人生の一大テーマ、それは「事後性の克服」である
(本日のお話 2898字/読了時間4分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は、1件のアポイント。
並びに、夕方から1件のミーティングでした。
その他、期末の請求書の処理など事務作業など。
(うーん、実に苦手です、、、汗)
*
さて、本日の話です。
先日「レジデンス(再起力)」なるテーマで、
講演を聞きに行きました。
その際の話が、本編もそれ以外のQ&Aも、
とても学びになる話が盛りだくさんでした。
昨日に引き続き、本日も先日の講演から学んだことを、
皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【人生の一大テーマ、それは「事後性の克服」である】
それでは、どうぞ。
■「競争戦略」の分野で有名な、
一橋大学教授の、楠木建先生という方がいらっしゃいます。
『ストーリーとしての競争戦略』という、
ビジネス書では異例の20万部のベストセラーを書かれた方。
大学の教授で、元プロ歌手。
本を大量に読んでいる読者家とも知られ、
そして言葉の使い方が秀逸かつ、
ユーモア溢れる方です。
先日のレジデンスの講演でも、
パネルディスカッションで司会を務められており、
会場を学びと笑いに包んでおりました。
■その楠木先生が、講演のQ&Aに置いて、
ある質問を受けたのですが、
そその質問に対する答えが非常に興味深く、
なるほどな、と学びになるものでした。
(※以下より、記憶を頼りに書いております。
ご了承の上、読み進めてくださいませ)
*
その質問とは、24歳の若い男性から投げかけられた、
以下のようなものでした。
「自分は、まだまだ仕事をスタートしたばかりで、
何を軸にやっていけばいいかもわからない。
どんなふうに物事を選択して、
生きていけばよいのでしょうか?」
という質問。
■深く、答えるのが極めて難しそうな質問です。
それに対して、楠木先生が答えた回答は、
以下のような話でした。
「私は、人生の一番のテーマと言うのは
『事後性の克服』、だと考えています」
「事後性とは、読んで字のごとく、
【大切な事は振り返ったときに「後からわかる」ものである】
という話です。
今すぐに克服できないから、「事後性」と呼ぶ。
しかしながら、おっしゃるとおり、何が大切なのか、
ある程度わかって歩んでいきたいというのもわかります。
でも、言ってしまえば
「経験して、振り返ってみないと何が大切だったかはわからない」
のですよね」
「じゃあ、どうすればよいか?
そのために明確な答えは、
結局「事後性」だから、残念ながらないのだけれども、
一つ、役に立つとするならば、
『本を読むこと』
は「事後性の克服」に有用だと考えています。」
「なぜならば、その著者が、
自分の人生を振り返り、経験を振り返り、
一通りやったことを振り返って書いたことだから、
そこには「誰かの事後性の学び」が書かれていることになる。
ゆえに、自分に、自分が直接経験することができずとも、
『本を読む』ことを通じて、「事後性の学び」を、
疑似的に経験することができるでしょう」
、、、確かに、と思えます。
「ちなみに、どんな本を呼んだ方が良いかと言うとですね、
最近出した私が書評についてあれこれ書いている
『室内生活』と言う本がありますので…笑」
※『室内生活──スローで過剰な読書論』(著:楠木建)
https://www.amazon.co.jp/dp/4794971575/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_oyY1DbMRPSTEA
と、ユーモアを持って話を締められていました。
(上記の本、ちょっと読み進めてみましたが、
大変おもしろい雰囲気を感じる本でした)
■「事後性の克服」。
つまり、
「自分が経験してみないとわからない」
「大切な事は事後的にわかる」
ということを、理解し、
消化していくこと。
この話、よくわかるなぁと思ったのは、
私だけではないのではないでしょうか。
*
ちなみにこの話は、
ワークショップやセミナーなど、
「学び」の特に良い例として当てはまります。
ワークショップやセミナー塾と言うのは、
基本的に結構お高いものも多いです。
普通に、数十万、場合によっては、
三桁万円を超えるものしばしばあります。
高ければいい、というわけでもないですが、
受けてみないとわからないことも多々あるのが、この世界。
■高いセミナーを見つける。
でも面白そう。失敗したくないので、一生懸命調べてみるのです。
・その内容がいかなるものか?
・評判はどうなのか?
・どんな講師が話をするのか?
・今の自分が求めている答えやヒントが、そこにあるのだろうか?
・何かの焼き増しなのだろうか?
・本当にここでなければ学べないものなのだろうか?
、、、と。
いろいろ調べ、考えてみるものの、
自分の価値観の根源から揺さぶるような、
大きな体験になるかどうかは、結局
「受けてみないとわからんな、、、」となるです。
実際私自身、
”あんまり期待していなかったけれども、
行ってみたらものすごく大きな衝撃を受け、
人生の転機になった”
ということもあれば
”高かったけど、ただの時間の無駄だった”
ということもあります。
ただ言えるのは、
【大切な事は経験してみて、
振り返ったときに「後からわかる」ものである】
ということだけ。
「やってみないとわからない」。
これが学びのゲームの、ルールなのです。
■、、、しかしながら、です。
世の中にはこういった考えを持つ方もいます。
どんな考えかと言うと、
「役に立つかどうか確信がないから、学ばない」
という考えです。
・このセミナーが、本当に役に立つかどうかわからないから、”いかない”。
・この本読んでも、投資した時間分、
得るものがあるかどうかわからないから、”読まない”。
・気になる人とご飯を食べにいってみようかと迷うけど、
本当にいい時間になるか自信がないから、”いかない”。
・面白そうな場所や地域があっても、
お金をかけていく価値があるかわからないから、”いかない”。
…というように。
「価値があるか、”確信がないから”やらない」という意見です。
■ですが「学びの事後性」という観点から見れば、
「やってみないとわからない」わけですから、
この意見は延々と平行線をたどることになります。
確信がないからいかない。
でもその確信はやってみないと生まれない。
そうやって、ただただ平行線をたどった結果、
「何もやらない状態」が続くだけになります。
■もちろん「何かする」決断のためには、
今やっている仕事、学業、家庭とのバランス、
限られた時間の中で、
時間とエネルギーのリソースをどのように振り分けるのか、
という悩みも同時に出てきます。
ゆえに、何でもかんでもとにかくやりまくればいい、
というわけでもなく、優先順位付けや、選択も大事です。
でも、
「やってみないとわからない」
ので、必要以上に考えすぎても、
そこから先は何も生まれないのも事実です。
■ゆえに、ある程度悩んで、
「ここに何かあるかもしれない」という予感を少しでも感じ、
それが自分の中で留まり続けるのであれば、
「とりあえず進んでみるべき」
だと私は思います。
繰り返しますが
「学びは事後的にわかる」
のですから。
「やってみないとわからない」
のですから。
■「あの経験には意味があった」と思えそうなことを、
とにかく可能な限りやって、やって、やりまくる。
経験の母数を増やすことで、
「事後的な学び」を得られる可能性を
高めていくことができるはず。
それこそが、自分の経験値を上げる、
最良の戦略ではないでしょうか。
皆様は、「大切な事は振り返ったときにわかる」ということを、
どれくらい意識して意思決定していますか?
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<本日の名言>
危険を冒して前へ進もうとしない人、
未知の世界を旅しようとしない人には、
人生は、ごくわずかな景色しか見せてくれないんだよ。
シドニー・ポワチエ(米国の俳優/1927-)
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