人生は金貨の入った砂時計のごとき、儚きもの
(本日のお話/1234文字 読了時間1分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は珍しく終日社内にて仕事。
溜まっていた業務の処理、企画書の作成などでした。
また夜は、親しい友人の会社が
本日付で倒産することになり、
慰労会をこじんまりと開催。
その会社は、社長と従業員の対立が転機となり
主要メンバーが1人抜け、2人抜け、
そして、どんどんいなくなり最後は友人だけ。
そして今日、一人静かな退社を迎えたとのことで、
「あまりにも寂しすぎる!」
ということで、サシで、
ホルモン焼きをしっぽりとつまみながら、
諸々語らった次第。
*
そんな友人の会社の倒産話を聞きつつ、
「世の中何があるかわからないものである」
と、よく言われる言葉を、
しみじみと感じておりました。
そんな時、ふと、
私が新入社員の時に当時の社長から聞いた、
とあるお話を思い出したのでした。
ということで、今日のテーマは、
「人生は金貨の入った砂時計のごとき、儚きもの」
というお話について、
皆さまにご共有させていただきたいと思います。
それでは、どうぞ。
■10数年前、私が入社した会社。
それは当時、世間を席巻していた、
世の中を賑わす飲食チェーンW社。
そのカリスマ社長と呼ばれた有名な創業社長が、
新入社員の面々に、
”1日を真剣に生きよ”
というメッセージと共に、
こんな例えば話をしてくれました。
「人生とは「砂時計」のようなものだ。
生まれた瞬間、
ひっくり返した砂が落ち始める。
それは、80年くらいの量の、命の砂。
そして、その砂が少しずつ落ち、
全部落ち切ったとき、死が訪れます。
しかし、この「人生の砂時計」には
”特別な金貨”が入っているのです。
これは砂に紛れています。
どこで現れ、 いつ落ちるのか、わからない。
ただ、この金貨がひとたび、下に落ちると、
残っていた全ての砂が一度に落ちる、
そんな特別な金貨なのです。
私たちの人生は、この
「特別な金貨の入った砂時計」です。
明日が続くと思っても、
いつその金貨が落ちるのかは、誰にもわからない。
だから、皆さん、1日1日、一生懸命、
全力で生ききってください」
と。
■この話をきいたとき、
私は少しの怖さとともに、
人生の儚さを想像しました。
私は命の危機に晒されたことがないので、
明確にイメージできるかと言われれば、わからない。
ただ、本当に予測もしないうちに、
突然金貨が落ち、幕を閉じた多くの人生があることは
現実、いくらでもあります。
よく言われる言葉で、
「一生懸命生きろ」
「死ぬ気で生きろ」
「今を当たり前と思うな」
というように、
時間の大切さ、
大切な人との時間について、
語りかける偉人賢人の言葉があります。
それは、なかなか
イメージできないかもしれません。
でも、友人の会社が
突如、解散宣言を発したように、
「起こらないと思っていることも、
起こるときは起こる」
ということ、
これは現実なのだろうと、
ひしと感じたのでした。
いつ、何が起こっても後悔のないように。
今一度、当たり前の1日を、
大切に、真剣に生きていきたい、
自分自身そう静かに戒めた次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
今日も皆さまにとって素晴らしい1日になりますように。