人は「さなぎのドロドロした時間」を経て、蝶になる
(本日のお話 2302字/読了時間2分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は1件のアポイント。
並びに英語塾への参加。
夜は会社の懇親会でした。
*
さて、早速ですが本日のお話です。
最近、
”空いた時間があれば英語の勉強”
という生活になっておりますが、
そんな中で、
「成果の見えづらい行動に取り組む上での心構え」、
について思うところがございましたので、
気づきを皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【人は「さなぎのドロドロした時間」を経て、蝶になる】
それでは、どうぞ。
■皆様が取り組んでいらっしゃることで、
「なかなか成果が見えない」
と言うこと、無いでしょうか。
それが、
・英語の勉強や、
・資格取得のための勉強や、
・営業スキルの向上
など、具体的なスキルや勉強の習得も
変化が見えないことの一つかもしれませんし、
もう少し広く捉えて、
「自分という人間そのものの成長」
という抽象度の高い話で言えば、
その変化は更に、わかりづらくなります。
■例えば、この1年間で、
・いろいろと人にあった
・たくさんの本を読んだ
・様々な勉強会に参加した
・自分で毎日日記も書いて内省している
という、自己研鑽を心がけている、
しかし、さしたる「変化感」は見られない。
このような事、皆様にも、
ご経験はあるのではないか、と思います。
では、人の変容とは、
”何をどれくらい打ち込み続ければ、
「大きな変化」が感じられるのか?”
このことについて、
ヒントとなるエピソードを昨日聞き、
思うところがあったのです。
■それは、ある方の”英語学習のエピソードです。
以下、このような話でした。
私(紀藤)
「最近、英語勉強のために、
地味に”ディクテーション”(英文で生まれたものを生地に書き取る)練習をしてます」
すると、その方(=英語が話せる)が、
食いついて答えてくれました。
「ディクテーション、地味だけど効果ありますよね。
私もそれをずっとやっていて、
英語力、すごく伸びたと感じます」
私は聞き返します。
「ちなみに、どれくらいの期間やってたんですか?」
すると、こう答えられます。
「通勤40分間の時間を使って、1年半位の間です。
ずっと人の出入りがない、
電車の連結部分で硬い下敷きをひいて、
ひたすらディクテーションしていました」
「やっているときは、
何が変わっているか全然わからないんですが、
以前聞いた言葉がすっと入ってきたり、
この話こんなに簡単だったっけな、
と思うようになるんですよね。
そのとき、成長した感を感じるものですよね」
という、短いやりとりでした。
◼︎しかしながら、この話を聞いて、
「人の変容プロセスとはかくの如きものであろう」
と思ったのです。
先程の方の、ディクテーションは、
「一年半」でした。
働くのは220日として、330日間。
それにかけること40分。
つまりざっくり、
「13200分(220時間)、ディクテーションをした」
ことになります。
そしてポイントは
「やっている間、
さしたる変化感は感じられなかったが、
ひたすら打ち込み続けたら、変わった」
というこの事実。
これが、
「変化変容のための基本方程式」ではないか、
と思うわけです。
■特に語学は代表的ですが、
我々の成長、という曖昧なものになるものにつれ、
たとえ何かアクションしていたとしても、
ゲームのように、やればすぐに
レベルアップするものではない
ものです。
しかしながらそれでも、
「打ち込み続ける限り、
その変化は内面で継続している」
わけです。
それは、まるで「さなぎ」が、
蝶に羽化するプロセスに似ています。
「さなぎ」そのものは、
全く外からは動きがないように見えたとしても。
内面では何かしらの化学変化が起こっている。
それが一定期間の時間を経て
「内的な変化が満たされたとき」に、
美しい蝶として、
新たなる姿に変容していく様です。
■「さなぎ」の状態とは、
その内面は実は、
ドロドロとした液体です。
人に例えるならば、
「何者でもない状態」
といえるかもしれません。
しかし、その
「ドロドロした時間」を大切にする
ことがなければ
蝶になることはないのでしょう。
■日々、ちょっとでも現状を良くしようと、
小さな自己改善、
学びのアクションを続けるものの、
なかなか成果が見えない、
という事、あると思います。
しかし、先述の
「英語学習のディクテーション」のように、
変化が見えないとしても、
変化の兆しになり得る行動を続けることです。
人の人生は英語のディクテーションより、
もっともっと期間の長いものですが、
それでもなお、
・本を読む
・人と会う
・誰かに価値を提供する
・勉強会に参加する
・日々の自己改善をし続ける
ことを続け、
たとえ、その一手だけでは、
何の効果も感じられないとしても、
ただただ習慣のごとく、
打ち込み続けること。
それは目に見えずとも
「自分という”さなぎ”を羽化させるための、
ドロドロとした化学反応の最中である」
そう認識することが、
どこかで化けるための、
「人の変容のプロセスであろう」
と思っております。
<まとめ>
・すぐに成果が見えない事はたくさんある。
語学学習もそうだし、人の成長、という
曖昧なものであればなおのことそう。
・しかし、英語のディクテーションを、
ある一定期間打ち込み続けて突然聞こえるようになるかのごとく、
「成果が見えない一手」も意味がある。
・その「成果が見えない一手」とは、さなぎが、
その動かないなかで内的な化学変化を起こしている様に似ている。
・ゆえに、見えない一手でも、
さなぎを羽化させるための確かな1歩であると信じ、
ひたすらに打ち込み続けること。
・それが蝶になるために、
質的に変化した新たな自分に出会うために、
必要不可欠な行動であろう
皆さまは、自分を羽化させるための
「すぐに成果が見えない一手」を
どれくらい行っていますか?
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<本日の名言>
準備10年、成功5分。
ロアール・アムンセン(ノルウェーの極地探検家/1872-1928)
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