オルテガの『大衆の反逆』から思う、「理想の生き方」の考え方
(本日のお話 2687字/読了時間3分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は『ストレングス・ファインダー研修』の実施1日目。
中堅の昇格者の方向けに「強みをキャリア・人間関係に活かす」というテーマで実施させていただきました。
参加者皆様に真剣に参加いただき、非常に楽しい1日でした。
今日は2日目。
引き続き、全力で気づきと変容のきっかけを届けていきたいと思います。
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また、昨日から読者様アンケートにご協力いただき、誠にありがとうございました。
結果、1/5くらいの方が「行替えが多い」という意見でした。
そのため、少し「行替え」の頻度を減らし、メルマガを作成してみます。
もし「やっぱり行替えは前のほうが良かった」というのがあれば、
適時改善していきたいと思いますので、ご意見お待ちしております。
またその他多かった回答が、
・質問コーナーがほしい
・「今週の一冊」は続けてほしい
・紀藤が出会ったスゴイ人を知りたい
・古典・歴史の話は続けてほしい
という話がありました。
これも、リクエストにお答えしつつ、進めて参りたいと思います。
早速、以下「質問コーナー」を設けましたので、どなた様でも投稿ください。
(余力の許す限り、回答させていただきたいと思います)
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【質問箱 メルマガ未来習慣】
↓↓↓↓
https://goo.gl/forms/AJet5JMhGNntV1WL2
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引き続き、よろしくお願いいたします。
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さて、本日のお話です。
先日から好評の「メルマガで学ぶ古典」コーナー。
最高の「知」のプレゼントをもらった『日本アスペン研究所』。
http://www.aspeninstitute.jp/seminar/young_executive/
こちらのワークショップに参加をした気づき、学びについて、
昨日に引き続き、皆様にご共有させていただきます。
今日はスペインの哲学者「オルテガ」です。
タイトルは、
【オルテガの『大衆の反逆』から思う、「理想の生き方」の考え方】。
それでは、どうぞ。
■オルテガ・イ・ガゼット。
(1883~1955)
スペイン出身の著述家・哲学者で、
世界的な影響を持つ20世紀を代表する知識人です。
そんなオルテガが書いた『大衆の反逆』(1930)。
これは、"社会学、歴史哲学、文明学の独創的な著作"と評されています。
そのオルテガが語るのが、社会は「大衆」と「少数の優越者」からなっており、
これらは"社会的階級"ではなく、"人間の種類による区別"である、といいます。
そしてこの話が「己の生き方」を考えさせられる、
実に面白い話だな、と思ったのです。
■さて、オルテガは前提として、
"社会は常に、「選ばれた少数派」と「大衆」という、
2つの種類が必ず存在している”
と言います。
そして、両者の違いは、
・「選ばれた少数派」は、自分の上に困難と義務を背負い込む人
・「大衆」は、自分に何ら特別な要求をしない人。
あるがままに任せており、自身を完成しようという努力をしない人
であると定義します。
そして、こう言います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
社会を「大衆」と「すぐれた(選ばれた)少数派」に分けるのは、
社会階級の区分ではなく、人間の区分である。
上層、下層の階層序列とは一致するはずがない。
もちろん、上層階級が実際に上層であるとき、またそのかぎりにおいて、
この階級の中に<大乗>を採用する人々を見出す可能性は大きく、
それに対して、下層階級は資質の劣った人々によって構成されているのが普通である。
しかし、つきつめていけば、どちらの社会階級のなかにも、本来の大衆と、本来の少数派がある。
※引用:『大衆の反逆』(オルテガ)より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
とのこと。
■すなわち、上層階級(昔で言えば王族・貴族)などには、
「選ばれた少数派(自分に困難と義務を背負い込む知識人)」が多い。
下層階級(昔の労働者階級)では「大衆(流れに身を任せる人)」傾向がある。
しかし、上層階級の中にも「何も考えない"大衆"」は存在するし、
下層階級だろうが「選ばれた"少数派"」は存在している、という話。
そして、このオルテガが語る著述を読み、
現代社会に通ずるとても大切な"問い"が含まれている、、、
そのように感じたのでした。
その"問い”とは、
『自分は「大衆」なのか、それとも「選ばれた少数派」どちらなのだろうか?』
そして、
『どちらの生き方をしていきたいのか?』
という問いでした。
■仕事をしていると、しばしばこんな話をよく聞きます。
それは、研修をやっていて現場からの声として上がってくる悲痛な叫び。
「上司は、肩書も役職もある。役員だし、決裁権も持っている。
しかし学んでないし、尊敬もされていない上司。
そんな上司が新プロジェクトの障害になっている」
という話。
部長の肩書はあるかもしれない。
役員の肩書はあるかもしれない。
権力も決裁権もあるかもしれない。
しかし、よくよく彼/彼女を見てみると「会社に流れに身を任せるのみ」で、
何が真実なのかを探求するわけでも、自分に負荷をかけるわけでもない、、、
そんな傀儡のような存在になっている。
■上記のような上司の存在は、オルテガ風にいえば、まさしく、
”上層階級だけど「大衆」"
の典型なのでしょう。
そのような存在が上にいる事自体が、
ある意味、その組織は危ないもかもしれないのですが、
同時に「これは他人事ではないな」とも思ったのでした。
気づかぬうちに、「選ばれた"少数派"ぶった大衆」となっているかもしれない、、、と。
*
これは、選択の問題です。
「大衆」か、「少数派」か。
「流れに任せる」のか、「自らに負荷をかけ選ぶ」のか。
どちらも、正解はありません。
ただ、その2つの種類があるというだけ。
しかし、そんなことを踏まえても、
真理を探求し、何か社会へ影響を与え、
自分自身が「選ばれた少数派」としての道を歩みたい、
と私は感じてしまいます。
でも、そうでもない人も、もちろんいるでしょう。
そして、「大衆」のほうが良い、という方は、それはそれを受け止め、
歩んでいけば良い、と思います。
しかし私は「少数派」への道がたとえ過酷でも、真理を探求し続け、
自分の足で歩くこと、そこに面白さがある、と感じます。
繰り返しますが、人それぞれ。
しかし、
"「大衆」と「選ばれた少数派」という2つの存在"を考えつつ、自分の生き方を考えること。
これも、1つ大切な問いことではなかろうか、
そんなことを自分自身に振り返り、感じた次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本日も皆様にとって、素晴らしい1日になりますように。
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<本日の名言>
優秀な人と、そうでない人との違いは
自分に多くを期待したかどうかだけだ。
オルテガ
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