「テレビを捨てる」ことで得た、心の変化について思うこと
(本日のお話 2869字/読了時間4分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は、1件のアポイント。
また、お昼は某大手製薬会社にて、
事業部長として活躍されていらっしゃる方とランチ。
(Oさん、ありがとうございました!)
夜は、いつも大変お世話になっている人生の先輩と、
お互いの両夫婦で会食でした。
メルマガをやっているおかげか、
数年ぶりのご縁が紡げていることが、大変嬉しい限り。
いつもお読みいただいている皆さまとも、
また接点を持つ機会を、年明けから設けていきたいと、
密かに思っております。
また、家に帰ってからは、
だいぶ習慣になってきた英語の勉強。
*
さて、本日のお話です。
今日のテーマは、
【「テレビを捨てる」ことで得た、心の変化について思うこと】
です。
それでは、どうぞ。
■最近、飲み会や会食で、
何気ない世間話をしていて、
はたと気づくことがありました。
それは、
「最近の芸能人や、有名人の名前を全然知らない」
ということ。
キムタクとか、稲森いずみとか、長谷川京子とか、
宮崎あおいとか、個人的に興味があって、
割と好きな人(加えて、今ハマっているアイドル)はわかるのですが、
新しい人は結構わからないのです。
だから話を合わせるものの、
顔は浮かんでいない、という状況もしばしば。
■ただ、それもそのはず。
なぜなら我が家には
「テレビがない」(というかあげた)
から。
部屋が本で狭くなりすぎた &、
りテレビをつけることが少なくなくなったので、
義理の父母に2年前にあげました。
くわえて、基本、
「スマフォアプリの通知もOFF」にしているため、
向こうから情報がやってくることはありません。
ゆえに情報は日経新聞や、ネットメディアや
週1回の英語塾にてイギリスの経済誌「The Economist」に触れて、
世界のニュースを知った(風になったり)と、
「この情報を学びたい、取りに行きたい時に、
自分から見つけに行く」
という状況に、意図的にしております。
でも意外と大丈夫です。
必要な情報はなんだかんだ入ってきます。
でも、メディア断ちをしたほうが、
情報に振り回されなくて楽だよな、
と感じております。
■結果、必然的に
「エンタメ系情報」
「ワイドショー的な話」
が目に入ることが少なくなりました。
そのことによって、
世間についていけていない、
世の中一般との興味から乖離している気も
しないではないですが、
特にそのような
エンタメ、ワイドショー系情報に関して
情報が遮断されることにより、
「テレビをなくして、良かったなあ」
という”心の平安”を、
正直感じているのです。
■ちなみに、その一番の理由は、
【ネガティブな情報に引っ張られなくて済む】。
このことが一番です。
テレビ、メディアというのは、
本当によくできています。
素晴らしいアナウンサーの聞きやすい声、
練り込まれた台本、
そして色鮮やかなテロップ。
その情報が、たとえどんなものであれ、
”すごく重要なこと”
のように見せてしまう強力なパワーを持つもの、
それが「メディア」でしょう。
■ゆえに、なんとなく見流していたり、
聞き流しているだけでも、幸か不幸か、
『自分の思考が、そちら側に引っ張られていく』
という影響を受けていきます。
人は社会的な生き物で、
「皆が注目しているようだ」という事実だけで、
「そうなんだなあ」と、なんだかんだ影響を受けますし、
自分が見聞きするものを始め、
自分が話した「言葉」からも、
無意識に何かしらの影響受けるものです。
意識してもしなくても、
「朱に染まれば赤くなる」ように、
『見聞きする情報に、知らず知らず、
だんだんと思考が侵食されていく』
わけです。
■そして、思うに、
(あくまでも一部ですが)メディアの中には、
”本当に重要なこと、知るべきことよりも、
大したことではない話を不必要に煽ったり、
ネガティブな思考へと引っ張るものが少なくない”
と感じているのです。
例えば、
・「ある芸能人が脱税した、けしからん!」とか
・ある芸能人が覚せい剤を使ったらしい、釈放された。
(でもやっぱり、けしからん!!)とか、
・有名人の誰それが不倫した、けしからん!
どうなっとるんだ!この世の中は。
というように。
もちろん、その事件に注目を集め、
きちんと制裁をする上で知る必要があるニュースも、
たくさん、たくさんあります。
しかし一方、
「正直、どうでもいいよ、、、」
と思いつつ、つい耳に入ってきてしまう情報、
多少なりとも思い当たるものはあるのではないか、
私はそう思っております。
■しかし、改めて考えたいのが、
「自分が普段どのような気持ちで、
どんな世界で生きていたいのか」
ということを意識して、
その世界を意図的に作っていくという工夫も、
同時に重要ではないか、と思うのです。
世の中のメディアは、
どこかの誰かが作ったものです。
まるで英語の聞き流しリスニングでも、
多少の英語力の向上は見込めるように、
聞き流しの情報でも、自分に影響が残ってくるもの。
否、言語がはっきりと認識できると言う意味では、
英語の聞き流しリスニングよりも、
何倍もの影響力を持つことになるでしょう。
そして、大事なのは、
『見聞きする情報に、知らず知らず、
だんだんと思考が侵食されていく』
という事実なのです。
気づかないうちに、自分の中の思考を、
少しずつジャックされていき、
「そう思わされている」情報になってはいまいか。
気づいたら聞きたくもないネガティブな情報、
批判、糾弾、怒り悲しみなどを拾い集めすぎて、
無意識ながら、
なんか、元気がなくなる、
なんか、ネガティブな気持ちになる、
なんか、もやもやとする、、、
と、自分でもわからないうちに、
望ましくない言語を自分の奥深くに注がれていく。。。
そしてそのことにより、
ふとした瞬間に出てくる言葉と言うのも、
望ましくないものになってしまう。。。
、、、というような、
負のスパイラルを知らず知らず生み出してはいないか、
このことに、
「自覚的であること」
はとても大事なのではなかろうか、
と私は思うのです。
少なくとも私は、
『テレビ断ちをした一つの影響で、
なんとなく心晴れやかな気がする』
というのは、上記のようなスパライルから、
距離をおいたところもあるのではないか、
と思っております。
■最近私は、「Facebook」も、
なんとなく見ることはやめました。
そのために、iPhoneの画面の1番端っこの、
1番開きづらいところに置いてみた結果、
「今からFacebookをみる」
と決めてからじゃないと、
見づらくなり、結果、そういった気持でみるので
周りの発信に”無意識に”さほど流されなくなりました。
SNSのfacebookも、
周りがキラキラな投稿をしており、
「いいね!」を量産していると、
それに比べて自分の毎日が、
まるで対したことがないように感じる、
という影響も少なからずあるそうです。
■大切なことは、
『本当に自分が大事にしていることに、時間を使えているか』
であり、そして、
『自分が”大切にしたい感情”を携えて
日々健やかに生きているか』
だと、私は思います。
今は、本当に多くの情報に溢れ、
テレビでもSNSでも、チャットアプリでも、
いろいろな人の思考や意図が、
自分の中に飛び込んできやすい状況です。
この私のメルマガすら、その情報源の1つでしょう。
その「情報源」が、自分にとって望ましい、
自分が行きたい方向と近しいものであれば、
積極的に取り入れていけばいいし、
そうでないのであれば、
”意識的にその情報源と距離を置く、
情報が入ってこないようにする、
そのような仕組みを考えることもひとつ、
『心健やかに生きるためのヒント』
となるのでしょう。
■それはまるで、
自分が好きで、尊敬できて
一緒に歩んでいきたい人とは距離を更に近くして
そうではない人(ネガティブ、他責、愚痴っぽいなど)
とは距離を取る
かのごとく、
『健やかに生きるために、
メディア、情報とも、上手な距離感を考える』
ことが、自分の日々の精神の健康上にも、
重要なことではなかろうか、
テレビ断ちをして、
私が個人的に心の健やかさを感じる中、
そんなことを思った次第です。
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<本日の名言>
たいていに人間は、運命に対して
過大な要求をするばかりに不満になる。
アレクサンダー・フンボルト(ドイツの博物学者/1769-1859)
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