間違えて切り落としたミニトマトの再生物語
(本日のお話 2658文字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は、マネジャーの皆様への
チームビルディング研修の2日目でした。
「マネジャーによる組織開発の実践」
とのことで、
凝縮した時間でのプログラムでしたが
無事終えることができました。
評価アンケートはこれからですが
皆さまに届いたような手応えを感じております。
大学院の授業のおかげで、
短い時間の中でもいかに密度を高めるかを
少しずつ形にできるようになってきました。
(まだまだですが)
価値をお届けできるよう
もっと学びつつ実践を重ねたいと思います。
*
さて、本日のお話です。
ごくごく私的な、
かつ些細なことなのですが、
ちょっとした驚き(と感動)がありました。
一言で言えば
”間違えて切り落としてしまった
ミニトマトの枝が、復活を遂げた”
というお話なのですが。
日常の
ちょっとした勇気を与えてくれた
ミニトマトの生命力に、
なんだか心動かされてしまいましたので、
今日はこのお話と、そこからの学びを皆さまに
ご共有させていただければと思います。
(論文を読む時間がないから、、、
こういう話題にしているわけではありません。
たぶん・・・汗)
それでは早速まいりましょう!
タイトルは、
【間違えて切り落としたミニトマトの再生物語】
それでは、どうぞ。
■家庭菜園を初めて2ヶ月。
朝起きて、
ベランダに出ることが
日課になってします。
そしてプランターを見て、
「ミニトマトもすごい勢いで育っている。
自分も負けないように頑張ろう」
と思うのが日課になっています。
アブラムシが
イタリアンパセリにいっぱいついていて
げんなりすることもありますし、
枝豆は理由がわからないのですが
葉が茶色く枯れてしまっているのですが、
それでも植物の成長には
元気をもらえるものです。
■そんな中、
「摘心」
という言葉を最近知りました。
家庭菜園歴2ヶ月の、
超素人の私(そして妻)が
最近知った言葉です。
ミニトマトの苗を買って、
そして栽培し始めると、
最初は15センチくらいだった苗が
すでに90センチ近くまで伸びて、
ものすごい勢いで成長をしていきます。
「ミニトマトを甘くするためには、
”摘心”が必要なんだって」
妻がそういい、調べてみると、
こうありました。
**
「摘心(てきしん)」・・・
たくさんの花を咲かせたり、実をつけさせたり、
株のボリュームを増すために行います。
芽の先端を摘み取る作業のことで、
先端の芽、頂芽(ちょうが)を摘むと、
その下のふしにあるわき芽が伸びて枝数が増えるので、
花や野菜の草丈が抑えられると共にボリューム感が生まれ、
花はたくさん咲きます。
**
だそう。
■よくわかりませんが
新しい芽の先端を摘み取ることで、
栄養が必要なところに行き渡る。
なのでミニトマトが甘くなる。
(らしい)
じゃあ、これは
早速やらないとね!
とのことで
家で畑を持っている義理の父にも
LINEでやり方を聞いて、
「これが頂芽だろう」
ということでパチパチ
はさみで切っていきました。
■ん、これもかな?
これも枝が出すぎているから、
切ったほうがいいのかな?
せっかちな自分が
そう言いながら、
リズミカルに切っていると、
妻が「あっ!」と言いました。
「それは切っちゃダメなやつ
なんじゃ・・・」
よくよく見ると、
小さな枝を切ったつもりが、
切る場所を
一つ間違えたらしく
最も大きく育っている
2つに分かれた枝の一つの根本を、
ざっくり斬り落としてしまっていました。
■その枝を引くと、
ごっそり色んな葉っぱがついてきました。
よく見ると、そこには、
その苗初めてのミニトマトの実が、
うっすらと見えています。
それを見て、
申し訳ない気持ちなるととも、
陰鬱な空気がそこに流れました。
■「どうにかならないものだろうか」
と調べてみると、
「切った枝も土に刺しておけば、
復活するらしい」
(妻調べ)
一縷の望みをかけて
プランターの空いているところに
差し込んでみました。
翌朝、復活して、
根が張ってくれることを期待して。
■そして次の朝になります。
見てみると、
見事にしおれていました。
例えるなら、
数カ月間飲まず食わずで歩いた
フタコブラクダのコブのように
全体がシワシワのよぼよぼになっており、
その枝の生命は風前の灯、
といった様子でした。
■よくよく調べると、
急に土にさすのではなく、
「一度、花瓶に挿して、
土に戻すのが大事」
とあったようで(妻情報)
シワシワでもうこれは無理だろう、、、
と若干諦めつつも、
切った苗を花瓶に刺して
様子をみることにしました。
■正直、翌日はもう枯れているだろう、と思いました。
葉っぱは今にも落ちそう。
枝もふにゃふにゃになっている。
ですが、その次の日になっても
枯れる気配はありません。
3日目になると、まだ葉っぱはシワシワなのに、
何となく、ミニトマトのなりかけた青い実が
大きくなっているような気がする。
最後の命を燃やそうとしているのか、
と思いました。
4日経つと、別の花が咲き始めます。
シワシワの葉っぱはそのままなのに、
その生命力に感銘を受けていました。
■そして5日目、
ふと花瓶を見ると、
”切った枝から
根っこが生えてきた”
ことを確認し、
ミニトマトにこんな生命力があるのか、、、!
と驚きとともに、
ちょっぴり感動してしまいました。
あんなに崖っぷちに追い込まれたのに、
復活して、実を残そうともがき、
ついには根もはやし始めた!
■植物のDNAに組み込まれている
ごく自然な行為であり、
家庭菜園をしている人からすれば
ごくごく当たり前のこととも思います。
しかし、それでも私にはその様子が
”ギリギリからの粘り”
”切られても諦めなない”
という体育会系魂を感じ、
なんだか最近ややギリギリ感があり、
ここからもうひと頑張り行けるのか、
いけないのか、どっちなんだい
という中で
非常に元気づけられたのでした。
■人生色々とあるもので、
まるでミニトマトの枝を
バッサリ切られるように
「まさかのトラブル」
が、キャリアにも
その他にも、色々起こり得るものです。
まさに、VUCAの時代。
ただ、そんな“まさか”なこと、
トラブルやキャリアのつまずき(脱線)が
たとえあったとしても、
そこで腐らず、
切られたところから
もう一歩粘ろうとすること、
そしてその場所が水中であっても
根を生やそうとする姿勢は、
我々も学ぶことが大いにあるのではなかろうか。
そんなことを
「キャリア研修」について
最近もっぱら考える中で、
『ミニトマトの再生物語』
から原則のごときスタンスを学んだような気がする、
そんなことを思ったのでした。
なんの学術的な話でもありませんが、
ミニトマトが復活して嬉しかった、
と言いたかった、の巻でした。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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<本日の名言>
終わりというものはない。始まりというものもない。
始まりと思うのも自分、終わりだと思うのも自分。
フェデリコ・フェリーニ(イタリアの映画監督/1920-1993)
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