「過去は書き換えられる」という考え方から学ぶ、陽転思考の技術
(本日のお話 2156字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は、フランクリン・コヴィーにて、
新商品の社内勉強会。
また午後からは、東京経済大学にて、
「キャリア論」の授業の立ち会いでした。
友人夫妻が講話するとのことで、
私も妻とともにゲスト・コメンテーターのような立場で、
参戦させて頂き、楽しい時間を過ごしました。
大学って、過ぎてみるとわかりますが、
貴重な学びの場だったよな、
と振り返って感じました。
"リカレント教育"など言われますが、
また私も学業だけに集中してみたいな、
今更ながら思います。
(大学時代、全然学ばなかったのが、
もったいなかったですね汗)
*
さて、本日のお話です。
最近、妻と話をしていて
はたと気付かされたことがあります。
ちょっと突飛なようですが、それは、
「過去は書き換えられる」
という、ちょっと深いテーマでした。
しかしながら、
その議論を深める中、
「確かにそうだな」
と感じると共に、
その"考え方"はひとつ、
生き抜く上で大切な話かな、とも思いましたので、
本日はその内容を皆様にご共有できればと思います。
タイトルは、
【「過去は書き換えられる」という考え方から学ぶ、陽転思考の技術】。
それでは、どうぞ。
■「過去は書き換えられる」。
そんな言葉を突然聞いたら、
どのように感じるでしょうか。
なんだそれは。
ちょっと怪しい。
いや、意外とわかるかも。
、、、
きっと、色々な意見があるのでしょう。
でも、この話、
最近、私が個別のコーチングなどをする中でも、
ちょくちょく似たような"気付き"を得る人がいて、
不思議だなあ、と思うことなのです。
■先日、妻と、
「自分の"考え方"がどうやってできあがったのか?」
のような深いテーマを話していたとき、
妻がふと言った言葉が、先述の、
「"過去は書き換えられる"んだろうね」
という話なのでした。
その理由を平たく要約すると、
"「過去」とは、自分が今現在
印象に残っている出来事を集めた
『解釈のストーリー』でしかない"
ということです。
■今の自分があるのは、
・(たまたま今覚えている)
これこれの出来事があったからである、
あるいは、
・(たまたま記憶に残っている)
こういったショックな事件が、自分の足かせになっている
そして、
「これらの出来事があるから、
今の私は、こういう人間、考え方、価値観なんだ」
とつながっていく。
そんなイメージでしょうか。
■すなわち、
"自分の記憶の軌跡"をたどりつつ、
"「事実」を正しく記憶しているのではなく、
「解釈」が加わって、出来事に意味付けをしている、"
にすぎない、ということなのです。
*
だから、ネガティブな過去、
ショックだった出来事だけ引っ張り出して、
「自分は、そんな辛い体験ばかりだったから、
人が信用できなくなったんだ」
と『解釈』することもできるし、
逆に辛いことがたくさんあったとしても、
その時に芽生えた、"悔しさ"という感情にスポットを当てて、
「あの体験があったから、
自分は"強くなる"ことが大切に思った」
という、また別の”解釈”をすることもできる、
そのようにも言えるだろう、
と思うわけです。
■少し前に、週末にやっていた
「ミッションワークショップ」にて、
ある人材開発に関わっている深い思考をお持ちの方が、
「過去を振り返るワーク」をやっていて
(="感情曲線"という有名な手法)
ふとこんな事を言っていたのが印象的でした。
「これまで何回も”感情曲線"を書いてきたのに、
今やってみると全然、出来事の解釈が違いますね。
なんで今まで、気づかなかったんだろう.....。
自分は、”まだまだ”でしたね」
と。
彼女の心境の中で、具体的に、いつ、
どのような変化があったのかはわかりません。
ただ、自分が成長するに伴い、
・見える世界が変わり、
・価値観に変化があり、
・過去に起こった出来事の「解釈」も変わった
そんな精神的な変化があった。
過去に起こった出来事は同じはずなのに、
”自分が変わること”で歩んできたストーリーも変わる。
「自分の解釈(=思い出の意味、出来事の意味)が変わる」
ということは、
【自分の過去が書き換わる】
そう表現をしても、決して過言ではない、
そのように思ったのです。
■過去に悩み、過去に原因を求め、
そして悶々としている人、
実は多いように感じます。
しかし、どんな過去であるにせよ、
「あの出来事のせいで、、、、」
ではなく、
『あの出来事があったから』
と意識を転換することができたとしたら、
それは「陽転思考」とも呼べる、
力強い思考習慣になりえるのではないか、
そう、思います。
■自分で自分の人生の航路を決めていくことが求められる今。
未来を力強く生きるため一つの武器として、
「自らの"解釈"を省みてみること」 とは
【「過去は書き換えられる」という考え方から学ぶ、陽転思考の技術】
とも呼べるものである、
そのようにすら感じます。
繰り返しますが、
「自分のあのときの出来事」は、
自分が作っているストーリに過ぎません。
だからこそ、今の自分に意味を与えてくれる、
”力強いストーリー”を描きたいですし、
どんな辛い出来事も、失敗も、
またたは、プラスの出来事も、
悶々とし続けた時期も、
「一つのサクセスストーリー」のごとき、
パワフルな解釈をできたら素晴らしいのだろう、
そんなことを思った次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本日も、皆様にとってよい1日となりますように。
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<本日の名言>
人はその好むところをもって、
真実とするなり。
デモステネス
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