「自分には価値がない」と思うことを、”◯◯◯”と呼ぶ
(本日のお話 2247字/読了時間2分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は、「7つの習慣」研修の実施。
ならびに、夜は「ストレングス・ファインダー」の研修準備でした。
これから、たくさんの研修を実施する機会がありますが、
かなり楽しみです。
誰かに伝えることは、何より一番、
自分自身の学びになっていると感じます。
実践が一番の学びです。
*
さて、早速ですが本日のお話です。
完全にプライベートの話なのですが、
先日、妻がなぜだか落ち込んでいました。
そして理由を聞くと、
「色々、我慢して疲れた」
というのです。
ちなみに、私が原因では(おそらく)ありません。
その妻の話を聞き中、色々と話した上で、
どうやら妻の心に響く話があったようなので、
もしかすると皆さまにも参考になるのではないかと思い、
本人の許可の元、ご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【「自分には価値がない」と思うことを、”◯◯◯”と呼ぶ】
それでは、どうぞ。
■優しさゆえに、我慢してしまう人がいます。
相手に気を遣うがゆえ、
自分の意見を後回しにして、
そして控えめでいようとすることがあります。
衝突を嫌うがゆえ、気持ちを、
ぐっと押し留めることがあります。
、、、
もちろんそういう人や行為が、
組織もチームも潤滑油のような役割を果たし、
周りを居心地よくしてくれたり、
物事を前に進めてくれたりもするため、
「調和の気持ちあふれる行為」
とも言えるのでしょう。
…しかし、一方。
その優しさや気遣いが行き過ぎると、
時に、ポジティブな結果だけではなくなるようです。
それは、
「特に本人にとって」
なのでしょう。
■先日、妻がなんとなく落ち込んでおり、
その聞いてみると、平たくいえば、
「自分の意見が言えない」
↓
「自分の意見に自信が持てない」
↓
「なぜ他の人は、そう強く意見を言えるのか」
↓
「自分の軸とは一体なんなのか?」
そんな思考のループに陥っている様子でした。
言いたいことはある。
(多分、私に対しても)
しかし、「自信がない」ゆえになかなか話せない。
そして、その「自信がない」を深掘りすると、
どうやら本人曰く、
『自分のことを大切にしていない』
(=「自分に価値がある」と感じていない)
というところに行き着くのでした。
■おそらく、これは妻だけではなく、
あらゆる人も同じことが言えるのですが、
常に自分の意見を抑えていると、
言いたいけど言えない思いが鬱屈としています。
そのモヤモヤはただ”押し留めて”おり、
表面に、現れていないだけ。
消えたわけではないのです。
するとやがて、爆発の危機を迎えます。
ゆえに、気持ちが落ち込んだりすると、
自分の意見なんて大したことないし、
自分が我慢すればうまくまとまるし、という気持ちが、
「なんか不満。悲しくなってきた」
というように、モヤモヤが実体を持ち始め、
顔を覗かせるようになるのです。
■そして、その状態のことを見た時に、
ふと思い出す言葉がありました。
それは、『7つの習慣』の、
「第4の習慣 Win-Winを考える」において書かれている言葉、
【LoseーWin】
と呼ぶものでした。
私はLose。相手はWin。
私が我慢して負けていれば、周りが勝つ。
私は平和主義だから、それでいいの。
どうぞ私を踏み出しにしてください。
でも、それでいいんです。
そんな精神のことを、
【LoseーWin】
と呼びます。
自己犠牲の精神とも言えるでしょう。
この考えの(少し厄介な)ポイントは、
「ちょっといい人に見える」ということ。
悪いことをしているとは、パッと見、思えないのです。
ゆえに、妻もいじけた気持ちになると
「相手の意見を尊重しているのに、なぜいけないのか?」
的な感覚を持ち、そしてループから抜けられなくなるのでした。
■どうやら妻がその考えにハマっているようだったので、
『7つの習慣』の書籍を指し示し、
おもむろに「第4の習慣 Win-Winを考える」と言ってみました。
すると、素直にも妻は読み始め、
そして「ある一文」を見て、うなだれていたのでした。
そのページとは、
【誠実さとは、「自分自身に価値を置くことである」】
という事が書かれているページでした。
言い換えれば、
『「自分の意見なんて価値がない」といじけることは、”不誠実”である』
このことを、書籍を通じて突きつけられ、
ハッとしていたようなのでした。
■敢えて言ってしまうと、
「自分なんて、、、」という気持ちは、
謙虚のように見せかけた、
「ただの不誠実さ」
なのかもしれないのです。
ここからは私の意見になりますが、
きっと、本当に「誠実な人」は、
・自分に価値を置き、
・そして自らを高め、
・自分なんて、と言わずに誰かの役に立とうとする
のだと思います。
自分に価値を見出さず、いじけて、
小さくまとまっていることは、
常に「自分なんて」という言い訳を携えた、
”守りの姿勢”や”向き合うこと”を恐れているだけかもしれない、
…そんなことを思ったのでした。
■「皆さんに合わせます」
というのは、”和”を重んじた行為に見えます。
そのことに対して、
目くじらを立てて怒る人はいないでしょう。
しかし、意見を抑えて迎合する行動の背景には、
色々な想いが含まれているもの。
そしてそれがもし、
”「不誠実」と命名されうるモノ”
(=自分のことに価値を置かないがゆえの言動)
であれば、
それは自分を振り返り、
考えてみる必要があるのかもしれません。
【「自分には価値がない」と思うことを、”不誠実”と呼ぶ】
そんな考えも、あるのです。
ゆえに、自分の「言動」の根本は何なのか。
そんな”問い”を持つことで、自分の考えや物の見方を、
客観的に見つめ、調整することができるのかもしれない、
妻の嘆きから、そんなことを感じた次第です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日になりますように。
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<本日の名言>
理不尽な上司や学校の先生に無理矢理認めてもらう必要はない。
市場価値の高い人になればいい。
より大きな共同体で考えればいいのだ。
アルフレッド・アドラー(オーストリアの精神科医)
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