「問い、考え、語り、聞くこと」が、自らの幅を拡げる基礎になる
(本日のお話 2010字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
さて、夏季休暇に入っている方も
多いのでしょうか。
そんな最中の日曜日、私は
朝8:30から某企業の役員の方をお招きした
シークレット勉強会(オンライン)の開催でした。
組織と個人の”両利きの経営”について
思いを馳せた実りある時間でした。
(講師の方を含め、皆さま
ありがとうございました!)
そして、夕方からは
妻の実家の茨城に帰省でした。
*
さて、早速ですが本日のお話です。
昨日、とある本
『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門』
をご紹介いたしました。
読み終わった後も、
本質的な内容と感じて、
読み直して言葉を噛み締めては、
「そうだよなあ」
と納得をしています。
今日は、この本の中から
改めて学びと気付きを皆さまに
ご共有させていただければと思います。
タイトルは、
【「問い、考え、語り、聞くこと」が、自らの幅を拡げる基礎になる】。
それでは、どうぞ。
■”問う”こと。
人は、問われることで、
深く考えることができます。
問題の答えを眺めていても
なんとなくわかった気に
なるかもしれない。
ただ、
「自分で考える」
ことを迫らなければ
思考は深まらないものです。
(考えるって、結構疲れますから)
そして、それを着火する
スターターのようなものが、
”問い”
なのでしょう。
■そして、
”問い”には
相手が必要です。
一人でもじっくり考えられる人は
いるかもしれません。
そしてあれやこれや一人で深めて
楽しめる、”思考の一人遊び”が好きな人も
いるでしょう。
でも、そういう人は希少です。
■凸と凹のように、
「問い」があるから
「考える」ことが触発される。
そして、そこに他者が介在して
他者から”問われる”ことで
より真剣に
”考えよう”
と思えるのでしょう。
■同時に、
「考える」ことは、
「語る」こととセットです。
「語る」から、
言葉にするから
思考が深まるものです。
そして言語化しようと思っても
出来ないプロセスから、
自分が何を理解して、
何を理解していないのかに
気がつくものです。
考えたことを
言葉にしなければ
考えが明瞭になることはありません。
*
「どのように考えているの?」と問われた時、
自らの思考を
言葉にして”触れられる形”にして
固定化し、語れなければ、
ふわふわ浮かぶ雲のような
近づいたら霧散してしまう
曖昧な思考にしか過ぎません。
”考えている風”でいても、
「言葉にできなければ、
自分でも理解できていない」
つまり、真に考えてはいない
ということです。
■かつ、「語る」ことによって、
学びが深まることものです。
読んだ本だって、そこからの学びを
「語り」、伝えることをしなければ、
1週間もすればほとんど記憶から
消え去ってしまいます。
■だからこそ、
「考える」ことと
「語る」ことはワンセットにすべきです。
「語る」からこそ、
考えが深まるのですから。
そして、「語る」には
当然、他者が必要となります。
すると、対話の形を取ることになる。
ゆえに、
『問い、考え、語り、聞くこと』
が「考える体験」となり、
それを「哲学」と呼ぶ、、、
そんなことを先述の著書では
語っているのでした。
(私の解釈も含んでおります)
■そしてこの一連の流れ、
『問い、考え、語り、聞くこと』ことは重要な
「自分に幅を持たせる、知的行為の基礎である」
と感じます。
■そしてこの中でも特に、
「考え、語ること」
は実に重要だと、
個人的に感じています。
自分の中に渦巻く、
幾重にも連なる思考の地層を、
的確に表現する言葉を編むことは、
簡単なようで難しいもの。
難しいからと言って、
安直かつ単純な
抽象論でまとめたり、
繊細な心の襞を持つ
複雑な感情を
「嬉しい、楽しい、さびしい」
といった大きすぎる概念の単語で
ひとくくりにするのも、
何か違う気がしたりするもの。
■しかし、人は
「言葉」によって思考し、
「言葉」によって世界を定義しています。
例えば、
「切ない」という言葉があるから、
「切ない」という感情に
生命が与えられるのです。
「切ない」という言葉が
もし存在しなければ
息苦しい、胸がぐっとつまる、辛い、
という、似ているけれども、
厳密には違う言葉で表現せざるを得ず
「切ない」の世界観を理解することは
決して出来ないものです。
■そして、これは個人の感想ですが
「幅がある人」
とは、
”世の中の知識や感情において、
広がりを頭と心で理解している人”
ではないか、
と私は思っています。
もちろん博識であることもそう。
ただ、知識だけの無機質ではなく、
人間の心を理解している。
その「知識」と「感情」の両面で、
自分を理解すること、
誰かを理解することができる。
そして心の内側に広がる
膨大な色彩で描かれた心象風景を
「言葉」という筆で表現することができる、
そんな人を「幅がある人」と
呼べるのではなかろうか、
と感じます。
■自分の内側にある
形のない思考に形を与えるには、
修行が必要です。
そして、その基礎を作るためには、
「考える」という
知的な格闘、葛藤を繰り返すこと。
そして同時に
「語ること」を通じて、
人類が進化の過程で発展させてきた
思考を共有する道具としての言葉を学び、
磨き続けること。
その「言葉」に秘められた概念を
的確に理解し、操ること。
そうすることで人は、
「考える」
という行為を身につけ、自由になる。
そして、人としても
幅を持つようになるのでしょう。
ゆえに、
【「問い、考え、語り、聞くこと」が、自らの幅を拡げる基礎になる 】
のであろう、
そんな事を感じている次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。
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<本日の名言>
人間は一本の葦にすぎない。
自然のうちでもっとも弱いものである。
だがそれは考える葦である。
ブレーズ・パスカル
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