メルマガ2800号続けて思う「究極の習慣づくり」に必要なもの
(本日のお話 2208字/読了時間3分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は全4回の
チームビルディング研修のシリーズの
第一回目でした。
その他、管理職向けのリーダーシップ研修。
また2件のアポイントでした。
*
さて、本日を持ちまして
「メルマガ2800号」
となりました。
ぶっちゃけ、
何の感慨深さもありませんが、
キリ番の号では、
「続けること」や「習慣」
をテーマに、つい語りたくなります。
ということで今日は
「メルマガを続けること」
について思うところを
つらつらとお伝えできればと思います。
(思い切り主観ベースの話なので、
ご了承の上、お読み進めください)
それでは参りましょう!
タイトルは、
【 メルマガ2800号を続けて思う「究極の習慣づくり」に必要なもの 】
それでは、どうぞ。
■よく言っていただけることベスト3に、
「メルマガを毎日続けるとか、
すごい意志力ですね!」
というお褒めの言葉(?)
がございます。
誠にありがたい限り。
しかし、その度に
「いやいや、そんなことないですよ」
と紀藤は答えています。
そして、本当にそう思っています。
何を意志と呼ぶかによりますが、
メルマガ以外、3日坊主ですし、
つい先送りにしたくなる人物です。
(いっぱい証拠はありますが、
お付き合いいただいているお客様を
不安にさせてしまうので語るのは辞めておきます(汗))
■ただ、確かに
メルマガを始めてから、
大体2000文字くらいの文章(原稿用紙5枚分)を
(内容はともかく)毎日書いており、
ひたすらそれを続けるのは
一般的に、大変な作業であろう、
とは思います。
ただ、繰り返しますがそれが
「意志力」があるから
続けられているかというと
そういうわけではない、
と思っているのです。
■では、なぜ続けられるのか?
これを考えてみたのですが、
もう一言、シンプルに
「習慣になっているから」
でございます。
ただ、私(紀藤)が思う
「究極の習慣」の定義とは、
『やらないという選択肢はない』
というモードに、
自分がカチッと入ったものを指します。
つまり、
・「やろう」という自分の意志、とか
・やる気、モチベーション
という話ではない、ということ。
やる気とか、モチベーションでは
『やらないという選択肢はない』レベルには
ならないのです。
■では、どうすれば、
『やらないという選択肢はない』レベルになるのか?
それは
・やる気とかモチベーションというぬるいもの
(あえて、そう言います)
ではなく、
”「途切れさせたら積み上げたものが崩れ去る」
という圧倒的な恐怖感”
に近いです。
そう、圧倒的、なのです。
メタファーとしては、
”長く連ねたドミノを、
完成前に倒してしまう”
ような恐怖に似ています。
■そこには加えて、
”途切れたことによって
他者からの信頼が損なわれるのかもという不安”
もあります。
誰も見ていないのかもしれない。
しかし、そう思われるかも、と思うことが
二重のプレッシャーになるのです。
加えて、その圧力だけではなく、
もちろんプラスのメリットもあります。
それは、
”「これだけは続けている」と思うことで、
自分の軸ができているという自信
です。
毎日学びを言葉にするという、
地道な作業によって、
10年先には、もっともっと
言葉を操れるようになる、
もっともっと、たくさんの知識を
自分のモノにできるようになっている。
連鎖させたコンボのように、
自分が強化される気がするのです。
■…と
「続けるという習慣」
について、私なりの考えを
お伝えさせていただきました。
やる気・モチベーションではなく
”プレッシャー、恐怖感も感じているが
自分の軸、自信でもある混沌としたもの”。
これこそが、
何が何でも続ける、という状態に
自分を置いてくれていると思うのです。
■ちょっと脱線しますが、
正直、メルマガを書きながら
躊躇をすることもあります。
自分で書きながら、
「見る人から見れば、
低次元なことと思われるだろうな」
とか、
「自分の偏見が入っているように見られて
多分解除が増えるだろうな」
など、自分でもわかりつつ、
送信ボタンを押すことも、
実にたくさんあります。
■「毎日続ける」と決めることは、
常にヒットが打てるわけではないと知りつつ
それでもバットを振り続けるようなものです。
自分にとって心地よいものではないことも
ままあるわけです。
■しかし、それでも打席に立ち、
自分の言葉で、
学びや経験を編み直し続けることで、
自分の中に小さな結晶が
少しずつ蓄積されていきます。
さして能力も高くなく、
頭の回転が早くないしても、
蓄積した小さなものが増えれば
それは相応の武器になる。
そして、自分の未来を切り開いたり、
誰かの役に立つことができる、
と確信しているからこそ、
『やらないという選択肢はない』
という状況を受け入れ、
その習慣とともに
人生を歩むことができる、
と思っています。
■繰り返しますが、
「続ける」ことは、
意志ではありません。
『やらないという選択肢はない』
と思えるような状況に
自分を置くこと。
極端なようですがそれが、
「究極の習慣」だと私は思っています。
そのためには
一定期間続けることも必要だし、
周りに宣言するプレッシャーも
必要になるかもしれません。
しかしやる気・モチベーションではない、
それらの混沌としたものを課すことで、
「究極の習慣」
が手に入るのではなかろうか…
そんなことを2800号の節目に、
思った次第です。
最近、論文からの引用という知的系
(人畜無害なので解除も少ない笑)
メルマガが多かったので、
今日は思い切り、
内心を吐露してみました。
最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました。
==========================
<本日の名言>
歩みだけが重要である。
歩みこそ、持続するものであって、
目的地ではないからである。
サン=デグジュベリ(フランスの作家・飛行士/1900-1944)
==========================