緊急事態宣言解除後の、「管理職が安易に言ってはいけないこと」を考えた
(本日のお話 2356字/読了時間4分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日日曜日は、研修の企画。
並びに1件のミーティングでした。
*
さて、ホットなニュースですが
緊急事態宣言が解除されましたね。
そんな最中(今日の話です)、
マネジメントの専門家として活躍している、
コンサルタントの友人と、ある話で盛り上がりました。
今日はその話について、
皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【緊急事態宣言解除後の、「管理職が安易に言ってはいけないこと」を考えた】
それでは、どうぞ。
■私の尊敬するコンサルタントで、
ドラッカーマネジメントの専門家である方と、
ある研修について打ち合わせをしていました。
その中で、脇道にそれつつ
「コロナ禍に関連する働き方のあれこれ」について、
色々と情報交換をしていました。
その話の中で、まさしくそうだな、
と思ったお話があります。
■それが、緊急事態宣言後(=在宅から出社の流れ)において、
”「これを管理職が安易に言ったら、部下からの信頼を失う」という言葉”
という話でした。
その言葉とは、
「この会議、オンラインでいいんじゃないですか?」
という問いがあったときに、ただ何も考えずに
”『、、、いやあ、俺もそう思うんだけどさぁ、会社の方針が”集まる”だからね』
とただ盲目的に回答する”
という管理職の言葉。
、、、これが、特に優秀な部下から、
失望される”言ってはならない禁句”ではなかろうか、
と言う話で盛り上がったのでした。
■でも、意外といってしまいそうですよね?
しかも、そこまで「言ってはいけない」とも思えない
ある意味、普通に思える言葉かもしれません。
、、、ただ人は「ものの見方」が大きく変わると、
今まで疑問に思わなかったことが、
「なんで今まで、こんな事に気づかなかったのだろう」
と、以前とまるで違って
世界が見えるようになったりするものです。
■例えば、3ヶ月前だったら、管理職が
「”集まる”のが会社の方針だからさあ」
と言われても、
周りもそうだし、
それが会社のルールであるのも事実だし、
まあ、そうですよね、、、
となっていたかと思われます。
しかし、この3ヶ月間で、
・在宅勤務の生産性とは
・対面のコミュニケーションの価値とは
・会社に行く意味とは何か
、、、という疑問が
新聞でもニュースでも、
ネットメディアでも、
ありとあらゆるところで騒がれました。
おそらく、
真面目に仕事を考える誰もが、
上記の疑問を持ったはず。
(、、、かなと思いますが、いかがでしょう?)
■そんな中で、その部署を牽引する管理職が
ただ何も考えずに
『、、、いやあ、俺もそう思うんだけどさぁ、会社の方針が”集まる”だからね』
と、ただただ盲目的に回答する”
としたら、どうでしょう。
おそらく、ですが
「あれ、この人、今回の件を通じて、
何も考えてないのではないか?」
「あれ、この人の下で働いていて、
本当に大丈夫だろうか?」
と考える部下がいてもおかしくないのでは、と思うわけです。
(特に優秀な部下ならそう思うでしょう)
、、、もう前提が違うのです。
ゆえに、管理職から
3ヶ月前に同じセリフを聞いたときと、
今聞いたときの失望感はかなり違うのではないかと。
■在宅勤務を、今回しっかり経験された方であれば
お感じになられたかと思いますが、
最初に在宅勤務で仕事をし始めた頃は
「そこはかとない罪悪感を感じた」
という方も、
少なくなかったのではないかと思います。
・朝9時に出社しなくていい。
・月曜日の8時のミーティングに参加しなくていい。
・事あるごとに会社に行かなくていい。
、、、私も、起業した1〜2ヶ月くらい、
不思議な罪悪感を覚えていました。
「朝8時のミーティングの義務を果たしてこそ仕事である」
「満員電車の苦行を経てこそ、出社である」
という感覚が、
長年の会社務めで刷り込まれていたため、
起業して1〜2ヶ月の間は、なんとなく罪悪感を覚えて
なんとなしに朝8時にオフィスに出勤して、
規則正しく働く、ということをやっていました。
その苦痛がないと、
働いていることにならない、
と言わんばかりに。
(でも、本当です)
■でも、慣れてくると、
「まあ、これでもいいのかな」と思い始めます。
別にオフィスに行こうが行くまいが、いいだろう。
結局、「集中している質の高い時間」を
1日のうちでどれだけで持てているかが
生産性を決めているに過ぎない。
それに気づいてから、オフィスは
「必要に活用するもの」と考え方が変わりました。
そして、「苦行」をあえてせず、
満員電車には乗らないようにして、心健やかになりました。
そして今回、私のような感覚と同じでなくとも、
近しいことを感じ、そして働き方を問うているのが、
今回のコロナ禍の一連の流れであろう、、、
私は感じています。
■ゆえに、
「なぜ、わざわざ会議のために会社に行くのか?」
「リモートでやった方が、前後の時間をうまく使えるし、いいのではないか?」
多くの人の中にこの感覚が
確信を持って刻まれた今、
そんな内面を丸無視のごとく、
何も考えずに
『、、、いやあ、俺もそう思うんだけどさぁ、会社の方針が”集まる”だからね』
と、管理職が回答したとしたら、
今回の一連のコロナ禍の
”働きかけに対する問いかけ”を何も受け取っていない、
あるいは、普段から考えていないことを露呈する
「自分は何も学んでない管理職です」
と表明していることにもなる、、、
とも思うわけです。
■では、そんな中、何が必要か?
それは
【「問い」を立てる力】
でしょう。
ここに集約されると思われます。
以前からも言われていましたが、
「この会議は何のためにやっているのか?」
「このルールは何を生み出すためのルールなのか?」
「対面で合うことでどんな価値を作りたいのか?」
そんな、今まで当たり前だったこと、
日常何気なくやっていることを、自分の中で
「これはどういう意味があるのか?」と深く考える力。
それが【「問い」を立てる力】であり
変化の時代に、新しいルールを作る力でしょう。
そしてそれはすなわち、
時代の流れについていくか淘汰されるかを分かつ
分水嶺になるかと思います。
だからこそこういった明らかな変化の時こそ、
「問いを立てること」を改めて考える必要がある
そんなことを思う次第です。
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<本日の名言>
ただ傍観して、不平を言っていてはいけません。
あなたがたは「誰か」が行動を起こすのを待っているのでしょうか。
行動を起こさなければならないのは、まさに、あなたがた自身なのです。
ワンガリ・マータイ(ケニアの環境保護活動家/1940-2011)
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