で、連鎖する問題であることもわかります。
しかし、もしそれらの問題を断ち切ることができる、
一つの方法としては、
それは、社会にいる、
社会を動かしている、あらゆる大人が、
「(大人自身で)学び続けること」
「学んだ体験、新しい世界を連れ出してあげること」
ではないだろうか、
そのように思うのです。
人は世界を、そして視野を拡げることで初めて
「成長の階段」
を登り始める事ができます。
だから、まずは
”自分自身”が視野を広く持つために、
閉ざされた世界から飛び出していくこと、
そして、そのことを、
周りに人に伝えていくこと、
生き様を示していくこと、
これらが、自分のため、
ひいては社会のために、必要なことではないか、
そのように思う次第です。
まずは、自分が知る。
そして、人に知らせる。
綺麗事かもしれませんが、
それでも、大切だと思うのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本日が皆さまにとって素晴らしい1日となりますように。