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2833号 2021年11月23日

「傷ついた治療者」理論、から考えること

(本日のお話 1994字/読了時間2分半)


■おはようございます。紀藤です。

昨日は終日コーチングの実施。

今日のお話も引き続き、
心にぶっ刺さっている一冊、

『居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書』
(東畑開人/著)

からの学びと気づきを、
皆様にご共有させていただければと思います。

それでは早速まいりましょう!

タイトルは、



【「傷ついた治療者」理論、から考えること】



それでは、どうぞ。



■皆様にもこれまで

「誰かを助けているつもりが
 自分のほうが助けられている」
 
みたいな感覚になったこと、
あるのではないでしょうか。


例えば、

・お年寄りに席をゆずってあげる
・困っている人に手を差し伸べる
・仕事をサポートする

ことで、なんだか良いことをした
という感覚になって
むしろハッピーな気持ちになって
いやされた、元気になったみたいに、
得られることがあった、というやつです。



■ちなみに、
紹介している書籍において、
デイケアにおける「ケア」の場面でも、
同じことが起こる、

と語られていました。

通常のイメージであれば、

・ケアされる人・・・メンバー(いわゆる患者に当たる人)
・ケアする人・・・スタッフ(心理士、看護師)

とわかれるものの、実際のところ

”ケアする人(スタッフ)が
ケアされる人(メンバー)よって癒やされる”

という事象がある、とのこと。


そして、そのメカニズムが

『「傷ついた治療者」理論』

というものだそう。


■そしてそのプロセスが、
腹落ち感があるとともに、

「ああ、そうやって人は
 持ちつ持たれつ、
 繋がりあって傷を癒やしていくのだ」

と、なんだか優しい気持ちになって、
紹介したくなりました。



■ちなみに、

『「傷ついた治療者」理論』

とはユング心理学にて
語られている理論とのこと。


うまく説明ができるのか
あんまり自信がありませんが、

自分なりに解釈を交えつつ、
解説したいと思います。

(ちなみに、これは「心の傷つき」を
 概念にしているため、その前提で読み進めください)



■まず、「ケア」というと
表面上(意識上)は

「”治療者”が、癒やしを提供し
 ”患者”が、癒やされる」
 
となっています。

これが普通です。


しかし、
サミュエルズというユング派の
分析化によると、

深層部分(無意識下)では、
あべこべのことが起こっている、という。

つまり、

「”治療者”が癒やされ、
 ”患者”が癒やしを提供している”」
 
というのです。



■例えば、

患者のトラウマに治療者が触れる。

そうすると、

治療者自身の内側にある、
治療者自信の繊細で脆い部分(過去の痛い経験など)が疼いて、
反応する。

患者から怒りや、きつい言葉をぶつけられ
治療者自身が傷つくことだってある。

あるいは患者の葛藤している
心の柔らかい部分を見せられ
そこに心が共鳴し、震えることもある。

(治療者だって人間ですから・・・)


そして、それを感じた患者が、

治療者の内側で起こっている心の疼き、
治療者の痛み、震えに対して反応して、
治療者自身のことを気遣ったりする。

そして癒やしを与えようとする。
そして、その気遣いの中で、
患者自身が癒やされていく、

、、、こんな相互作用が起こるというのです。



■つまり、表面上は

治療者が癒やしを提供する側
患者が癒やしを提供される側、

となっているようであって、

その無意識下部分では、
 
”傷ついた治療者”

というイメージを媒介して
お互いが癒やしを提供する/される側の立場が
ときに逆転しながら、

「癒やし」という行為が”生じて”いる。

、、、というわけです。



■ケアすることでケアされる。
ケアされることで、ケアする。

相手の中に自分を見て、
自分の中に相手を見る。

自分と相手が複雑に絡まりあって
溶け合って、そうして癒やしが生まれるのが

『「傷ついた治療者」理論』

である、とのこと。



■私はこの道の専門家ではないですが、
これ、わかる気がするのです。

確かに、誰かの悩みなり、
相談を聞いている時、

相手の心の脆く、
柔らかい部分が露出されているとき

「自分自身の心の柔らかい部分が共鳴し、
 心が震える(そしてエネルギーがわく)」
 
ことは、確かにある、ということ。

私もコーチングをやる中で
時にそう思うことがあります。



■コーチングとカウンセリングは
厳密には違いますが、

コーチングの中でも、
繊細で脆い部分を露出させること
ままあるもの。


相手が自分の心を露出させて
葛藤の中で戦っている姿をみる。

相手の中に同じように葛藤を抱える
自分の存在を垣間見る。

相手の中に自分をみる、
自分の中に相手を見出すことを
「投影」と言うそうですが、

そうやって相手と自分、
別々の存在のようでいて
混じり合わせることで

そこに何かしらのエネルギーが生まれてくる。

…抽象的ですが、
そんなことを感じたのでした。



■人と触れ合うことは、
傷つくし、疲れるし、
ゆえに、面倒くさいこともあります。

でも、そのような類いのものだからこそ、
そこには膨大なエネルギーの源もある。

そのことを、人と向き合い
付き合う上でもも改めて認識しておきたい、

などと思ったのでした。

余談ですが、泉谷しげるのラジオ番組、

「ばかやろう!
 人と会って疲れないやつがいるか!

 人と会えば疲れるのは当たり前だ。
 疲れにいくために人と会うんだ。
 疲れたのは、人たくさん会った証拠なんだ。

 疲れたら、寝て、また起きて、
 復活したらまた人に会いにいけばいいんだ」


という話を思い出しました。

※参考:むかーしむかしの8年前のメルマガです。
https://www.courage-sapuri.jp/backnumber/682/


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<本日の名言>

時間がそれを軽減し、
和らげてくれないような悲しみは一つもない。

キケロ(古代ローマの政治家/BC106-43)

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