自分の「思考の癖」を考えてみる(前編) ~あなたは「デカルト的」か、「老子的」か~
(本日のお話 2111字/読了時間2分半)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は3件のアポイント。
ならびに夜はトライアスロン仲間の誕生祝い兼、忘年会でした。
トライアスロンチームの総大将(?)の自宅にて、
少年時代にやっていた「ストリートファイター2」などのゲームをやり、
久しぶりに燃え上がりました。
テレビゲームはやっぱり面白い!
、、、ですので、
絶対にゲーム機は買わないようにしようと、改めて思いました。
抜けられなくなるので、、、(汗)
*
さて、本日のお話です。
今読んでいる本で、
『ハーバード、オックスフォード…世界のトップスクールが実践する考える力の磨き方』
https://www.amazon.co.jp/dp/4479794174/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_FtCjCbPR4XPRX
という本があります。
これが、非常に面白い。
今日はその本から引用させていただきつつ、
学んだ事を皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【自分の「思考の癖」を考えてみる(前編)
~あなたは「デカルト的」か、「老子的」か~】。
それでは、どうぞ。
■自分の「思考の癖」というのは、
なかなか自分ではわかりません。
そしてつい、自分の考え方の癖は、
当たり前であり、普通であり、そうあるべき、
と、無意識に信じてしまったりするもの。
*
しかし、それらの自分の「考え方の癖」を、
絶対的なものだと信じてしまうと、
・「考え方の違い」による意見の対立
・ 相手に対しての不理解、傲慢
・ 同じパターンで結果が変わらない
等に諸症状につながることがありうる
そのように思います。
■では、自分の「思考の癖」というのは、
どのようにしたら知ることができるのか。
このことを考えてみたいのです。
その一つの方法が、著書
『ハーバード、オックスフォード…世界のトップスクールが実践する考える力の磨き方』
によると、
【過去の「哲学者」の考えを知ること】
である、というのです。
■この本では、ある興味深い話が紹介されていました。
それが、
”「デカルト的アプローチ」と「老子的なアプローチ」の違い”
というお話。
ちょっと複雑そうですが、
実はシンプルな話なので、少しお付き合いください。
*
まず、「デカルト」という哲学者であり、数学者。
彼は、『我思う、故に我あり』という名言を残した、
17世紀のフランスの哲学者です。
彼は今の「西洋」の考え方の礎と言われることもある非常に有名な御仁です。
その彼が著書『方法序説』にて語るのが、
『真偽を見極めるために、4つのステップを踏むこと』
が大事というわけです。
それは、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<真偽を見極める4つのアプローチ>
1,とにかく疑う
2,徹底して細分化する
3,単純なものから複雑なものへと考察を深めていく
4,漏れがないように見直す
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
というアプローチ。
*
例えば、皆様の目の前に「パソコン」がある、とします。
まず、「1、とにかく疑う」では、
この「パソコン」をとにかく疑います。
・これは本当に「パソコン」なのだろうか?
・「パソコン」からキーボードがなくなったら、
それでも「パソコン」なのだろうか?
・このパソコンの中に、CPUが入っていなかったら、
「パソコン」と呼べるのだろうか?
・WindowsやMacなどのOSがなかったら、
「パソコン」ではないのだろうか?
・インターネットができなかったら、
「パソコン」ではないのか?
、、というように。
ふと思えば、
「どこからがパソコンで、どうなったらパソコンじゃなくなるのか?」
みたいなことを考えていくと、実は
「確実に証明されているもの」とは、
意外に少ないことがわかります。
(そして、デカルト氏は、それを追求した結果、
『我思う、故に我あり』と述べました。
「少なくとも考えている自分は、確かに存在している」ことだけは、
「確実にそう断言できる!」と言える、ということですね。)
■そして、「確実に証明されているもの」が何なのか。
それを見つけ出すには、
「2,徹底的に細分化する」
ことが必要である、と次に述べます。
つまり「パソコン」を構成している、
”細分化された条件”とは何かを考える。
例えば、「パソコンの細分化された条件」を考えてみると、
・ディスプレイがある
・キーボードがある
・WindowsやマックなどのOSが入っている
・パワーポイントなどのアプリが使える
・電源で動く
、、、etc
などでしょうか。
他にもありそうですが、
これらの「細かい条件」積み上げていくから「パソコンになる」といえるということで、
3つ目に述べている条件、
「3,単純なものから複雑なものに積み重ねていく」
という話に繋がります。
■そして最後に
「4,漏れがないように見直す」
こと。
しばしば、コンサルティング会社で言われるでいう、
「MECE」(=もれなく抜けがない)な状態に積み重ねていく。
これらが「デカルト的思考法」とのこと。
「デカルト的」な考え方とは、非常に
”『アナリティック(分析的)』な考え方”
であると言えそうです。
同時に、「西洋的」ともいえるのでしょう。
■考えてみれば、
・『7つの習慣』も、「成功者の考えを分析し”7つに分類した”」
ものだし、
・『ストレングス・ファインダー』も、「人の強みを分析し”34種類”にわけた」
という意味で、
「デカルト的だなあ、、、」なんて思うわけです。
こういう視点を照らし合わせると、
「自分の思考の癖」
はどういったものだろうか、
なんてことが見えてくるのかな、と思うのです。
、、、と、だいぶ長くなってしまいましたので続きの
”「老子的」な考え方”
については明日に続けたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本日も皆様にとって、素晴らしい1日となりますように。
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<本日の名言>
難問は、それを解くのに
適切かつ必要なところまで分割せよ。
ルネ・デカルト
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