ニーチェが語る「精神の3ステップの変化」から学ぶこと
(本日のお話 2325文字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日日曜日は、
赤ちゃんの面倒を見つつ、
終日読書でした。
来週、大学院の入学式があり
そこからバタバタと忙しくなりそうなので
少し早い春休みということで
ゆっくりした休日でした。
*
さて、本日のお話です。
現在読み進めている本、
『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』
(著:山口周)
を読みつつ、考えさせられつつ
また感銘を受けております。
今日は上記の著書より、
一部引用させていただきつつ、
学びと気づきを、
皆さまにご共有させて頂ければと思います。
(今日は若干回りくどいお話ですが、、、
よろしければお付き合い頂ければ幸いです)
それでは早速まいりましょう。
タイトルは、
【ニーチェが語る「精神の3ステップの変化」から学ぶこと】
それでは、どうぞ。
■皆さまは、働く上で
どのような労働観をお持ちでしょうか?
おそらく、
色んなパターンがあるのでしょうが
これまでの労働観で代表的なのが
「未来のために今を犠牲にする」
であった、と言われております。
労働とは基本的に辛苦を伴うもの。
その忍耐の対価として、
給与や安定など手に入れることができる。
■私事ですが、親戚のおじさんが
私が大学生のときに、
「仕事ってのはな、
基本的にイヤなもんなんだよ。
月曜になったら、ああやだな、
いきたくない、と思いながら、
皆、会社に行くんだよ。
それが、仕事ってもんだ」
と言っていた言葉に
妙なリアリティとともに
なんだか切ない世の中だな、、、
と感じたことを覚えています(汗)
そして実際、そんな文脈で働く人も、
決して少なくないかと。
■ただし、この考え方で
キツいけど仕方ない、、で働く時代は
終焉を迎えつつある。
そのような話が冒頭の著書の
『ビジネスの未来』で提言されておりました。
なぜかというと、
物質的に満たされつつある現代、
「未来のために
今を犠牲にする理由が見つからない」
からです。
頑張ったらもっと豊かになれる、
将来楽になれる、、、
それはモノがない時代で、
かつ経済成長が前提であったから。
我慢すれば豊かになれる
「期待」があったからです。
努力に対して報酬が得られることを
「期待」できるから人は頑張ることができる。
その報酬が未来に
「期待」できない以上
”未来のために今を犠牲にする”
というロジックは機能不全を起こしており、
・労働とは忍耐である
・辛苦の対価の代わりに給与をもらうもの
という考えは、
(特に若い世代において)
通用しなくなっている、
と言うわけです。
、、、うーん、実に納得です。
■そんな話に関連して、
ドイツの哲学者ニーチェ(1844-1900)は、
こんな言葉を残しており、
なんとなく関連性を感じます。
どんな話かと言うと、
『”私たちの精神”は
「駱駝(らくだ)」→「獅子」→「小児」
へと変化していく』
なんて話です。
またよくわからん感じはありますが
これが面白く、これまで、これからの我々の働き方、
生き方を考えさせてくれる、
そんな気がするのです。
以下、引用です。
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”わたしは君たちに精神の三様の変化について語ろう。
すなわち、どのようにして精神が駱駝(らくだ)となり、
駱駝が獅子となり、獅子が小児となるかについて述べよう。”
”精神がもはや主と認めず
神と呼ぼうとしない巨大な竜とは何であろうか。
「汝なすべし」それがその巨大な竜の名である”
”しかし思え、私の兄弟たちよ。
獅子さえ行う事ができなかったのに、
小児のみ行うことができるものがある。
それは何であろう。なぜ強奪する獅子が、
さらに小児にならなければならないのだろう。
小児は無垢である、忘却である。
新しい開始、遊戯、おのれの力で回る車輪、
始原の運動、「然り」という聖なる発語である”
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラ』より
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■、、、、さて。
なんのこっちゃ、
と思ってしまいそうですが、
解説をさせていただくと、
こういうことだそう。
1)「駱駝(らくだ)」=
こうすべきという規範に無批判に従う人物。
駱駝は規範に従って重荷を背負い、それを喜ぶ人。
駱駝である自分の支配者である巨大な竜は、
「汝なすべし」と、自分に命令してくる。
(つまり命令をされ、無批判に指示を受けるのみの人、ですね)
2)「獅子」=
しかし、駱駝はやがて自由を獲得することを求め始める。
そして獅子になる。
そして巨大な竜が「汝なすべし!」と命令することに対して
獅子になった自分は、「我は欲す!」と叫ぶ。
自分の意見を持ち、主体的に動く人、
ということでしょうか。
、、、しかし、そんな獅子を超える
「小児」がいるとニーチェはいいます。
3)「小児」=
正邪善悪の判断なく、瞬間瞬間の
無垢な衝動で行動を決める。
他者からのこうすべき、自分のこうすべき、
いずれの観念にも囚われていない。
つまり、”今この瞬間の美しさ”を
純粋に楽しむことができる。
■、、、とのこと。
(私の解釈が入っておりますので
違っていたらゴメンナサイ)
これを見てみると、
かつての労働観(=駱駝)から、
それぞれが意志を持ちキャリアを作り(=獅子)、
そして労働そのものを喜びとするような
自分の道を見つけていく(=小児)
という流れにも、
通ずるような気がするのです。
■そして面白いことに、
真にすごい人、
その世界で卓越した成果を出している人は、
”今この瞬間を全力で
生ききる事ができている人(=小児)”
であると感じます。
少し哲学的な話ですが
人生は「今」の連続でしかありません。
そして、
その”今”を楽しみつつ
生きることができている人は、
実にエネルギーがあり力を開放している、
と感じます。
■もちろん、
何がなんでも「小児」がいい、というわけでもなく、
生きる上では守るものがあるし、
規範があるからこそ出来ることもあるし、
集団が安定し、力を発揮できることも
たくさんあると思います。
ただ大きな社会の流れとして、
「未来のために今を犠牲にする」
という駱駝的考えで動くことは、
時代とズレが生じているとも言えるし、
日々の働く満足度を下げる、という解釈もできそう。
自己犠牲的に働く環境を用意しても
雇用が守られるかどうかわからない現状では、
リスクしかない、という経営的視点もあります。
■もう100年以上前の考えですが、
【ニーチェが語る「精神の3ステップの変化」から学ぶこと】
として、
我々が求めている労働観も
少しずつ変わっているのではないか
そんな問いを立てることは、
経営にとっても重要な問いではなかろうか、
とも感じます。
■今、
”経営にリベラルアーツが求められている”、
と言われるように
「働く」という概念についても、
問いを立て直す分岐点にきているように思えてなりません。
自分の当たり前は、
本当に当たり前なのか?
考え方の前提を疑うこと、とても大事だな、
と感じた次第でございます。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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<本日の名言>
事実というものは存在しない。
存在するのは解釈だけである。
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)
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