ホームランを狙っていいですか
■おはようございます。紀藤です。
本日は、先日からご案内をしてまいりました、
『7つの習慣® SIGNATURE EDITION 4.0』 World Tour in 東京 の開催日。
定員の200名を超える方からお申込みを頂いており、
非常に盛り上がるイベントになるのかと、ワクワクしております。
本日は私もスタッフとしておりますので、
皆さまにお目にかかれることを楽しみにしています!
■さて、今日のお話ですが、
以前にあるお客様から共有頂いた、
非常に心温まる話がありましたので、
そのお話を共有したいと思います。
私も改めて読んだところ、非常に胸が熱くなり、
同時に目頭も熱くなってしまいました。
ある甲子園に出場した、監督のお話です。
私たち箕島高校にとって忘れられない、宝物のような話を聞いてください。
1979年の夏の甲子園大会の3回戦で、石川県代表の星陵高校と延長18回の試合を戦いました。
この試合、1対1のまま9回を終えて延長戦に入っていきました。
延長12回の表、星陵高校の攻撃で1点を入れられてしまいました。
そして、12回裏の箕島高校の攻撃が始まったのですが、
簡単にツーアウト、ランナーなしという場面に追い込まれました。
そのときに、私は監督として考えました。
ツーアウトランナーなしか、ああ、この試合もう負けだろう。
敗戦インタビューでは何をいおうか。
そのときキャッチャーの島田宗彦がバッターボックスに向ったのですが、
途中から引き返してきました。
そして、私たちの前に立って、
「監督、ぼくホームラン狙ってもいいでしょうか」
突然言ったのです。
彼の気迫に圧倒された感もあって「狙えー」といってしまったのですが、
そうはいったものの、彼は小柄で、
決してホームランを狙えるような子ではありません。
彼が再びバッターボックスへ向かう後ろ姿を見ながら、
「あれ、何であの冷静な子があんなことをわざわざ言いにきたのだろう。
ホームランをねらうのだったら、自分の胸の内で狙えばいい。
あんな大きな声でみんなに言って、もし3振でもしてしまったら、
えらい恥をかくじゃないか」。
彼がバッターボックスに立つころ、
もしかしたらと思い当たることにぶつかりました。
監督がダメだと思った気持ちが、以心伝心でチーム全体に移ってしまった。
その原因をつくったのが私、
そのことに気づいたのがこの島田宗彦。
キャッチャーというポジションで、彼は常にチーム全体を見る目を養ってきました。
本当に彼が言いたかったのは
「監督もみんなも元気出せよ。まだ試合終わってないじゃないか」
ということだったと思います。
もうダメだと思った瞬間に、チーム全体が試合から遠ざかってしまって、
自分の中に閉じこもってしまった。
その離れた気持ちを再び試合に戻してくれた一言が
「ホームランをねらっていいですか」
という一言です。
その一言でみんなが一斉に顔を上げ、
そして、みんなが「島田頼むぞ、行け」、そんな声が出るようになりました。
気持ちを試合に戻してくれた。
そして、彼は、見事なホームランを打ってくれました。
さらに延長戦が続いて、延長16回にも星陵高校が1点を入れて、
ツーアウト、ランナーなしという場面がありました。
その時には、もう敗戦インタビューのことは考えませんでした。
箕島の子たちもすごい、星陵の子たちもすごい、そんなふうに思っています。
18回、私たちは、何とかサヨナラ勝ちを収めました。
宿舎に帰ったときに、選手を集めてミーティングをしました。
選手たちは正座をして、待っていてくれました。
私は円陣の中に入って、子どもたちの顔を一人ひとり見回していきました。
どの子もどの子も目に涙をいっぱい浮かべながら、それでもキラキラひかる目で私のことを見つめてくれました。
最後の一人まで見終えたときには、
「有難う。こんなすばらしい試合を。自分はお前たちの監督でよかった」と思いながらも、
胸がいっぱいになって声が出ませんでした。
私も子どもたちと一緒になって涙が溢れて止まりませんでした。
お互いに涙を流しながら、
「この子たちと気持ちが通じたな、心が通い合ったな」、
そんな充実感をもつことができました。
そして、それから後の苦しい試合を勝ち抜いて優勝することが出来ました。
それは、きっとチームのみんなの心が一つになれたからだと感じました。
私は、そんな野球というすばらしいスポーツに出会えたことを感謝していますし、
野球を志すたくさんの子どもたちと出会えたことに感謝しています。
今は、現場を離れましたが、下手くそでも、一生懸命見守り続けていきたいと思います。
(引用元:岩国RC創立45周年記念講演会にて
和歌山県立箕島高等学校元野球部監督 尾藤 公 の講話より)