僕たちは世界を変えることができない、としても。
■おはようございます。紀藤です。
週末に一本、あるDVDを見ました。
『僕らは世界を変えることができない』
という3年程前の映画で、
実際の話を元にしたノンフィクションの映画。
さえない大学生が、とあることから
「カンボジアに学校を建てたい!」
と思い立ち、
カンボジアに学校を建てるサークルを作ることから、
話は始まります。
■学生ながら必死でお金を集める彼ら。
しかし、実際にカンボジアに行ってみると、
・貧困
・HIV
・政治問題
・子供の労働問題
など、
非常に大きく、
根深い問題を目の当たりにして、彼らは悩みます。
「学校を立てて、何が変わるのだろうか?」
「自分達がやっていることは、意味がないのではないか?」
「自分達は、ただの偽善者なのだろうか?」
■そんな悩みの中、
彼らがたどり着いた一つの答えは、
『私達のしていることは大河の一滴、
けれど何もしなければその一滴すらも消えてしまう』
というマザー・テレサの言葉でした。
もしかしたら、
学校を1つ建てることは
何も意味がないかもしれない、
それでも自分のために何かやるより、
人のために何かをしたほうが、
喜びを感じられることもある。
笑いながら、そんなことができて、
それが人のためになるならば、
それほど素晴らしいことはないだろう。
そんな言葉で、自分たちと、
仲間達の心に火を灯しました。
■「7つの習慣」において、
「第一の習慣 主体的である」
という習慣で、
【影響の輪に集中すること】
が大切である、と言います。
それは、
”自分が影響できない「関心の輪」に力を注ぐよりも、
たとえ小さなことでも、自分が影響できる「影響の輪」に力を注ぐことで、
周りへの影響を大きくすることができる”
という法則です。
この映画においても、
「政治が悪い、労働環境が悪い、貧困を失くせっこない」
と、自分が変えられない「関心の輪」に意識を向けず、
「小さいことだけど、一つだけでも学校を作ろう」
と、自分が影響「影響の輪」に意識を向けることで、
結果的にその話が書籍になり、映画になり、
私と同様、多くの人の心を動かしたわけです。
■「小さなことだから、やらない」
のか
「小さなことだけど、動いてみる」
のか。
人生に訪れる多くの選択の瞬間において、
大切な指針の一つではないか、
この映画を見て、
改めて思わされた次第です。