「不毛な一日だった」を「意味のある一日だった」に変えるためのシンプルな方法
(本日のお話 1441字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日日曜日はホームページの企画・作成。
また夜は、愛知の実家にて、父、姉と焼肉(自宅にて)。
ゆるりとしたよい1日でした。
野辺山ウルトラマラソンまで、26日。
空手のダメージが癒えたら、走らないとまずそうです(汗)
*
さて、本日のお話です。
昨日、姉と、何気ない会話をしたときに、
「普段の生活」についてある質問をされました。
その質問から、小さな気付きとがありましたので、
本日はそのお話について、皆さまに気づきをご共有させていただければと思います。
タイトルは、
【「不毛な一日だった」を「意味のある一日だった」に変えるためのシンプルな方法】
それでは、どうぞ。
■余談ですが、このメルマガ、
自分の父、母、姉、従兄弟など、
紀藤一族が読んでいます。
つまり、家族に対する私の日報でもあります。
メーリングシステムの問題で、
メルマガが母に届かなくなったとき、
「メルマガ届かないけど、何かあったのか?」
とLINEが届いたこともあり。
「私の生活」について、幼き頃一緒に過ごした家族も見ており、
それについて思うことがある、ということです。
■そして昨日、メルマガを見ている姉から、
こんな質問がありました。
「毎日色々しているようだけど、”何もしない日”ってないの?」
、、、と。
それを聞いて、考えました。
・そもそも「何もしない日」というのは、
何を持って「何もしない」というのだろうか?
・起きていれば、何かするはずだから、
「何もしない」ということはないよね
そう思い、何もしないって、どういうこと?、
と定義を聞いてみると、例えば、
ご飯食べて
テレビ見て、
お昼寝して、
漫画読んで、
お風呂に入って、
そして寝る
みたいな1日を「何もしない1日」とするそうです(by紀藤姉)。
あえて定義付けをするのであれば、
『思考を働かせない1日』というのが、
「何もしない1日」になのだろうな、と理解しました。
■しかし、全くもってのおせっかいと、
個人的な私の感覚ですが、
あまりにも多く、「何もしない1日」なるものが続きすぎると、
ただただ、ぼーっとする1日が連続しすぎると
休んでいるのに休んでいない感覚、
「休みすぎるゆえの疲労感」や、
なんとなく1日を無駄にしてしまったという、
「不毛な一日だった感」
を覚える事が、多分にあると思うのです。
(が、皆さまはいかがでしょうか?)
■思うのですが、人は休みだろうが、平日だろうが、
「今日が何かしら意味ある1日だった」と思いたい生き物だろう、
と感じるのです。
ちょっと暑苦しい考えかもしれませんが、
「何も思考せずただ終わった1日」がどちらに部類するかというと、
本当に、テレビ見て、YOUTUBEみて、をやりすぎると、
やっぱり精神的に疲弊するのです。
・”意図して”、ゆっくりした、とか
・”コレを読むと決めて”、漫画を読んだ、とか、
能動的に、自分で意思を働かせて何かをする。
そのことによって人は、
「充足感」
「満足感」
「何かやった感」
を得ることができて、
「意義のある一日だった」となるものではなかろうか、
と、(あくまでも私は)感じるのです。
「7つの習慣」風で言えば、
”第二領域(=緊急ではないが重要なこと)”に時間を使うと、
自尊心が高まる、というやつですね。
■ふと思えば来週から、10連休。
ついに令和の新時代がやってきます。
テレビを見て、昼寝をする”受動的な1日”も、
それはそれでよいかもしれません。
しかしながら、意図して大事だと思っていた
・勉強をしたり、
・運動したり、
・新しい場所に旅をしたり、出かけたり、
・読みたかった本を読んだり
・家族と普段しない話をしたり、誰かとの会食をしたり
という「能動的な1日」を計画してみる。
【「不毛な一日だった」を「意味のある一日だった」に変えるシンプルな方法】
になるのだろうな、そう思うのでした。
テレビがなくなって、
「受動モード」になることがほぼなくなった日々。
そこから感じる充実感を代えがたいものがあるな、と思いつつ、
「何もしない1日」の意味について、姉との会話から思い馳せた次第です。
という、おせっかい&私の個人的な意見でございました。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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<本日の名言>
今日という一日は、
明日という二日分の値打ちを持っている。
フランクリン・ルーズベルト
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