自分の最近のメルマガに対して、反省をすること
(本日のお話 1314字/読了時間2分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は、
『大学院おすそ分け勉強会』
の最終回でした。
改めてご参加頂きました皆さま、
誠にありがとうございました!
*
さて、本日のお話です。
今日は、全くの私事ながら、
「自分のメルマガに対する
(あえての)自己批判」
というテーマで、
気付きと学びを皆さまにご共有させて
いただければと思います。
タイトルは、
【自分の最近のメルマガに対して、反省をすること】
それでは、どうぞ。
■メルマガを日々配信していると、
「毎日継続していてすごいですね」
「意志をどうやって維持しているのか」
等々、
言っていただくことが
しばしばございます。
「粛々と続ける」行為は
簡単なようで意外と難しく、
それが出来ただけで
一定の評価をいただける、
ということかと思います。
(本当に、いつもお読み頂ける皆様、
ありがとうございます)
■とはいいつつ、
実は自分の中では、
「モヤモヤと思うこと」
も、しばしばあります。
それが、
『自分の言葉で語っているかどうか』
という点です。
■私の特に最近のメルマガは、
大学院で学んだ、あるいは
どこかの本で読んだ内容を
”おすそわけ”
させていただいているわけです。
しかしあえて批判的に言えば、
「キャッチーな話を
表面的に共有している」
とも言えます。
もちろん、
自分の学びのためには
アウトプットそのものが
プラスに働きます。
自分の言葉で学びをアウトプットし、
外部に記録すれば(メルマガサイトなど)
自分の記憶も拡張されます。
■しかし、見方を変えれば
”手軽に誰かの話を、
そのまま流用した言葉”
とは、一方空虚なものです。
例えば、具体的に言うと、
大学院の先生が
時間を捻出し
たくさんの本を読み、
その中から珠玉の言葉を見つけて
スライドとしてまとめた話。
それを、メルマガで紹介する。
、、、たしかに、
自分で語っている風だし、
ぱっと見、印象深いメルマガに
なります。
■しかし、
本当にそれでいいのか、、、
「なんとなく後ろめたい気持ち」
があるのです。
「内的な葛藤を言葉にして、
脳に汗を書いて書き記した文章」
とか、
「自分の荒削りな言葉でも、
感情が乗っている言葉」
は、”自分のモノ”として
自分でも納得がいき、
誰かにも届きやすい、
とも思うのです。
■イイハナシは
引用や流用が簡単です。
(私を含め)多くの人は、
・理論的で説得力があり、
・役に立つ有用な情報を
・効率亭に手に入れること
を求めがちなこともあるかもしれません。
一方、難解な本を何冊も読んで、
その中から「これぞ!」という
カケラを見つけるのは実に難しい。
そこまで骨を折って
言葉を紡ぐことも望みませんし、
時間もないかも知れません。
■イイハナシの流用も、時にはよいです。
アウトプットとして
実に学びになります。
ただ、その一方どこかでは
「自分の思考や発見を、
自らの言葉で編み上げる」
ことを目指し続け、
いつかは自分で言葉を操り、
誰かを動かすために自分の言葉で語る、
ことはとても重要な要素であろう、
と思います。
■整理されていなくて、
読むに耐えないものも
あるのかもしれません。
それでも
”自分の感情が乗っている文章”
で、自分でも納得がいき、
胸を張って語れることを、
少しずつ紡いでいきたいものだ、
そんなことを思った次第です。
、、、最近、
「論文系メルマガ」が増えてきた中で
反省も含めて振り返ってみた、の巻
でした。
とことん、
『自分の言葉で語ること』
大事だな、と思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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<本日の名言>
長い間、海岸を見失うだけの覚悟がなければ、
新大陸を発見しすることは出来ない。
アンドレ・ジッド(フランスの小説家/1869-1951)
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