「伝える・伝わる」はアート的共創である
(本日のお話 1671字/読了時間2分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は2件のアポイントと、
その後、お客様との懇親会。
■さて、本日のお話です。
研修の企画や実施をしており、
しばしば(というかよく)思うことがあります。
それは
「場の空気と、
自分がその時に”そうだ!”と
思えることではないと伝わらない」
(気がする)
ということ。
今日はこのお話について、
思うところを皆様にご共有させて
いただければと思います。
タイトルは、
【「伝える・伝わる」はアート的共創である】
それでは、どうぞ。
■研修を企画・開発する上で
「脚本(タイムライン)」
を作り、ストーリーを
設計していきます。
・どこで何を伝えて、
・聴衆をどんな感情に持っていって
・どのような落としドコロをつくるのか
を計算して作ります。
■実際、必ずしも
そうなるわけではないので、
やってみたら
思い切りスベることもありますが(汗)
基本、お笑い芸人の鉄板ネタのように
ウケるネタは何回やってもある程度の
打率があることを考えると、
やはり
「脚本(タイムライン)」
はとても大事なのだろうな、
と思うわけであります。
■しかし興味深いのが、
ある程度、鉄板であると思われる
”脚本”通り進めても、
「ノッてくるときと
ノッてこないときがある」
ことあるよなあ、と思うわけです。
■なぜそうなるのだろうか、
と考えてみると、
それは間違いなく、
「対象が感情や気分がある
人間相手だから」
ということと、そして
「”場は生き物”であり、
毎回違っているから」
であろう、と
結局思い至ります。
■例えば、
ストレングス・ファインダーの研修は
それなりの数をやっていますが、
ある程度、鉄板の小ネタがあります。
大体その話や名言を、
同じような脚本上で
同じようなタイミングで放ちます。
でも、まるで
”刺さり”が違ったりする。
■皆が一同に頷いており、
オンライン越しでも
参加者の方と自分が「つながった!」
という感覚を
得られるときもあれば、
一方、
名言を言ってみたものの
なんだか響いていない、
あまり刺さっていない、、、
というときもあります。
■それは、
・研修を開催するにあたっての文脈
(この忙しい時になんで、不満がある)
・月末月初や週末などの違い
・対象者の年齢、役職
・語る私自身(紀藤)の
気持ちのあがり用
などの影響もあるでしょう。
同時に、話し手と受け手の
相互の左様による影響も
あるかもしれません。
■それは例えるならば、
アイドルグループが
同じ曲を同じように歌っているのに
「11月●日のイベントでの
あの曲は神回であった」
と語り継がれるように、
その時の空気やタイミングが織りなす
アート的な側面に近いものである、
、、、とも感じます。
(マニアックな例えですみません。
私も一時期ハマっていたもので・・・)
■、、、と色々言ってしまいましたが
要は何がいいたいかというと
いくら万全な脚本を用意したとて
「場は生き物」
であり、それを見定めた上で
自分が役者のように、
どのように立ち回るのか、
という”アート的な世界”は
多分にある、ということです。
■日本の伝統芸能「能」を確立した
室町時代の世阿弥が
『風姿花伝』という著書で、
このようなことを語っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
よく出で来べき あしく出で来べき
瑞相あるべし
世阿弥『風姿花伝』より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
つまり、
”観客の様子を見れば、すぐ出来がわかる”
といい、
”その日の観客の空気によって
出来が決まる”
といい
”その空気を作るのが
演者の仕事めである”
というわけです。
(、、、と受け売りですが、
大学院で学びました)
※参考バックナンバー↓↓
今週の一冊『風姿花伝』
https://www.courage-sapuri.jp/backnumber/10380/
■そう考えたときに、
確かに事前準備・計画は
極めて重要であるし、
実際に成否の8割は
事前準備・計画で決まる。
それでもなお、
「脚本だけに依存しすぎない」
という柔軟性、
その場の空気を最大限取り入れて
共に共創するアート的な視点を持つことが
研修でもワークショップでも、
人を巻き込んで何かを行なう際には、
とても重要なスタンスなのであろう、
と思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。
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<本日の名言>
原稿を読んでいては絶対、人は口説けない。
盛田昭夫(ソニー創業者/1921-1999)
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