「オーセンティック・リーダーシップ」ってなんだ?!(後半) ー”弱さ”に向き合うことの意味ー
(本日のお話 2789字/読了時間4分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は論文の調査、
また事務作業などでした。
その他10キロのランニング。
*
さて、本日のお話です。
昨日「オーセンティック・リーダーシップ」について
お伝えをさせていただきましたが、
本日も引き続き、お届けしたいと思います。
今日は特に
マーガレット・ディダムス(2012)
『オーセンティック・リーダーシップにおける弱さの本質を探る』
の中から、
オーセンティック・リーダーシップにおける
”弱み”に注目することの価値について、
探求をしてまいりたいと思います。
それでは早速まいりましょう!
タイトルは
【「オーセンティック・リーダーシップ」ってなんだ?!(後半)
ー”弱さ”に向き合うことの意味 ー 】
それでは、どうぞ。
■リーダーシップを開発する上で
最も重要な要素が、
「自己認識」
(Self-Awareness)
とされています。
やはり、
”自分のことを正しく知る”
ことは、成果に対して、
そして他者への影響を与える上でも、
大切なテーマのようです。
■もちろん、どこまで言っても、
人はバイアスや思い込みから
完全に解き放たれることは難しいものです。
ゆえに、”正しい自己認識”なるものも、
もしかすると幻想なのかもしれません。
それでも、
・”自分から見た自分”がどう見えているのか(=内面的自己認識)
・”他者から見た自分”がどう見えているのか(=外面的自己認識)
・”自分と他者から見た姿の違い”はなにか(=内面と外面の差)
について、
できるかぎり正しく認識しようとする行為が
自己認識を高めるプロセスそのもの、
なのかもしれません。
(なんだか哲学的です)
■さて、そんな中で、
本テーマの
「オーセンティック・リーダーシップ」に話を戻しますと、
”自己認識”の定義を
このように述べているものがあります。
**
<自己認識>
自分の強みや弱みを理解し、自己の多面的な性質に対する理解と、
他者と接触し自己への洞察を得ること。
**
特にポイントは「自分の強みや弱み」というところ。
ここでは強みと弱みそれぞれ語っていますが、
実はオーセンティック・リーダーシップは
「強み」に着目する研究が多く、弱みにはあまり着目されていません。
その点について、論文
マーガレット・ディダムス(2012)
『オーセンティック・リーダーシップにおける弱さの本質を探る』
では、
”「弱さ」を正しく認識するという観点が
抜けているのではないか?”
と提唱し、同時に、
「強み」についてフォーカスすることの
リスクについて語っています。
そしてその内容が、
なかなか興味深く、考えさせられたのでした。
■ということで、その内容について、
一部ご共有したいと思います。
内容としては、2点語られていました。
英語論文なので、ざっくり私の解釈を含めて
超訳いたしますと、以下のようなお話でした。
(ここから)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<強みをベースにしたオーセンティック・リーダーシップがもたらす”望まない結果”とは>
望まない結果1)「自分の偏ったプライド」を増長させる可能性
・自分の強みが、自分自身と同一のものであり、
本物である(=オーセンティックである)と思うと、
自己のプライドをいたずらに増長させてしまう可能性がある。
・ちなみに、「プライド」とは、2種類のプライドがある。
それは、
ーベータプライド:「自分の行動」に対する誇り
ーアルファプライド:「自分自身」に対する誇り である。
・そして、評価の元が
自分自身(アルファプライド)にあると思うと
とてつもなく良い気持ちになる。
(なぜなら”自分そのもの”を評価されている気がするため)
・それは中毒性があり、自分の強みや
それらを発揮する状況などを都合よく解釈する可能性を高めてしまう。
すると、対人関係の希薄化、他者への侮蔑的な態度、
学習や変化への非寛容などに繋がる可能性がある。
・すなわち、
「自分の強みは本物だ(=アルファプライドの暴走)」と過信につながると、
ポジティブな要素が逆効果になる可能性がある。
(Lewis,1992,2008)
望まない結果2)「自分が定義した本物の自分」にこだわるがゆえ、成長できない
・オーセンティシティ(=本物さ、真正さ)は発達のプロセスと言われるが、
それは時にジレンマを生み出す。
・つまり、自分自身のものの見方(≒自己認識)が大きく変化すると、
”これまでの自分を否定する”ことにもなる。
・例えば「自分は自らの信念に忠実だと思っていた(しかし、よくよく自分を振り返ると、
結構流されやすいし、そうでもないことに気付いた)」というとき。
自分は固定的で基本変化しないもの(=”実体論者”という)であるとき、
自己概念が変わることは認められない、となる。
そうすると、「自分は自らの信念に忠実な人なのだ」と(本当はそうではないのに)
結果的に自分を欺くことになる。
・そういう人は、過去の自己意識を守るために、
(その自己概念を維持できるように)
新しい仕事にチャレンジしたり、スキルを高めたりすることを避けたり、
あるいは、自分をよく見せてくれる人とだけ一緒に仕事をしたがったり、
自尊心を高めるための仕事を探したりする。
・結果、自分の成長に挑戦したり、
自分自身の前提に疑問を投げかけることがなく
有能な人から距離を取って、成長することができなくなる
(Dweck,2006)
※Margaret Diddams(2012)Only human_Exploring the natrue of weakness in authentic leadershipより
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(ここまで)
以上、
私の解釈を多分に含んでおりますが
まとめてみました。
■見てみると、
「これ確かに、あるよなあ、、、」
と納得します。
そして、このお話は
オーセンティック・リーダーシップだけではなく、
自らを成長させる上でも、
大切な観点を提示してくれているように思えます。
■「人は自分がかわいい」、
なんて言うことがありますが
確かに人には多かれ少なかれ
”自分を守りたい気持ち”が
どこかにあるように思います。
(私も大いにあります)
そこにあいまって、
”人は基本変わらないものだ
(=実体論という信念)”
が重なると、
これまでの自分を肯定しないと、
自分自身への自信が打ち砕かれてしまい、
自尊心が根っこから
揺らいでしまうのかもしれません。
それがたとえ地盤がゆるい中に立脚する
脆い自尊心であったとしても、
そして、そのことを何処かで気づいていたとしても、
意識的か無意識的なのかそれを認められずに
・知らず知らず、自分の強みについて
都合よく解釈する
・自分を本物と認めてくれる人とだけ
付き合う、仕事をする
・そうではない本当に優秀な人とは距離を取る
という行動につながるのかも知れません。
■しかし、そうなってしまえば
まさに”裸の王様”になってしまい得るわけであり、
そんなリスクについて
<強みをベースにした
オーセンティック・リーダーシップがもたらす”望まない結果”>
の項目を見て、考えさせられたのでした。
■「成長」とは、
過去の自分を時に否定し、
そんな自分を含め受容していくプロセスにも思います。
新しく発見した自分は、
必ずしも理想の自分通りではなく、
自分への無力感や
思ったほどではない自分と
出会う過程なのかもしれません。
でも、そういったことを踏まえて
「成長」と感じられたとしたら、
それこそ”ありのまま”であり、
あるいはオーセンティック(本物、真正の)自分に、
近づくことができるのかもしれない、
とも思います。
ありのままを見るとは、
都合よく自分を見ることではなく、
弱みを含めて見つめること。
この事の大切さを、考えさせられた次第。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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<本日の名言>
ある真実を教えることよりも、
いつも真実を見出すにはどうしなければならないかを
教えることが問題なのだ。
ルソー
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