大学院受験後のくすぶり感から思う、”走り続けること”の大切さ
(本日のお話 1456字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は4件のアポイント。
夜はキックボクシングジムに参加でした。
*
さて本日のお話です。
私事ですが、大学院受験から1ヶ月たち、
子供も生まれてから約2ヶ月間たちました。
お会いするたびに、沢山の方に
「おめでとうございます!」のお言葉をいただき、
大変嬉しく、感謝です。
改めてありがとうございます。
、、、とはいいつつ、
実は、受験が終わってから、
「自分はどこへ向かっていくのか?」という
”プチ・モラトリアム期間”
を感じておりました。
燃え尽き、とまでは言わずとも
やや目標を失った感覚というのでしょうか。
(お恥ずかしながら)
今日はそんなモラトリアムな中で
諸々思ったこと学びと気づきを
皆さまにご共有させて頂ければと思います。
タイトルは、
【大学院受験後のくすぶり感から思う、”走り続けること”の大切さ】
それでは、どうぞ。
■正直に告白しますと、
大学院受験が終わって
合格が決まった3月から、
今にいたるまでの約3週間ちょっと、
燃え尽き感、不燃焼感、
、、、なんともいえない
”くすぶり感”
が胸の中にあり、
モヤっとしておりました。
■仕事はしています。
(当たり前ですけど)
そして日々やるべきことは
やっている。
ただ、
”命燃やしている感”
があるかというと、
ちょっと物足りない、という感覚。
■ドキドキしたり、
不安になったりした
大学院受験前の3ヶ月。
こちらのほうが(疲れたけど)
ずっと実感があったよなあ、
と感じていたのでした。
■バタバタと日々が過ぎていく中では、
「ああ、正直しんどい、、、」
と思うこともあります。
まだまだできたことはあったにせよ、
土日は本を読んで
まとめたりしていましたし、
”まだまだ足りない感”とともに、
日々を過ごしておりました。
■ただし、いずれにせよ
”自分が勝ちがあると思う目標に向かって
ひた走っている感覚”
とは、
何とも言えない日々の幸福感、充足感を
人生にもたらしてくれていました。
■振り返って思うのが
「幸福感」とは
決して楽をすることでも、
余裕があることでもない、
ということ。
「自分にとって価値があることを、
全力でできている感覚」
にこそ幸福感があるのでしょう。
■エネルギーを
出し惜しみするとか、
リラックスできていることが
楽しいわけではない。
むしろ逆。
出し尽くす。
自分が行う方向性を
じっくりと考えて方向性を決めたら
あとはそこに向けて
ひたすら走っていく日々。
迷いがあっても、
そうと決めたらひたすらに
進んでいくこと。
その過程で、
命を燃やしている感があるときに、
大いなる楽しさを感じるのであろう、、、
そんなことを感じたのでした。
■上記の話は、
実にシンプルな話です。
しかし、
1)自分が価値あることに向けて「目標を掲げ」、
2)人にも宣言をして自分が「退路を絶ち」、
3)その上で計画&実行をし「積み上げて行く」感覚
を1年間の中で、
どれだけ持っていられるかというと
ただ漫然と行きていても、
1)~3)を満たすことは
なかなか難しいと思うのです。
■自分が、何を価値と感じるのか。
自分にとっての幸福感とは何か。
どのレベルまでやれば
100%やれたと思えるのか。
自分に対する内省の時間や
自分の人生に対する真摯さがなければ
簡単なようでも
なかなかできないことだろう、
と思ったのでした。
■、、、と思うことを
つらつらと書いてしまいましたが、
大学院受験を経て、
そして次の道が見えた時に、
「自分は何を価値と感じているのか?」
「そのために次に、何を形にしたいのか?」
このことを改めて考えて、
歩み続けることが、
結果的に、
(キツくて)楽しい旅路を始める
重要なプロセスなのであろう、
そんなことを思った次第でございます。
3月いっぱい
ややジョギング気味でしたが、今後、
・一般向けの勉強会、
イベントやワークショップの開催
・SNSでの学びの発信
などを通じて、
渦を巻いていきたいと思います!
引き続き、よろしくお願いいたします。
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<本日の名言>
成功の鍵は、的を見失わないことだ。
自分が最も力を発揮できる範囲を見定め、
そこに時間とエネルギーを集中することである。
ビル・ゲイツ
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