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2611号 2021年4月14日

劣等感を感じているだけで、あなたは素晴らしい

(本日のお話 2419文字/読了時間3分)

■おはようございます。紀藤です。

先日、大学院の友人と話をしていて、

「劣等感を感じているだけで、
あなたは素晴らしい」

という話で盛り上がりました。

もちろん、そのように言えるのは
一つの根拠があるのです。

今日はそのお話について、
皆さまにご共有させて頂ければと思います。

それでは早速参りましょう!

タイトルは、

【劣等感を感じているだけで、あなたは素晴らしい】

それでは、どうぞ。

■今、大学院にて、

「高校生に対して、
リーダーシップ教育のワークショップを作る」

というグループでの
プロジェクトを行っております。

その中で
高校生の課題について
色々と話をしていました。

色々と悩める年頃の高校生。

その悩みは、

進路のこと
性格のこと
外見のこと
人間関係のこと…

など多岐にわたります。

■しかしその悩みの内容を見ていると、

「高校生だから悩んでいる」
というものだけではない、

と気づきます。

例えば「人間関係」などは、
社会人になっても悩みのタネだし、

性格や外見についても
気になる人はずっと気になるもの。

そしてあらゆる悩みの原因を考えた時に
その根本にあるのは、

「人との比較」

にあるのでは…
という話になりました。

極端な話、もし私達が
無人島で一人だけで住んでいたら

進路も性格も外見も人間関係も、
きっと起こり得ない悩みだと思うわけです。

(別の悩みが出そうですが…)

■人は社会的な生き物である以上、

「他者と自分を比べてしまう」

のは仕方がないことである。

さて、その上で本題ですが、

もし皆さまが他人と自分を比べて

「自分ってまだまだだなあ」
「自分ってイケてないなあ」

と感じるとしたら、

ある視点からみたら、
「素晴らしい」といえる、

というお話があります。

■『ダニング・クルーガー効果』

というお話があります。

内容は、こんなもの。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ダニング=クルーガー効果」とは、

能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、
実際よりも高い評価を行ってしまう優越の錯覚を生み出す認知バイアス。

この現象は、人間が自分自身の不適格性を認識すること(メタ認知)が
できないことによって生じる。

※wikipediaより引用
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

すなわち、

「能力の低い人」=「自分能力を高く見積もる傾向がある」

とのこと。

加えて、この効果を定義した
デイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーは、

「優越の錯覚を生み出す認知バイアスは、

能力の高い人物の場合は
外部(=他人)に対する過小評価に起因している。

一方で、能力の低い人物の場合は
内部(=自身)に対する過大評価に起因している。」

と述べました。(同wikipediaより)

、、、つまり、

能力が高い人は、

「他者の凄さを自覚できている」

という意味で、
自ら過小評価をする傾向がある、

ということ。

劣等感(自分を過小評価すること)は

”自分の能力を客観的に自覚し、
高めるための土俵に立てている”

と言えるのでしょう。

■確かに、

周りの凄さを
理解できず盲目的に

「オレって、マジすげえんだぜ」

と語っている新人さんは、

本人は気持ちがよくても、
実態が伴っていないわけです。

つまり、裸の王様状態。

自分の自力を高めるステージにも
立てていない、ということになります。

そして、長期的に見れば、

その実力は露呈していき、
結果に紐付いていきます。

”自己評価が高く、
でも実際は能力が低い”

という人は、社会においては
自然淘汰されていくでしょう。

■加えていうと、

”上と下、どこと自分を比較しているか”

という観点では、

劣等感を持っているというのは、
ある意味で「向上心」の証拠かもしれない。

劣等感を持つというのは、

「自分より優れている(と感じる)人と
比較をしている」

からこそ現れる感情だからです。

■もし本人が
自分より下である(と思っている)人を対象に比較して、

「彼よりは成績はいいし」
「彼女よりは美人だし」

と優越感を感じるのは、

一次的な優越感や、
シャーデンフロイデ(他者の不幸を喜ぶ感情)により、

自分を慰めてくれるものですが、

人生における最大のリソースであり
主人公である自分自身を

より磨いていこう
より前進させていこう

という視点を持つ上では

「劣等感はむしろ役に立つ」

といえる、とも思うのです。

■とはいえもちろん、劣等感が

「自分は価値がない」
「ダメな人間だ」

という抑うつの気持ちや、

「なんであの人ばかり」
「なぜ自分は才能がないのか」

他者に対する
怒りの気持ちになったら

それは決して望ましくありません。

■ゆえに、

「劣等感」というものを

自分にとって役に立つ解釈で
捉え直すことが重要だと思います。

そのために、まず前提として、

1,人は他人と自分を比べてしまう生き物である

2,自分を過小評価しているのは
他者の能力を比べたメタ認知ができている。
そこはOK。能力の高い証拠。

3,かつ、上を見ているからこそ、劣等感は発生している。
自分に対する期待値の高さ、前進させようとしている証拠である。

と捉えてみることで、

劣等感の持つ意味合いを
少しだけ変えることができる、

と思います。

■劣等感、枯渇感。

自分に対する過小評価。

特に日本人を含めた東アジアの人は、
この感情を持ちやすいことが
研究で明らかになっています。

私(紀藤)も、

誰かと比べてしまう気持ちは
常にまとわりついており、

こんなことを語りつつ、
いつもどこかで「凄い同年代のあの人」
との比較をしている自分がいます。

しかしながら、そんな思いを、

「まだまだだなあ」という劣等感・枯渇感を

自分の能力を磨く一つの糧にして、
そして自己効力感を高めてきた、

というのも一つの事実。

■劣等感とは

「ダークサイドエネルギー」

とも呼べるものです。

使い方によっては
自分を駆動するエネルギーになる。

比べてしまう、
劣等感を感じることを認めつつ、

自分にとってポジティブな形で解釈し、
進めていくことができれば良いのだろうな、

そんなことを思った次第でございました。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。

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<本日の名言>
改革は内部から成るもので、外部からもたらされるものではない。
エドワード・ギボン(イギリスの歴史学者/1737-1794)
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