「言葉で伝える」上でのお作法
(本日のお話 1553字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は3件のアポイント。
またワクチン接種後の倦怠感を覚えた1日でした。
気合で熱をださないつもりでしたが
やはり熱は出るんですね(当たり前か)
*
さて、ある書籍を読んでいて
その中に考えさせられる文章がありました。
本の内容は
「言葉にして伝える」
ことについて。
今日はそのお話からの学びと気付きを、
皆様にご共有させていただければと思います。
それではまいりましょう!
タイトルは、
【「言葉で伝える」上でのお作法】
それでは、どうぞ。
■「言葉で伝える」ことを
やや大げさに捉えると、
”相手の時間を頂戴して
自分が話をしている”
とも捉えることができます。
以前、私の上司が、
「”20人の会議で10分発表する”ことは、
20人×10分=200分、
つまり3時間の使っていることを意味する。
あなたの発表に
その価値はあるか?」
と言っていたことを思い出します。
■うわあ、重たい…(汗)
と正直、当時は思いましたが、
有限である時間を使って働き、
そして生活をしているわけですから
誰かに「話をする」ことは、
(もちろん目的によりますが)
”相手の時間を頂戴している”
という感覚を持つことは、
大切だよなあ…
と思ったのでした。
■そんな中で、今読んでいる
『頭の中を「言葉」にして上手く伝える。』
山口 謠司 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/B076D5BWPV/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_MP1RYYC1830THNH5Q2SS
という本があります。
その中で、こんな文章が
紹介されていました。
孔子の死後に活躍した
儒学者のひとり「筍子」が
”底の浅い人の受け売り”について
「口耳之学」として、残した言葉です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「小人の学は、耳より入りて、口より出ず。
口耳の間は、すなわち四寸なれば、
いずくんぞ以って七尺の軀を美とするに足らんや」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
その意味は、
”器の小さな人は、耳から学んだことを、
すぐに口から出してしまう。
自らの中になんの溜めもない”
とのことです。
つまり、
受け入りの耳学問を
得意げに話をしていると
バレてしまいますよ、
ということです。
そして、大体その手の話を
悦となってペラペラと
無自覚に話をしてしまう人は、
話が薄く、軽いものだ
…と。
■この言葉をきいて、
私自身、ドキっとした感じがしました。
というのも、私(紀藤)も
”直感的に話しすぎる傾向”
があるから。
沈黙をしていると、
その時間がなんとなくもったいなく、
アイデアを拡げる、という意味で
喋りながら発散させるように話すことがあります。
口火を切る、という意味なら
よいかもしれません。
■ただ、ともすると
・自分の中で熟成されていない
どこかで見聞きしたものを語っているのみ
・言葉数だけ多くなって、
厳選された発信になっていない
・全部伝えようとして
相手を混乱させてしまう
…
ことになっていたとしたら、
よろしくないよなあ、
と反省をしたのでした。
■殆どの人において、
相手と自分の間には
知識の差もあるし
見ている風景の違いもあるし、
その背景にある、考え方や
価値観の違いもあるものです。
そんな中で、
”身を委ねるように
喋りたいことをしゃべる”
ことをしていたら、
当然伝わるはずもない、
と思ったのです。
■そういった意味で
1)相手の時間を頂戴していると認識する
2)前提として、
相手との知識や考え方の違いを認識する
3)その上で自分の中でできるだけ
練り上げた言葉で伝えられるよう心がける
というスタンスは
誰かに物事を伝えるときの
ひとつのマナーとなり得るのではなかろうか、
…と思った次第。
■最近、
仕事でも大学院でも
新しいプロジェクトに携わり
”答えなき問い”
”議論の軸が見つからない話題”
に向き合う中で、
混沌としがちだからこそ
その混沌を混沌のままにしないためにも、
改めて
「言葉にして伝える」
上でのお作法を、
意識していきたいものだ、
と思いました。
自戒を込めて。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。
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<本日の名言>
長い議論も短い議論も目指す目的は同じだということを、
よく理解するべきである。
エピクロス(古代ギリシャの哲学者/BC341-270)
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